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2015年2月15日日曜日

ジョニ・ミッチェルの二つの箱


前回、ジェームス・テイラーとジョニ・ミッチェルについて書いた。その折ネットを見ていたら、ジョニ・ミッチェルのボックス・セットがふたつも出ていることを知った。どちらもなかなかすごいシロモノだ。
ひとつは「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」というCD10枚組。もうひとつが「Joni Mitchell / Love Has Many Faces: A Quartet, A Ballet, Waiting To Be Danced」というCD4枚組の箱だ。

Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」は、68年のデビュー・アルバム『ジョニ・ミッチェル』から、79年の『ミンガス』まで、ワーナー時代のスタジオ・アルバム全10作を収めた何とも壮大なボックスだ。2012年に発売されたようだ。驚いたのはその値段で、何とアマゾン価格で4312円。1枚当たり400円とちょっと。これじゃあ、ほとんどタダみたいなものではないか。
私は74年の『コート・アンド・スパーク』以降のアルバムは全部持っているけれど、初期のアルバムについては71年の『ブルー』しか手元にない。持っていないのは4枚。4枚のためにこのボックスを買うべきか?紙ジャケだし。

アマゾンのこのボックスのページからたどっていくと、こういう類のボックスが他のアーティストについてもいろいろ出ていることがわかった。タイトルは「Original Album Classics」とか、「Original Album Series」とか、「The Studio Albums」となっていて、それぞれのアーティストのオリジナル・アルバムをひと箱にまとめたものだ。特徴は、とにかく廉価なこと。しかも一応、紙ジャケ仕様。そのかわり、紙ジャケの造りは簡素(粗悪?)で、ブックレットやパンフの類はいっさいなし。
どうやらこういう形の売り方が昨今の流れらしい。CDの売り上げがどうしようもなく落ち込んできたので、旧譜を二束三文でたたき売ってしまおうという魂胆らしい。そう思うと何だか悲しい気持ちになってしまった。そしたら、ジョニの10枚組に対する気持ちもすっかり冷めてしまったのだった。

もう一つの方のボックス「Joni Mitchell / Love Has Many Faces: A Quartet, A Ballet, Waiting To Be Danced」は、アンソロジーだ。発売されたのは昨年(2014年)の11月。今のところ国内発売の話はないようだ。
何度も書いてきたように、私はもう箱は買わない、と心に誓ったのだが、このボックスにはちょっとドキドキしてしまった。『レコード・コレクターズ』誌のアルバム評で激賞されていたからだ(20152月号「リイシュー・アルバム・ガイド/海外盤」)。
内容は「ジョニ自身が2年の歳月をかけて選曲し、構成を手掛け、絵画を寄せた」ものとのこと。詳しいことは各自で検索してください。とても興味深い。
「アルバム・ガイド」の評者の宮子和眞は、このボックスを「才能の閃きに圧倒されるのと同時に心の奥が癒されて優しい気持ちになる」といきなりほめちぎっている。さらに「新曲や未発表曲はひとつもない編集盤なのに4枚のCDがすべてニュー・アルバムのように聞こえる」というのだ。そして最後には「極上の一作」という決めの一言が添えられている。
そそられるなあ。癒されたいなあ。しかしちょっと高いなあ。アマゾン価格で5017円。何と上の10枚組よりこっちの方が高いではないの。でも、最近のディランのバカ高い値段設定よりは、よっぽどリーズナブルなのだがなあ。
と、悩んでいる今日この頃。さて、私はこの箱を買うのでしょうか。


2015年2月13日金曜日

変わらないジェームス、変わり続けるジョニ


ジェームス・テイラーとジョニ・ミッチェルは、かつて恋人同士だった。1970年前後。二人のそれぞれのキャリアのごく初期の頃のことだ。
二人の関係は、その頃に作られたいくつかのアルバムに刻まれている。たとえば1971年のジェームス・テイラーのサード・アルバム『マッド・スライド・スリム』では、「強きものは愛」、「きみの友だち」、「遠い昔」の3曲で、ジョニ・ミッチェルによるバック・コーラスが聴ける。中でも、「遠い昔」のジョニの歌声は、可憐で情感にあふれていて、とてもとても印象的だ。
また同じく1971年のジョニ・ミッチェルの4枚目のアルバム『ブルー』では、「オール・アイ・ウォント」など3曲にジェームス・テイラーがギターで参加している。コード・カッティング中心のジョニに対し、ジェームスのギターは、絶妙なピッキングでサウンドに奥行とふくらみを与えている。とりわけ「オール・アイ・ウォント」での、ジョニのヴォーカル&ギターとの軽妙な絡みは何とも素適だ。
二人はこうして互いのアルバムに客演したほか、ジョイントでツアーも行っている。その様子を伝える貴重な記録が、『The Circle Game 』というライヴ・アルバムだ。名義は「Joni Mitchell & James Taylor」となっている。このアルバムは、ジャケットも音の編集もかなり雑な造りなので、私はずっとブートレグだと思っていたのだが、最近アマゾンで入手可能なことを知った。ということはオフィシャル盤なのか?
中身は197010月、ロンドンのロイヤル・アルバートホールでのコンサートから収録したもの。二人のみの演奏によるアコースティック・ライヴで、各々のソロ&デュオの計11曲が収録されている。初々しい二人のいかにも仲睦ましい様子が伝わってくる。

ところで、私も隠居生活に入ってまもなく4年。思い切って仕事を辞めて、本当に良かったと思っている。いやなことから解放されて、楽しい毎日だ。もちろん、ビンボーと引き換えなんだけどね。しかしそんな私でも、ときどき癒されたい気分になることがある。人生って、やっかいなもんだな。

そんなときに聴きたくなるのが、ジェ-ムス・テイラーだ。ジェームス・テイラーの『マッド・スライド・スリム』。世評の高いセカンド・アルバムの『スイート・ベイビー・ジェームス』ではなくて、私は断然このサード・アルバムが好きだ。
高校生の時にこのアルバムを手に入れて、すっかり夢中になり、毎日毎日、繰り返し聴いたものだ。あの頃もこのアルバムを聴いては癒されていたことを思い出す。

ハード・ロックばかり聴いていたロック少年が、何でいきなりこんな穏やかな音楽に引き込まれてしまったのか。それはジェームス・テイラーの歌声に漂う「陰り」のせいだ。そして孤独で内省的で呟くような歌い方にも。それはこの人独特のものだった。
孤独感という点では、当時のニール・ヤングにも共通するものがあった。しかし、ニールの孤独の表現が、より直接的だったのに対し、ジェームス・テイラーのそれはもっとソフィスティケートされていた。そしてそのぶんだけ、ジェームスの孤独とあきらめは、底深いもののように感じられたのだ。
彼とキャロル・キングの登場で、いきなり「シンガー・ソングライター」というジャンルが確立した。しかし、ジェームス・テイラーのような陰りを抱えた「シンガ―・ソングライター」は彼の前にも、そして後ろにもいなかった。彼の音楽は、まさにワン・アンド・オンリーのものだったのだ。

後で知ったことだったが、彼の陰りのある歌は、個人的な絶望の果てに辿りついたものだったのだという。しかし、彼のそんな個人的な歌の世界が、まさに時代とシンクロしたのだ。1960年代から70年代へという時代の変わりめの気分を、幸か不幸か彼の歌が見事に代弁してしまったのだった。一躍彼は時代の寵児になる。

しかし私のジェームス・テイラーは、『マッド・スライド・スリム』で終わってしまった。どういうわけか次のアルバムが出ても買わなかった。
先年、ある友人にこう言われた。「『マッド・スライド・スリム』がそんなに好きだったんなら、悪いことは言わないから、ワーナー時代の6枚は絶対持っておいた方がいいよ。つまり『スイート・ベイビー・ジェームス』から『イン・ザ・ポケット』までね」
で、私はこの友人のアドヴァイスに素直に従った。紙ジャケの再発盤で、6枚をそろえたのだ。

ジェームス・テイラーの歌の世界は、どこまで行っても不変だ。不変のまま繰り返されている。プロデューサーが変わろうが、バックのミュージシャンが変わろうが、私にはどのアルバムもほとんど同じにしか聴こえない。結婚して家庭を持って明るくなったとも言われるが、私にはそうは聴こえない。
そして悲しいことに時代の方は変わっていったのだ。一時(いっとき)、時代を代弁していた彼の歌は、たちまち時代に置き去られて孤立することになる。繰り返される彼の歌の世界は、私にも色あせて見えた。さらに、孤立しているだけならいいのだが、私には彼の音楽が何となくAORの流れに飲み込まれてしまったようにも見えた。

これに引き換え、その後のジョニ・ミッチェルの歩みは目を見張るばかりだ。ジェームスと別れた彼女は、フォーク・シンガーから脱して70年代の後半に、次のような7枚のアルバムを作った。

『コート・アンド・スパーク』(1974
『マイルズ・オブ・アイルズ』(1974
『夏草の誘い』(1975
『逃避行』(1976
『ドンファンのじゃじゃ馬娘』(1977
『ミンガス』(1979
『シャドウズ・アンド・ライト』(1980

どれも良いアルバムだ。ソング・ライティングだけでなく、サウンド・プロダクションにもジョニの神経が細かく行き届いている。そして何より1枚ごとに果敢に変わっていこうとするジョニの凛々しい姿勢が素晴らしい。ジャズやワールド・ミュージックも取り入れるなど実験的であるが、同時にしっとりとしていて、ちゃんとポップでもある。『ドンファンのじゃじゃ馬娘』や『ミンガス』にいたっては、ほとんどプログレッシヴと言ってもいいくらいだ。だから当然売れなかったらしいが。
ここには時代に左右されない自分独自の世界を作り出そうとする強い意志がある。「自立」はしばしば孤独と裏腹だ。ジョニの音楽の姿勢には、そんな孤独を乗り越えた人が持つであろうタフネスを感じてしまう。

これらのアルバムの中で私がとくに好きなのは、『夏草の誘い』、『逃避行』、『シャドウズ・アンド・ライト』の3枚だ。これと初期の『ブルー』は、今もときどき聴いている。
『シャドウズ・アンド・ライト』は、ライヴだが、ウェザー・リポートやパット・メセニーグループの面々がなかなか良い演奏を聴かせている。この時期のウェザー・リポートは、初期のアヴァンな方向性から一転、「哲学」なき漂流を続けていた。だがここでは、ジョニの「哲学」の手足になることで、見事によみがえったものと思われる。

変わらないジェームスと変わり続けるジョニ。時代と見事に交錯した『マッド・スライド・スリム』でのジェームスの輝き。そして、変わり続けることで時代を大きく超越したジョニの孤高の精神。どちらもロックだ。そして、どちらも愛おしい。


2015年1月31日土曜日

本場のブルースとイギリスのブルース、そしてクリームのこと


今年も友人のI君から年賀状が届いた。彼は古くからの友だちで、学生時代の私のロック仲間だ。
彼の年賀状には、音楽生活に関する近況が添えてある。今年の年賀状によると、昨年の彼は古いロックからどんどんさかのぼってブルースを聴くようになり、ブルースの3大キングを経て、ついにはロバート・ジョンソンに行きついたとのことだった。

これを読んで私も久々にブルースが聴きたくなった。そこでCD棚の奥から手持ちのブルースのCDを引っ張り出してきたのだった。しかし久しぶりに聴くブルースの音は、何だか今ひとつ耳にしっくりこない。粗野なヴォーカルと、ペケペケと鳴るギターの音色が何ともなじめない感じ。
ロックの源流とはいえ、ブルースはロックそのものとは明らかに大きな隔たりがある。そう感じる人は少なくないだろう。

私も含めてロック・ファンの少なくない数の人たちは、ブルース・コンプレックスを抱いているのではないだろうか。あこがれのロック・ヒーローたちがリスペクトしてやまないブルースという音楽。興味をひかれて実際にブルースを聴いてみると、どこがいいのかよくわからない。そこで、自分にはブルースの良さがわからないというコンプレックスを抱くようになるわけだ。

それでもこの正月は、ひととおり自分の手元にあるブルースのアルバムを順繰りに聴いてみた。耳が慣れてくると、それなりに面白くなってくる。自分の好みに合うものと、合わないものがわかってくる。
I君がたどり着いたロバート・ジョンソンの良さは、じつは私にはわからない。クラプトンやキース・リチャードもこの人を敬愛していることはよく知られているが、私には縁がないようだ。
私がいいなと感じるのは、巨匠では、エルモア・ジェイムスや、ジョン・リー・フッカーや、ハウリン・ウルフたち。たしかにロックの根っこはここにつながっているような感じだ。もうちょっと新しい世代では、オーティス・ラッシュと、そして何といってもフレディ・キングがいい。このへんはもうほとんど、ロックと地続きと言ってもいい。

そんなわけでブルースを聴いていたら、イギリスのバンドがカヴァーしている曲がいくつも出てくる。フレディ・キングの「ハイダウェイ」とか、ハウリン・ウルフの「スプーンフル」、「シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」、「キリング・フロア」(ツェッペリンの「レモン・ソング」)などだ。

それでついでにイギリスのブルース・バンドのCDも引っ張り出して聴いてみた。フリートウッド・マックとか、チキン・シャックとか、サヴォイ・ブラウンとかだ。この三つは、ブリティッシュ・ブルースの3大バンドと言われているらしい。それと、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズ。
これらのバンドのやっていることは、やっぱり本家米国のブルースとはかなり感触が違う。カヴァー曲をオリジナルと聴き比べるとその違いは明らかだ。本家のブルースが持っている乾いた感じがない。ブリティッシュ・ブルースは、もっとセンチメンタルで、ウエットだ。そしてまさにそこが魅力なのだ。
ブルース・ギタリストで、ブルースに関するライターとしても知られる小出斉は、ブリティッシュ・ブルースから聴き始めて、しだいに本場のブルースにはまっていったと、どこかに書いていた。しかし、同じようにブリティッシュ・ブルースを聴いていても、結局私のように本場米国のブルースには行かなかった(行けなかった)人も多いはず。ブリティッシュ・ブルースは本場のブルースとは異質であり、ブリティッシュ・ブルースなりの独自の魅力を持っている。ロック・ファンの多くは、まさにそちらの方に強くひかれていたからだ。

ブルース・ブレイカーズつながりで、ついでにクリームのアルバムも聴きたくなった。あらためて聴いてみると、やはりクリームはいい。すごいバンドだったことを、今更ながら痛感した。
ブルースのカヴァーをよくやっているとは思っていた。思ってはいたけれども、あらためてカヴァー曲を原曲と聴き比べてみると、その違いに驚く。
それまでのブリティッシュ・ブルース・バンドは、原曲をなぞるように演奏していた。クラプトンが参加していたブルース・ブレイカーズの「ハイダウェイ」(フレディ・キング)なんかもそうだった(ギターのソロ・パートは別だが)。
ところが、クリームの場合は、カヴァーといっても、ほとんど彼らのオリジナルと言ってもよいくらいに改変されている。「スプーンフル」、「シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド」、そして「クロスロード」など、どれも斬新な解釈と、クールでダークなセンスが光っている。これはまさにロックだ。ブリティッシュ・ブルースと、ブルース・ロックの境界はこのあたりにあるんじゃないかと思う。

クリームの「カヴァー」曲の中でも素晴らしいのはクラプトンの「クロスロード」だ。
クラプトンのオールタイム・ベスト・ワンと言えば、私は断然この曲だ。「ホワイト・ルーム」や、「サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ」や、「レイラ」や、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」や、「ティアーズ・イン・ヘヴン」もある(以下省略)。けれども、やはり最高なのはこの曲に尽きる。
でも、この曲のオリジナルであるロバート・ジョンソンの「クロス・ローズ・プルース」(2テイクある)は、クラプトン版とは全然違っている。これを聴いても、うっかりするとクラプトンの原曲とは気付かないくらいだ。そこには、クラプトンの「クロスロード」で特徴的なあのリフもない。
「クロスロード」と言えば、本場のブルースを聴いているときに、いくつか気がついたことがある。
ジョン・リー・フッカーに、「ダスティー・ロード」という曲がある。ヴォーカルのフレーズが「クロスロード」にちょっと似ていて、歌詞も少し共通している。全体にせわしなく、たたみかけるような曲調で、クラプトンの「クロスロード」のアレンジには、もしかするとこの曲からの影響が少しばかり反映されているのでは…と思った。
それからハウリン・ウルフの「ダウン・イン・ザ・ボトム」のリフが、クラプトンの「クロスロード」のリフと似ている。正確に言うと、クラプトンのリフの前(まえ)半分を繰り返しているような感じなのだ。
クラプトンは、ウルフ・バンドのギタリストであるヒューバート・サムリンの影響を受けている。当然この曲もよく知っていたわけで、「クロスロード」のリフのアイデアは、こんなところから得た可能性もわりと高いんじゃないか思われる。
でももちろん「クロスロード」が最高なのは、リフだけでなく、そのギター・ソロの素晴らしさによるんだけれど。

オシャレ系音楽から始まった(前回の記事参照)今年の新年は、いきなりブルースに飛んで、結局クリームに落ち着いたわけだ。はたして今年の私の音楽生活は、どんな展開になることやら。


2015年1月22日木曜日

私の好きな「オシャレ」音楽


私はロック・ファンとしては「硬派」だ。「硬派」のロック・ファンとは、どういうことかと言うと、ロックの中でもとりわけプログレッシヴで、アヴァンギャルドで、アグレッシヴなものを好むのだ。ひとことで言えばシリアスなロックが好き。ポップなものも嫌いではないが、イギリス的なねじれたセンスのポップが好きだ。そういうわけでロックでも、安直でお気楽(きらく)で能天気なのはノー・グッド。
しかし、そんな「硬派」な私でも、ときおり「オシャレ」で気の利いた音楽が聴きたくなることもある。そういうときに私が聴くのが、シャーデーと、スティーリー・ダンと、ホール&オーツだ。それぞれCDを数枚ずつ持っている。
じつは、この寒かった年末年始(2014年から15年にかけての)に、もっぱら聴いていたのが、この三つのグループだった。そこで、今回は私の好きな「オシャレ」音楽についてのお話。

ところでこの3組の共通点を強いて挙げるとするなら、いずれも音作りに関して完璧主義ということになるだろうか。そしてジャジーだったり、ソウルっぽかったりするが、とにかく高度に洗練されていること。オシャレだけれども、けっしてお気楽ではない。
この完璧主義がピークに達しているのが、シャーデーなら『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)、スティーリー・ダンなら『彩(エイジャAja)』(1977)、ホール&オーツなら『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(1981)あたりということになる。これらは、いずれも名盤であると同時に、それぞれの代表作ということになっている。

でも私の好きなのは、じつはそういうアルバムではなくて(一応持ってはいるのだけど)そこに至る少し手前の時期のアルバムなのだ。完璧になる前の、まだちょっとユルさのある音がいい。
シャーデーは、1984年に『ダイアモンド・ライフ(Diamond Life)』でデヴュー。いきなり独自のジャジーで洗練されたサウンドを確立した。その後『プロミス(Promise)』(1985)、『ストロンガー・ザン・プライド(Stronger Than Pride)』(1988)と、さらに洗練の度を高めていく。そして4年間のブランクをおいて発表した『ラヴ・デラックス(Love Deluxe)』(1992)は、まさにダイアモンドの結晶のようなアルバムだった。確信に満ちたサウンドが、美しく屹立していた。
面白いのは、アルバム・ジャケットの雰囲気も、こうしたサウンドの進化を何となく反映していること。どのアルバムもヴォーカルのシャーデー・アデュの美しいポートレイトなのだが、ファーストの『ダイアモンド・ライフ』のジャケットでは、まだどこか媚を売るようなメイクだった。それが、アルバムを重ねるごとに、どんどん自立&自律した女性へと存在感を増していく。
そして『ラヴ・デラックス』では、黒く硬質なひと固まりのオブジェと化したヌードで登場している。さらにその後に出たベスト・アルバム『Best Of Sade』(1994)では、ジャケットいっぱいにクローズアップされたアデュの顔が、悠然とまっすぐこちらを見つめているのだった。
私はフェミニストのつもりだし、自立した女性は好きだが音的には、完璧な『ラヴ・デラックス』よりも、もう少し穏やかな音を好む。アルバムでいうと、セカンドの『プロミス』あたり。スモーキーなアデュのヴォーカルが漂わす、はかなげな風情が何ともたまらない。

スティーリー・ダンの二人(フェイゲン&ベッカー)も完璧主義だ。職人的、もしくは病的といってもいいくらいに。そのこだわりが頂点を極めたのが、1977年の『彩(エイジャ)』ということになる。
当時、愛読していた『ミュージック・マガジン』誌上でも、このアルバムは大きな話題になった。超一流のスタジオ・ミュージシャンをぜいたくに起用した演奏の完璧さと、細部までこだわり抜いた精緻な音作りが絶賛されていた。以後、『彩(エイジャ)』はロック史に輝く名盤という定評を得ることになる。私にとっても発売と同時に購入して繰り返し聴いた思い出深いアルバムだ。
しかし、今はほとんど聴かない。なるほど演奏もサウンドも完璧かもしれない。だが、肝心の曲そのものに魅力がないのだ。スティーリー・ダンの曲と言えば、「ドゥ・イット・アゲイン(Do It Again)」(73)とか「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」(74)が印象深い。けれども、『彩(エイジャ)』には、これに匹敵するような名曲が一曲も入っていないのだった。

というわけで私的には1974年のサード・アルバム『プレッツェル・ロジック(当時は副題が「さわやか革命」)』あたりが好きだ。のちにドゥービー・ブラザースに入るジェフ・バクスターがまだバンド・メンバーだった頃の作品だ。この人の豪快でおおらかなギター・プレイが、このアルバムにほんの少しだけ泥臭くてのどかな雰囲気を付け加えていた。そこがよいのだ。

ダリル・ホール&ジョン・オーツは、言うまでもなく80年代のオシャレ音楽界を席巻したグループである。そんな彼らのサウンドのピークを記録したのが、3枚のセルフ・プロデュース作、すなわち『モダン・ヴォイス(Voice)』(1980)、『プライベート・アイズ(Private Eyes)』(81)、そして『H2OH2O)』(82)ということになる。いずれも完璧なサウンドによる怒涛の勢いのヒット曲が並んでいる。ほとんど「産業ロック」とも呼べそうなのだが、その手前で何とか踏みとどまっている感じだ。それはこの人たちが完全な商業ベースではなくて、その根っこにかろうじてロック・スピリットを持っていたからではないかとも思う(とくにダリル・ホールの方。彼はクリムゾンのロバート・フリップとも共演している)。

しかし、やっぱり私が好きなのは、ちょっとくつろいだ感じのある彼らの初期のアルバムだ。中でもセカンド・アルバム『アバンダンド・ランチョネット(Abandoned Luncheonette)』(1973)がいい。ジャケットは、郊外の打ち捨てられたレストラン(つまりこれがアバンダンド・ランチョネット)。タイトル・ソングは、過去を回想しながら人生の機微を歌ったものらしい。しかし、ジャケットに写る都市の郊外のひなびた情景に、私はのどかな空気感を感じてしまう。そして、このアルバム全体の音にもまた、こののどかさを感じてしまうのだ。そこが気にいっている。

私の「オシャレ」音楽について、はこれでおしまい。
ここからはおまけ。今回の記事を書くにあたってネットを見ていたら、面白い話を見つけたので紹介しよう。
ひとつは「シャーデーの白いドレスの行方」(ブログ『STRONGER THAN PARADISE 踊るシャーデー鑑賞記』) 。アデュがライヴで着ていた白いドレスが、何とシニード・オコナーに受け継がれたという話。しかも、シニードは、例の事件の時、まさにこのドレスを着ていたというのだ。
そしてもう一つ、「ダリル・ホール&ジョン・オーツ Abandoned Luncheonetteの逸話」(ブログ『Entertainment Everyday ONE』)。これは、アルバム『アバンダンド・ランチョネット』に写っている件の廃屋となった実在のレストランをめぐる話だ。ホール&オーツのファンがここに立ち寄っては、記念に破片をもぎ取っていき、ついには消滅してしまったという。
どちらも興味深くてぐいぐい読ませる。文章もうまい。ネットの音楽についての記事と言えば、表面的な感想に終始したつまらないものが大半だが、その中で珍しく良質な読み物に出会えてうれしくなった。

えっ、おまえのこの記事も「表面的な感想に終始」してるだろうっ…て。その通りでした、すみません。


2014年12月5日金曜日

ボブ・ディラン&ザ・バンド 『ベースメント・テープス・ロウ』


ディランのブートレグ・シリーズ第111集『ベースメント・テープス・ロウ』(The Basement Tapes Raw: The Bootleg Series Vol. 11)を買った(201411月発売)。あくまで『…コンプリート(デラックス・エディション)』ではなくて、『…ロウ(スタンダード・エディション)』の方。
正直言って『コンプリート』と『ロウ』のどっちを買うか迷った。『コンプリート』が6枚組、全138曲収録で、お値段は¥20,000+税。これに対し、『ロウ』の方は、2枚組、全38曲収録で、値段は¥3,600+税。ディラン・ファンは、きっとみんな『コンプリート』の方を買ったんだろうな。私はいろいろ考えた末に『ロウ』にした。

このアルバムの発売を知ったとき、ブートレグ・シリーズの前作『アナザー・セルフ・ポートレイト』と同様、今回もやっぱりパスしようかなと思った。理由はふたつある。ひとつは、値段がバカ高いこと(デラックス・エディションの方)。他のアーティストのボックスと比較しても異様に高いし、これのスタンダード・エディションと比べてもおかしな値段設定だ。スタンダード・エディションが2枚組で3600円なんだから、6枚組なら3600円×3で、10800円くらいでよさそうなもんだ。これはあきらかにディラン・ファンの足元を見ている。いいかげんにしてほしいな。

そしてパスしようと思ったもう一つの理由は、1975年に出たペースメント・テープス・セッションの公式盤『地下室』が、そもそもあんまり好きじゃなかったからだ。
しかし久しぶりに『地下室』を引っ張り出して聴いてみたら、これがすごく良かった(という話は前回書いたとおり)。歳をとってこのアルバムの良さがわかるようになったということなのだろうか。これらの曲を録音した時のディランは、たしか26歳だったはずなんだけど。
ともかく、そうなると俄然、今回のブートレグ・シリーズの『ベースメント・テープス・コンプリート』が欲しくなってしまった。

折しも今月号の『レコード・コレクターズ』誌(201412月号)はこのアルバムの特集。ついじっくりと目を通してしまった。読んでいて記事の本題ではないけれど、75年の『地下室』に関する記述にはちょっとびっくり。『地下室』収録のザ・バンドのみの曲8曲は、本当はベースペント・テープス・セッションのものではないというのだ。看板に偽りがあったというわけだ。

あと今回の特集でひっかかったのは、『レコ・コレ』誌の特集がいつもそうであるように、このアルバムを過大に評価し過ぎている感じがすること。
ベースメント・テープスが、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』や、ザ・バーズの『ロデオの恋人』に影響を与えたというのは、まあわかる。しかし、さらにグレイトフル・デッドの『ワーキングマンズ・デッド』とか、ストーンズの『ベガーズ・バンケット』や『メインストリートのならず者』とか、トラフィックのセカンド・アルバム、そしてビートルズのゲットバック・セッションにまでその影響が及んでいるというのは、はたしてどうか。多少なりの影響はあったにしても、要するにルーツ・ミュージックへの回帰が時代の大きな流れだったということでしょ。ベースメント・テープスの影響だけを取り上げるのはちょっとおかしい。

で、それはともかく『ベースメント・テープス・コンプリート』はどうするか。買うのか、買わないのか。
記事中の文章でやっぱり気になったのは、『コンプリート』の内容についての次のような個所。「1分にも満たない断片的なものやグダグダな演奏のものまでひっくるめて、すべて入っていた」とか、「はっきりいって、ディランが歌っているのでなければ、ただのゴミといったものもなくはない」(佐野ひろし「新たな研究段階に入った“ベースメント・テープス”の実像」『レコード・コレクターズ』201412月号)
コンプリートと言うからには、たしかにそういうものも含まれているんだろうな。つまり、資料性が高いということにはなる。
でも、毎日楽しんで聴くにはちょっとヘヴィ過ぎる感じ。
そこで結局私は、スタンダード・エディションの『ベースメント・テープス・ロウ』を選択した次第。何で「ロウ(Raw)」というのか不思議だったけれど、これは『地下室』収録曲の音が後から手を加えられたものであるのに対し、こちらは「原形のまま」という意味のようだ。何だか『地下室』を過剰に意識しているような気もするのだが。
『ロウ』の方を買ったのは、結果的にはいい選択だったと思う。安いし、厳選された良い曲がいっぱい入っているし、しかも気軽に聴ける。この気軽に聴けるというのがいい。で、ここ最近、ずっとこればっかり聴いている。

『ロウ』収録曲のうち『地下室』とダブっている曲には、「復元ヴァージョン」とか「オーヴァー・ダブなし」と表示されている。『地下室』の曲と聴き比べてみたが、どちらもそれなりに良かった。ディランの歌の本質はそんな違いには左右されないという感じがする。くねくねとうねり、強引に引っ張るディランのヴォーカル・フレーズ。それが何だか魔法のように、私の心を引き付けるのだった。


2014年12月4日木曜日

ボブ・ディラン&ザ・バンド 『地下室』(1975)


ちまたでは、ディランのブートレッグ・シリーズ第11集『ベースメント・テープス・コンプリート』(The Basement Tapes Complete: The Bootleg Series Vol. 11、201411月)の発売が話題になっている。が、今回は、あえてこのブートレッグ・シリーズではなくて、ベースメント・テープスの最初の公式盤である1975年に出た『地下室』のお話。

今回のブートレッグ・シリーズも買おうかどうしようか迷った。こういうときに私は、手元にあるそのアルバムの関連音源を聴いてみることにしている。そこで今回はベースメント・テープス関連のアルバムということで、75年の『地下室』、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』、ディランの『ジョン・ウィズリー・ハーディング』、そしてついでにザ・バーズの『ロデオの恋人』なんかを聴き直してみたのだった。それぞれどんな関連があるかは省略。
そうしたら自分でも意外だったことに、久しぶりに聴いた『地下室』が、すごく良かったのだ。何で「意外」かというと、私はこのアルバムが、ずっとあまり好きではなかったからだ。ゴメンね。

私はこの『地下室』を、1975年の発売と同時に手に入れて、ずいぶん繰り返し聴いたのだ。しかし、全然その良さがわからなかった。
このアルバムが出た1975年といえば、ディランは生涯で2度目のピークを迎えていた頃だ。74年に『プラネット・ウェイヴズ(Planet Waves)』、75年には『血の轍(Blood on the Tracks)』、そして76年には『欲望(Desire)』が発表された。いずれも名盤だ。その深く鋭い叙情は、聴く者の心をわしづかみにした。
思えばこんな一連の名盤群のはざまに『地下室』は発売されたのだった。見劣りしてしまうのは、しょうがない。『地下室』のデモ録音のような大雑把な演奏と歌は、当時の私の心には全然響かなかったのだ。

ついでにいうと、『地下室』のアルバム・ジャケットもいただけなかった。あの猥雑でごちゃごちゃしたジャケットのイメージは、収められている曲と演奏が、庶民というか大衆の音楽に根ざしたものであることを表しているのだろう。その意図があまりにも単純過ぎて面白味がないのだ。
そんなふうだから、その後このアルバムを聴くことはめったになかったし、あまりいい印象も持っていなかったのだ。

ところが、今回久しぶりに引っ張り出して聴いてみたら、なかなか良かったというわけである。ファンキーでラフでワイルドなところがまず魅力的だ。しかも、それが気取っていなくて、自然体の演奏なのもいい。しかし、もちろんそれだけではない。それだけではないのだが、この良さをどう表わしたらいいのだろう。

ちなみに、このベースメント・テープス・セッションの曲を、ザ・バーズがアルバム『ロデオの恋人』で2曲ほどカヴァーしている。「どこにも行けない(You Ain't Goin' Nowhere)」と「なにもはなされなかった(Nothing Was Delivered)」だ。
ザ・バーズの『ロデオの恋人』は、カントリー・ロックの先鞭をつけた作品と評価されている。しかし、今の耳で聴くと、ここで聴けるのは、ただのつまらないカントリーそのものだ。ディランのカヴァー2曲も、じつに平板で凡庸な演奏。
しかし、この演奏を聴いてみて、逆にディラン&バンドの元の演奏がいかに魅力的かがよくわかる。ディランのうねうねとよじれた歌い回し、そしてバンドの悠然としたサポートぶり、それが一体となってじつに味わい深いのだ。

ところで、発売以来ずっと興味がなかったので、この『地下室』に関する情報は、ほとんど何も知らなかった。なので、今回、ブートレグ・シリーズの発売にあわせて遅ればせながら知った『地下室』に関する事実の数々は、私にとってはまさに“驚きの真実”だった。
いちばん驚いたのは、収録されている全24曲中、ザ・バンド単独の8曲が、じつはベースメント・テープスのものではなかったことだ。そればかりか、何とその8曲の中には、75年の時点での新録も含まれていたというのだ。
また、ディラン参加の曲にも、ザ・バンドによるオーヴァー・ダブが施されるなど、かなり手が加えられているという。これらは、このアルバムの編集にあたったロビー・ロバートソンの仕業ということだ。

ちなみにロビー・ロバートソンは、ずっと私のギター・ヒーローのひとりだった。ザ・バンドの曲作りの中心人物(「ザ・ウェイト」とかね)であると同時に、その渋いギター・プレイは他に類がなかった。しかし、だんだんこの人の良くない評判を聞くようになる。そしてあの映画『ラスト・ワルツ』で見た彼の姿。本当にうさん臭い人物に映った。
なるほど『地下室』を、本来の姿から、よりザ・バンド色の強い形に改変する事など、彼ならいかにもやりそうなことに思えた。

とはいえそんなディランよりもザ・バンド側に偏ったこのアルバムの音楽性は、割り切って聴けば、そんなに悪くはないのだった。ザ・バンド的にみると、ここで聴ける音は、『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』とセカンド・アルバム『ザ・バンド』の中間あたりに位置するように聴こえる。これはこれで良い。もう一曲「アイ・シャル・ビー・リリースト(I Shall be Released)」が入っていれば完璧だったのだが。
ただし、このアルバムを、オリジナルのベースメント・テープスが録音された1967年の作品と考えてはおかしなことになる。どちらかというとロバートソンが手を加えた1975年の作品と考えるべきだろう。だからこそ、オリジナルの形である今回のブートレッグ・シリーズの『ベースメント・テープス・コンプリート』の発売に大きな意義があるわけだ。

さてそれで、ブートレッグ・シリーズの方は買ったのか?って。それはまた次回にね。


2014年11月29日土曜日

ジョージ・ハリスンの箱


ジョージ・ハリスンの箱、「アップル・イヤーズ196875」が発売された(20141015日国内発売)。ジョージ・ハリスンがアップルから出した最初のソロ・アルバム6作を、リマスターしてDVDと本つきでボックスにしたものだ。
 私もビートルズ好きで、ソロ初期のジョージ・ハリスン好きで、しかもついでに「箱」好きときているから、当然この箱にも興味をそそられたのだった。

しかしやっぱり引っかかるのは最初のソロ・アルバム2枚。すなわち『不思議の壁』と『電子音楽の世界』のこと。これは、誰もが御承知のとおり、ジョージのアルバムではあるが、「別格」というか「番外編」の存在だ。思い切り言い方を変えれば、クズorゴミということになる。私も一応持ってはいる。持ってはいるが、どちらも2,3回しか聴いたことがない。それ以上聴く気も起きないし、また聴く必要もないシロモノ。これを、ボックスの一部とはいえ、また買い直すというのはかなり抵抗がある。

しかし、ここで考えはぐるぐる巡って、思い直すのだ。
もし、『オール・シングス・マスト・パス』が、オリジナル通りの形で再現されて収められているのなら、この箱を買ってもいいかな、と。

2001年に『オール・シングス・マスト・パス』のリマスター盤が、〈ニュー・センチェリー・エディション〉と銘打って出たのだが、これには本当にがっかりした。
「がっかり」の第一は、ジャケットが変更されていたこと。オリジナルのモノクロームの写真に、着色が施されてカラーになっていた。しかも、インナー・スリーブでは、このジャケットの風景の背景に、建物や高架の道路が描かれ、田園が都市化されていく様子を示していたのだ。そうやって「オール・シングス・マスト・パス」というフレーズの意味を、絵解きしたつもりなのだろう。けど、これじゃあ台無しだ。この言葉の持つ深遠な意味が、きれいさっぱりと拭い去られている。

がっかりしたことの第二は、アルバムの曲構成がいじられていることだ。元のアルバムにあった練り上げられた構成の妙が損なわれてしまっていた。
オリジナルはLP3枚組で、A面からF面までの6面の各面が、それぞれ巧みに構成されていた。ところが、このリマスター盤では、CD2枚組になり、ディスク1の最後、つまりLPではC面の後に、5曲のボーナス・トラックが追加されているのだ。これでは全体の流れが乱されてしまう。ボーナス・トラックの中には、「ビウェア・オブ・ダークネス」のデモ・テイクなど聴きものもあった。しかし、「マイ・スイート・ロード」の新録なんかは完全に蛇足だろう。
それでもこれだけならCD化の際によくあることだから、まあやむを得ないと言えなくもない。しかし、LPの3枚目のアップル・ジャムの収録にあたっては、曲順が変更されているのだ。3枚目の冒頭にあった「アウト・オブ・ザ・ブルー」が、ラストに回されている。これはかなり違和感がある。

そんなわけで、今回のボックスに収録されている『オール・シングス…』が気になったわけなのだ。本来の形に戻されていればよいのだが…。事前の情報によると、ジャケットはオリジナルのモノクロを再現している(ただし箱ではなくてデジパック仕様)ようなのだが、中身は、2001年のリマスター盤と同じとのこと。これでは、がっかりだ。

それでも、こういうときの常で、一応手持ちの盤で、この箱に収められている6枚のアルバムを聴いてみることにした。
『不思議の壁』と『電子音楽の世界』の2枚は、やっぱり今聴いてもゴミでした。
『オール・シングス…』は、やっぱり素晴らしい。ぜひともオリジナルを再現したエディションを発売してほしいと思う。くどいようだけど、私の要望は次の点だ。①ジャケットはモノクロのボックス仕様。②CDLPにならって3枚組。③インナー・スリーブもオリジナルとおりの色違いを再現。④そして、当然、アルバム構成は、オリジナルとおりで、もちろん曲順はそのまま。ボーナス・トラックはいらない(どうしても入れるならディスク2のラストに)。

さて、『オール・シングス…』の後に出した3枚のソロ・アルバムはどうか。『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』、『ダーク・ホース』、そして『ジョージ・ハリスン帝国』の3枚だ。
ところで『不思議の壁』と『電子音楽の世界』はあくまで「番外編」、『オール・シングス…』は、それまでビートルズ時代から書きためた曲をいっきに大放出したスペシャル版ということなので、本来の意味でのジョージのソロ・アルバムは、『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』からだ、と言っている人がいる。たしかにそうなのだろう。そして、そうだとすると、ジョージ・ハリソンという人の才能は、まあ「それなり」ということになる。この3枚のアルバムが、どれも「それなり」の出来だからだ。

ただ、この人の曲とヴォーカルには、何とも言えない哀愁がある。とくにこの3枚には、『オール・シングス…』よりももっと強く哀愁を感じる。『オール・シングス…』の音はかなり厚めだったので、それがない分、よけいはっきりとヴォーカルの個性が聴こえるのだろう。ジョージの根強いファンの多くがこの哀愁に魅かれるのも良くわかる。
しかし、私にとってのジョージは、結局『オール・シングス・マスト・パス』だけの人なんだなあ、ということをあらためて確認したしだ次第。
で、結論、「アップル・イヤーズ196875」は買いません(でも、中古で安く出ていたら買ってもいいかなあ…)。


2014年9月27日土曜日

ブランドXの夏


今年の夏も暑かった。そんな暑い日々に毎日聴いていたのがブランドXだった。
8月のあたまに、再結成CSNYのフヌケた音を聴いていた反動もあって、何だか気分がシャッキリするような音が聴きたかったのだ。ブランドXは、ひんやりして気持ちよかった。

もっともブランドXを聴く直接のきっかけは、例によって『レコード・コレクターズ』誌だった。
同誌20149月号で目にしたのがブランドXのアルバム再発の記事。初期6作品が、あらたにSHM-CD化され、紙ジャケ(これは2回目)で再発されるとのことだ。誌面の見開き2ページを使って、その6作品が紹介されていた。
私は高音質化の再発には興味がないので、買い直す気にはならなかったのだが、この記事を目にして、久しぶりにブランドXのCDを引っ張り出して聴いてみる気になったのだ。

ちなみに私にとってのブランドXは、アルバムで言うと最初の4枚まで。すなわち次の4枚だ。

第1作 「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(76年)
第2作 「モロカン・ロール(Moroccan Roll)」(77年)
第3作 「ライヴストック(Livestock)」(77年)
第4作 「マスクス(Masques)」(78年)。

ブランドXが、本当に神がかっていたのはここまでだった。これは私だけでなく、大方のファンが認めるところだろう。5枚目以降は、「ふつう」の技巧派バンドになってしまった。
面白いのは、アルバムのデザインもこの変化をそのまま反映していること。4作目までは、それなりに個性的で印象深いデザインなのだが、5枚目以降はかなりひどいものになっている。

■英国的フュージョン?

ブランドXは、言うまでもなく超絶技巧派集団だ。しかし、このバンドの良さは、その超テクニカルな音が、あくまで英国的なこと。英国的なヒネリとウイットがあって、クールであると同時に叙情的で何とも言えない陰影がある。
そんな彼らの特徴をもっともよく表しているのが、第1作の「異常行為(Unorthodox Behaviour)」(現在の邦題は「アンオーソドックス・ビヘイヴィアー」)だろう。

このアルバムは、当時アメリカで流行っていたクロスオーヴァー/フュージョンに対する英国からの回答、なんて言われたものだ。しかし、ここで聴ける音は、アメリカのそれとは決定的に違っていた。
アメリカの超絶技巧派のミュージシャンの大半は、「思想」を持っていない。つまり、その音楽を通して表現したいコトが感じられない。ようするに、言葉は悪いが「音楽バカ」なのだ。だから、たちまち安易な商業主義音楽に成り下がってしまった、とも言える。
中には、チック・コリアのように、一時はフリー・ジャズをやっていて「思想」がありそうに見えたのに、結局は確信犯的にリターン・トゥ・フォーエヴァーのような金儲け主義に走った人もいる。

これに対し、ブランドXの音には、知的なセンスが感じられた。いわばプログレ的フュージョン。異様にねじくれたフレーズもそうだし、とくに第1作1曲目の「ニュークリア・バーン(Nuclear Burn)」に特徴的な異常な熱のようなものもそれを感じさせた。ブログを見ていたらこの「異常な熱のようなもの」を、「怨念がこもったような音」と表現している方がいた(「ノブりんのブログ」)。こう表現したくなる気持ち、すごくよくわかる。

もっとも、ブランドXに「思想」があったのは、最初のほんの一時期のことだった。4作目の『マスクス』あたりから、ポリシーなき「思想的」漂流が始まり、以後、先にも書いたとおり、「ふつう」の技巧派バンドになってしまったからだ。そうなるとアメリカ産のフュージョンと違いがなくなってしまう。でも、とにかく初期4作の知的で翳りのある音世界の輝きは永遠のものだ。

■ブランドXのユーモア感覚

音そのものとは関係ないが、彼らの英国的なユーモア感覚は、その曲名のセンスにも現れている。たとえば、第1作の中の「Enthanasia Waltz(安楽死のワルツ)」とか、「Born Ugly」(醜く生まれる)なんかかなりヒネくれている。
このファースト・アルバム録音前の発掘音源集(ジョン・ピール・セッション?)である『ミッシング・ピリオド(Missing Period)』(97年)というアルバムが出ている。ここでは、その後のアルバムに収められた曲の原曲が演奏されているのだが、その曲名がかなり可笑しい。
たとえば上の「Born Ugly」の原曲は「Dead Pretty」(可愛く死ぬ、もしくは、とても可愛い)。それから第2作収録の「Why Should I Lend You Mine」の原曲は、「 Why Won't You Lend Me Yours?」といった具合(つまり「僕」と「君」が入れ替わっている)。
さらに「Miserable Virgin(ミゼラブル・ヴァージン)」というのもあって、これはもちろん名曲「Malaga Virgen(マラガ・ヴィルゲン)」のもじりというか駄シャレだ。マラガ・ヴィルゲンというのは、たしかスペインのマラガ産の白ワインのことだったと思うど。この「ミゼラブル・ヴァージン」のヴァージンには、ヴァージン・レコードがかけてあるらしい。
こんな言葉遊びもいかにも英国的だ。

■『ライヴストック』の思い出

初期の4枚のアルバムの中でも、彼らの最高傑作は3作目の『ライヴストック』だろう。私にとってもこのアルバムは、もっとも印象深いアルバムだ。
かつて、学生時代に朝から晩まで、文字通り一日中、音楽を聴いていた時期があった。その頃もっとも頻繁に聴いたのが、ジェネシスの『フォックス・トロット』だった。このアルバムの思い出については、別に記事を書いたことがある。
そして、その次によく聴いたのが、この『ライヴストック』だった。当時はLPの時代。A面を聴いては、ひっくり返してB面へ。そして聴き終わるとまたA面へ。これを一日中、際限なく繰り返したものだ。
『フォックス・トロット』と『ライヴストック』は、音楽的にはだいぶ傾向が異なる。しかし、あらためて考えてみると、聴いている者を作品の世界にディープに引きずり込むという、いわば麻薬的な魅力を持つという点では共通している気もする。あと、ドラマーが、どちらもフィル・コリンズという点も共通しているわけだけど。

■『ライヴストック』はオリジナル・アルバム

しかしこの『ライヴストック』は、ブランドXの代表作でありながら、じつは音作りの点で、彼らの作品全体の中では、むしろ例外的な作品と言える。このアルバムの印象は、とにかく静か。陰影を強調したクールでデリケートな音の世界が、ゆるやかに展開されている。ひとことで言うと、青白い炎がメラメラと燃えているような感じだ。
先行する第1作と第2作にも、そして『ライヴストック』の次作の第4作にもこの感じはない。『ライヴストック』の音は、これらの中で一番知的でクールなのだ。強いて言うなら、同時期に作られた第2作『モロカン・ロール』の内のいくつかの曲に、これに近い感触がある。

この音の違いは、他の3枚がスタジオ作であるのに対し、『ライヴストック』がライヴ録音だからということでもないようだ。後年になって発売されたブランドXの当時のライヴ音源(『タイム・ライン』とか『トリロジー』など)を聴いても、その音はアグレッシヴで、同じライヴなのに『ライヴストック』の印象とは全然異なっている。

この『ライヴストック』独特の音について、うまく言い当てているのは立川芳雄の次のような一文だ。

一つ一つの楽器の音はクリアーで、音圧が低めなせいもあって居丈高な感じがしない。そしてキラキラした高音が強調されており、深くかけられたエコーが奇妙な非現実感を醸し出す。
数あるブランドXの作品のなかで、こうした特長的な音像を持っているのは本作(『ライヴストック』)と『モロカン・ロール』だけ…。
立川芳雄『・プログレッシヴ・ロックの名盤100』(2010年リットーミュージック)

『モロカン・ロール』の音も同じ、というのは同意しかねるけれども、『ライヴストック』の音の特徴と、それがブランドXのアルバムの中でレアであるということを、ちゃんと言っている点は貴重だ。
結局、このアルバムはブランドXのアルバムの中で先にも書いたように例外的なアルバムなのだが、そのことによってこのバンドの良さがもっとも良く現れたアルバムとも言えるだろう。
その辺について『ライヴストック』のライナーは、次のように説明している。

コリンズが参加している3曲(御隠居による注 「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」)が比較的クールな印象のトラックということもあり、後年に発表されたライヴ・アルバムに比べると押しの強さに欠ける嫌いもあるのだが、(中略)あえて引きの曲を中心に据えたことで、彼らの多面的な個性がより浮き上がってくる内容に仕上がっていると言えるだろう。(中略)
ブランドXというバンドの特質がもっとも活かされるスタイル(中略)で制作されたのが本作…。
鮎沢裕之『ライヴストック』2006年紙ジャケ盤ライナー

回りくどい言いまわしだけれども、言いたいことはわかる。クールな曲を中心にした選曲は、特定の意図によっているということだ。
さっき触れたレアな音作りといい、このかなり意図的な選曲といい、結局『ライヴストック』は、彼らのライヴをありのままに記録したのではなく、むしろライヴの音源を素材にし、加工して、新たな作品として再構成されたオリジナル・アルバムと言えるだろう。

■『ライヴストック』の音

『ライヴストック』は、まずそのジャケットから印象的だ。
いかにもイギリス的な田園風景の中に停車している透明な車。その車の開いたドア(どこでもドアの車版)からのぞく、スリムでセクシーな脚。このアルバムのクールでしかも官能的な音の世界が、じつにうまく視覚化されている。
しかしこの美脚の印象がいくら強力だったからとはいえ、まさかその後に、脚フェチ・ジャケ路線として引き継がれていくことになろうとは…。もちろんアルバム『ドク・ゼイ・ハート?(Do They Hurt? )』(80年)と、『Xコミュニケーション(Xcommunication)』(92年)のことなのだが、どちらもビジュアル・センスがどうしようもなく劣悪なのが悲しい。

『ライヴストック』でもっとも印象的なのは、アルバムのオープニングだ。
冒頭の曲は「ナイトメア・パトロール(Nightmare Patrol)」だが、メイン・パートのエレピのソロが始まるまでの曲のイントロ部分が素敵だ。真っ暗な夜空から、たくさんの星くずがキラキラと輝きながらゆっくり舞い降りてくるような印象。
この部分については、ブログ「Office Chipmunk」の筆者の方の次のような形容に私も同感だ。

オープニング「Nightmare Patroll」のフェード・インからテーマが決まるまでの神秘的な演奏は、 SOFT MACHINE の名曲「Facelift」にも似た法悦の瞬間がある。
ChipmunkOffice Chipmunk」(ブログ)

このアルバムの全体に漂っている浮遊感や、透明で硬質で翳りのある叙情性を、このオープニングはみごとに象徴していると言えるだろう。
オープニング曲に続いて、フィル・コリンズ参加の曲が続いている。すなわち「Ish」、「安楽死のワルツ(Enthanasia Waltz)」、「アイシス・モーニングⅰ,ⅱ」の3曲だ。いずれも一見地味で控えめでクールな音だ。間()を生かした、侘び寂びとも幽玄とも言える世界が紡がれていく。しかし、その奥で、透明な青い炎がメラメラと燃えている。この感じが麻薬的だ。

そしてアルバムのエンディングが「マラガ・ヴィルゲン(Malaga Virgen)」。それまでの3曲で抑えに抑えていたものが一気に噴出するような、素晴らしい疾走感だ。快感だ。この快感を堪能したくて、何度も何度もこのアルバムを聴いていたような気がする。
それにしても、このアルバム、曲数は少ないが、じつによく練られた作品構成になっていると思う。

このアルバムにすっかりヤラれた私は、ものすごく期待してこの次の第4作「マスクス(Masques)」(78年)を買ったのだった。しかし、魔法はもう消えかけていた。相変わらずテクニカルだけれど、英国的な翳りや繊細さは薄れ、なんだかスッキリしてドライな感じになっていた。曲によっては、リターン・トゥー・フォーエヴァーに限りなく近い音に聴こえた。
以後のブランドXは、このアメリカ寄り路線をどんどん推し進めていったのだった。残念だ。


2014年9月16日火曜日

ザ・ポップ・グループの『ウィ・アー・タイム』が再発されるらしい


9月に入ってようやく秋の気配を感じるようになった。
それにしても今年の夏も暑かった。暑い上に、私の場合は身内の入院などもあって身辺が落ち着かなかった。そのためなかなか精神的に集中できず、このブログも更新できないままになってしまった。

■最近の『レコ・コレ』誌の特集についてあれこれ

そんな暑い夏に届けられた『レコード・コレクターズ』誌。毎号楽しみにしているのだが、特集がどれも今ひとつ。暑さを忘れる役には立ってくれなかった。
20149月号のメイン特集は、「日本の女性アイドル・ソング・ベスト100」。取り上げられている曲は、リアル・タイムで聴いていたから、いろいろと思い出もある。しかし、この手の特集は、いつもそうなのだが、どれもこれもあまりに褒めちぎリ過ぎ。そこがどうにもシラケてしまうのだ。結果的に時代を反映してはいても、創造性とか表現という点では、そんなたいそうなものじゃないでしょう。

この号の第2特集がピンク・フロイドの『対』。
『対』は、ロジャー・ウォーターズ脱退後のギルモア期の作品。この時期のピンク・フロイドは、過去の遺産で食っているナツメロ・バンドだ。私にとっては、もうピンク・フロイドではない。なので、この特集にも興味なし。

続く10月号の特集は、ポール・マッカートニー&ウイングスの『ヴィーナス・アンド・マース』と『アット・ザ・スピード・オブ・サウンド』。これってポールのアルバムの中では、言わずと知れた「凡作」と「駄作」。だからこそのセット扱い(リマスター発売も、この特集も)ということか?いずれにせよ読む気が起こらない。

10月号のもうひとつの特集が、オールマン・ブラザーズ・バンドの『1971 フィルモア・イースト・レコーディングス』。これは久々のヒットだ。
これまで、いろいろな形で発表されてきたこのときのオールマンズのフィルモア・イースト音源。この特集では、演奏そのものについてだけでなく、これまでのさまざまなエディションについても触れられていて、この雑誌らしい、まさにかゆいところに手が届くような内容になっている。
まあこの6枚組は、高価なせいもあるけど、あまりにも資料的な感じがして買う気になれないけどね。

ちなみに次号予告によると11月号の特集は、またもや「女性アイドル・ポップス・ベスト100」で、今度は80年代編とか。もういいかげんにしてくれよ。


■ザ・ポップ・グループの再発

10月号のページの中で、特集よりも記事よりも、私の目を釘付けにしたのは、ある小さな広告だった。それは、ザ・ポップ・グループのアルバム『We Are Time』の再発のお知らせ。
We Are Time』は、ザ・ポップ・グループのサード・アルバムにあたるが、オリジナル・アルバムではなく、ライヴ、デモ、アウト・テイクを編集したレア音源集だ。そのためかアルバムとしては、たぶん過小評価されていると思う。しかし、ここに収められているライヴ音源など、当時の私には衝撃的だった。
それが、リマスターされて紙ジャケ化されるとは。後年になって『Idealists In Distress From Bristol』というライヴ音源もCD化されたが、やはり『We Are Time』の音の破壊力は格別だ。また、じっくり聴いてみたいな。

これとあわせて『Cabinet of Curiosities』という、レア音源集も出るとのこと。これも買いだな。ただ、輸入盤で『Curiosities という2枚組も出てるのだが、これとどう違うのだろう。曲をセレクトして1枚にしたのだろうか。よくわからん。

それにしても、ザ・ポップ・グループがらみの再発が、しぶとく続いている。
ちなみに去年の私の最大の収穫は、リップ・リグ&パニックの三枚のアルバムの再発だった。リップ・リグは、ザ・ポップ・グループの残党が結成したグループのひとつ。彼らのアルバムは、それまで長いこと廃盤状態だったのだ。
こうした再発の動きは、ロックの歴史におけるザ・ポップ・グループの評価が深く静かに続いているという背景があるだろう。たしかにすごいグループだった。彼らのヒリヒリするような音は、今聴いても、いやむしろ今だからこそ、最高にリアルだ。


2014年8月7日木曜日

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング 『CSNY 1974』


あっという間にもう8月。毎日暑いですねえ。
さて今年の7月の私の音楽生活における最大の関心事は、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの『CSNY 1974』の発売だった。
ファンなら当然4枚組を買うんだろうなあ。3CD+DVDの4枚組で7千円也。そんなに高価というほどでもない。私もCSN&Yは大好きだから、最初はこの4枚組を買おうかと思った。しかし、「1974年もの」というのがどうにもひっかかった。1974年のCSN&Yといえば、一度解散した後のリユニオン。内容は大丈夫なんだろうか。

CSN&Yは、68年から70年のオリジナルCSN&Yが何といっても最高。私にとってCSN&Yと呼べるのは、唯一この時期の彼らだけだ。その後、現在に至るまで彼らは解散と再編を性懲りもなく何回も繰り返してきた。しかしオリジナル期以降は、急速に音楽の質が低下している。
91年にCD4枚組のボックス・セット『CSN』が出た。その時点までのCS&Nの曲を、クロノジカルに並べたものだ。したがって全体の半分以上はオリジナルCSN&Y期以降の曲なのだが、これがほとんど聴くにたえないものばかり。高いお金を払ってこのボックスを買ったことを後悔したものだ。今回もそんな後悔はしたくない。

1,974年の再編ツアーのCSN&Yは、はたしてどうだったんだろう。良いのか悪いのか。金目当てのあざとい匂いがしないでもない。しかし、もしかするとオリジナル期の音楽的な良心や熱気の余韻が、まだ少し残っているのかもしれない。
しかし、このツアーについては、当時日本でもあまり話題にならなくて、内容についての情報はほとんど伝わってこなかった。とりあえず今回のアルバムを買ってみればよいわけなのだが、私はその前にあえてじっくり検討をしてみることにした。無駄なものは買いたくないしね。
今号の『レコード・コレクターズ』誌(20148月号)が、おりしも、『CSNY 1974』特集。そこでこれを熟読してみた。4枚組の内容はだいたいわかったが、その良し悪しについてはわからない。何しろ特集記事というのは、やたらにほめまくっているからね。

ざっと曲目を見て気になったのは、それぞれのソロ・アルバムからのあまりおなじみでない曲が多いこと。これを延々3枚にわたって聴かされのはたまらんなあ。しかし、振り返ればあの名作『4ウェイ・ストリート』の曲の多くは、ソロ曲だったわけだ。それでも演奏が素晴らしくて、選曲についてはまったく気にならなかった。今回もそうなんだろうか。

いろいろ考えた結果、私が選んだ結論は、4枚組ではなくて、これをCD1枚に凝縮したエディション『CSNY 1974<エッセンシャル>』を買うことだった。最初4枚組と同時に、1枚ものも出ると聞いたときは、そんなもの誰が買うんだろうと思ったのだが、まさか自分が買うことになるとは。
この1枚ものヴァージョンには、4枚組の内のCD3枚に収められている全40曲から、16曲がセレクトされている。内訳は、エレクトリック・セット(4枚組のディスク1と3に収録)から8曲、アコースティック・セット(ディスク2に収録)から8曲と、きれいに半分ずつ。

これを選んだ理由は、二つある。ひとつは、4枚組の全40曲の中からオリジナルDSN&Yの曲がだいたい収録してあること。オリジナルCSN&Yの曲でここに収録されていないのは、「カット・マイ・ヘア」、「デジャ・ヴ」、「プリ・ロード・ダウンズ」の3曲(アウトテイクの「ブラックバード」を入れれば4曲)。クロスビー作の「カット・マイ・ヘア」と「デジャ・ヴ」が聴けないのは残念だが、これはあきらめることにする。
もうひとつの理由は、コンサートのオープニング・パートの4曲とエンディングの2曲がそのまま収録されていること。多少なりともツアーの雰囲気をしのぶことができるような気がしたのだ。
というわけで、この1枚ものの<エッセンシャル>版を発注したのだった。輸入盤はアマゾンで1400円ちょっと。これなら失敗してもいいかな、と思った。

発売日の7月23日に無事到着。
ジャケットの出来は、今ひとつ。大観衆を前にした4人を、ステージ奥から撮ったカットがあしらわれているが、アート・ワークにしまりがない。これでは内容の方もあまり期待できない感じ。
以下、各曲についてコメントするが、全体的な感想としては、やはり今ひとつの出来。とくに、オリジナルCSN&Yの売り物であった、シャープでパワフルなコーラス・ワークがどこにも見当たらなかったのは致命的。繊細さや張りつめた緊張感みたいなものも希薄で、彼らの70年のライヴを収めた『4ウェイ・ストリート』には遠く及ばない内容だった。
ただし、ニール・ヤングとデヴィッド・クロスビーの曲は、いずれも素晴らしい。まあヤングに関しては、この人が歌いだすとCSN&Yではなくてニール・ヤングの単独ソロ・コンサートのおもむきになってしまうのだったが。この二人に関しては、できれば他の曲を聴いてみたい気持ちになった。でもまあいいや。

というわけで、1枚もので買ったのは、とりあえず正解。『CSNY 1974』は4枚組ではなく、1枚ものの<エッセンシャル>で十分というのが私の結論だ。
 以下、各曲についてのコメント。


1 愛への讃歌

聴いたことがない曲が始まったと思ったら、それが「愛への讃歌」だった。いかにもスティルスらしいラテンぽいリズム・アレンジのエレクトリック・ヴァージョンだ。
オープニング曲だから、練りに練ったアレンジで意表を突いたのだろうが、全体にもったりとして、すっきりしない。スティルスのヴォーカルも、ちょっと力み過ぎ。『4ウェイ・ストリート』でのようなシャープな爽快感はない。

この印象がじつは、このアルバムの全体の内容に共通するものだった。その意味で、このオープニングナンバーは、このアルバムを象徴しているとも言える。

2 木の舟

この曲は69年のウッドストック・フェスでの名演が何といっても印象深い(映画『ウッドストック』のサントラなどに収録)。スピード感があって、ドラマチックで、胸に迫るような切実な感じがあった。
それに比べると、ここでの演奏は、集中力に欠けていて散漫な印象。スティルスのギター・ソロも、今ひとつノリきれていない感じ。これでは全然物足りない。

3 イミグレイション・マン

クロスビーとナッシュの最初のデュオ作収録曲。ナッシュのヴォーカルがちょっと力み気味で、演奏全体もオリジナルよりヘヴィーな印象。コーラスはCSN&Yのわけなのだが、あのシャープでパワフルなコーラス・ワークを聴くことは出来ないのだった。スティルスのギター・ソロは、ここでも今ひとつ。

4 ヘルプレス

『デジャ・ヴ』収録のニール・ヤングの曲。この人が出てくると、たちまちこの人独特の世界がそこに現れる。オリジナルは名曲ともヤングの代表曲とも思わなかったが、ここでの演奏はよい。
せつせつとしていて、しみじみと聴かせる。ここまでのコンサートの冒頭3曲が、どれもパッとしなかったので、この曲まできて何だかほっとする。
ヤングのギター・フレーズをまねた、スティルスの「訥弁」ギター・ソロがちょっと可笑しい。

5 ジョニーズ・ガーデン

 スティルスがマナサスでやっていた曲。いかにもこの人らしい(?)、可もなく不可もない煮え切らない曲。この曲は、個人的にはいらなかった。ヤングのギター・ソロが聴けるが、冴えはなし。

6 リー・ショア

上の曲のあと、4枚組のディスク1の後半(ソロ曲が続いている)がカットされて、次に来るのがディスク2のクロスビーのこの曲。ここからアコースティック・セットのパートになる。4枚組では、次の「チェンジ・パートナーズ」が先なのだが、スティルスの曲が2曲続くのを避けたのか、ここだけ順番が入れ替わっている。

曲は『デジャ・ヴ』のアウトテイクで、『4ウェイ・ストリート』が初出。『4ウェイ…』での演奏は、ピーンと張りつめた緊張感があって素晴らしいものだった。
この1974年の演奏は、ジョー・ララのパーカッションがポコポコと鳴っていたり、控えめながらスティルスのエレクトリック・ギターがヴォーカルに寄り添ったりと、ちょっと様子が違っている。しかし、なかなか悪くない。クロスビーの繊細で研ぎ澄まされた感覚が伝わってくる良い演奏だ。

7 チェンジ・パートナーズ

スティルスのソロ2作目の冒頭に入っていた曲。ここでは3本のマーティンD-45で、アコースティック化して演奏している。しかし、オリジナルを聴いたときも、つまんない曲だと思ったものだが、その印象は変わらず。
しかもコーラスが、せっかくのCSN&Yなのだが(Yの声が前面に出ている)、往年のCSN&Yらしいパワフルなコーラスの魅力は聴けない。

8 オンリー・ラヴ

ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』収録のおなじみの曲。これも「ヘルプレス」同様、ヤングの声が聴こえると、たちまちCSN&Yではなく、ニール・ヤング・ワールドが立ち現れる。
素朴でしみじみとしたよい演奏だ。クロスビー&ナッシュのバック・コーラス、スティルスの控えめなピアノも好ましい。そして、アカペラで歌われるエンディンがとてもよい後味を残す。

9 僕達の家

グレアム・ナッシュの人気曲だが、私には甘過ぎてあまり好きではない。
ナッシュのピアノ弾き語りに、他の3人がコーラスをつけている。この4人のハーモニーが意外によい。繊細でデリケートなふくらみのあるコーラス・ワークを聴かせてくれる。思わぬ拾いもの。

10
 グウィニヴィア

デヴィッド・クロスビー作のCS&N1作目収録曲。
もともと名曲だが、ここでの演奏はまさに名演。このアルバムのハイライトと言える。
クロスビーのギターに乗って、クロスビー&ナッシュのハーモニーがデリケートに夢幻の世界をつむぎ出す。ライヴ録音でありながら繊細さにおいては、オリジナルのスタジオ版をはるかに上回っている。

11
オールド・マン

ニール・ヤングの『ハーヴェスト』収録曲。ヤングはこの『ハーヴェスト』で大ブレイクを果たしたわけだが、一般ウケするアルバムの多くがそうであるように、ヤングの強烈な個性は抑え気味で、私には物足りないアルバムだった。この曲もそれほど印象に残るような曲ではなかったが、ここでの演奏はなかなか良い。ヤングのギター弾き語りに、クロスビー&ナッシュがバック・コーラスをつけていて、やはりCSN&Yというよりは、ヤングのソロ・ステージの印象。
ヤングのヴォーカルは、孤独と寂寥と諦念が感じられて胸に迫る。そしてエンディングのヴォーカル・フレーズの微妙なくずし方がしみる。

12
ティーチ・ユア・チルドレン

おなじみナッシュのヒット曲。個人的には、軽過ぎてあまり好きな曲ではないので、ここに入っていなくてもよかったのだが。『4ウェイ・ストリート』での演奏に比べると、出来としては少し落ちるのでは。

13 組曲:青い眼のジュディ

この曲が、このツアーではアコースティック・セットのエンディングだったという。
 冒頭から何だか元気がない。集中力に欠けているというか、張りがないというか。結局この感じが最後まで続いていく。ギターのブレイクを活かしたり、ヴォーカルにコブシを効かせてみたり、なんていう新しい工夫も見られるが、全体としては長丁場をただ辿っているだけという印象。往年のような(といっても4年前なんだけど)精彩とシャープさに欠けていて、凡庸な演奏だ。逆にあの頃の(つまり1970年以前の)彼らが、いかに神がかっていたかがわかる。

14
ロング・タイム・ゴーン

ここから再びエレクトリック・セットに戻る。というか、ここからの3曲で、コンサート終盤の様子を再現している。

この曲は、CS&Nのファースト収録曲だが、何といっても『4ウェイ・ストリート』での激しい演奏が印象的。それに比べると今回はややおとなしい感じだ。
『4ウェイ…』で聴けたヤングの張りつめたようなギターの爆音がないのと、リズム隊の演奏が、ビートを細かくしてフラットなアレンジになっているのが、おとなしく聴こえる原因だろう。
しかしそのフラットでゆるやかにうねる伴奏に乗って、怒りをぶつけるかのように歌うクロスビーのヴォーカルが、ひときわ際立っている。めらめらと燃える炎が、じわりじわりと大きく燃え上がっていくようだ。これはこれで、なかなかの名演。ヤングのギターが控えめで爆音が聴けないのがちょっと残念だけど。

15
シカゴ

ナッシュのプロテスト・ソング。『4ウェイ…』でも、ピアノ弾き語りで歌っていたが、こちらはエレクトリック化してのバンド演奏。しかし、その分パワー・アップしたかというとそうでもない。たしかにナッシュの歌い方は、以前ょりも激しいのだが。
それにしても、この人はときどきプロテスト・ソングを歌っているのだが、何だかプロテストを商売に利用しているようなフシが感じられて胡散臭い。

16
オハイオ

ニール・ヤング作のプロテスト・ソング。これも『4ウェイ…』でやっていた曲。この1974年のライヴで、ヤングの曲はどれもよい演奏だったので、この曲がとどめをさすかと期待したが、そうはいかなかった。『4ウェイ…』での演奏に比べると、コーラスもバンドの演奏も躍動感の薄い平板な出来だ。たぶんスティルスが弾いているのであろう、ヤング風のギター・ソロは、まったく蛇足。ここでも、ヤングの爆音が聴きたかった。