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2014年7月8日火曜日

ヘンテコな井上陽水論


今月号(20147月号)の『レコード・コレクターズ』誌は、井上陽水『氷の世界』特集。『レコ・コレ』誌が井上陽水を特集したこと自体がちょっと意外だ。以前だったら『ミュージック・マガジン』の方で特集していたのにね。
どの記事も、必要以上に海外のロックに関連付けている記述が目立つが、このあたりがレコ・コレ流なのか。その分、当時の日本の音楽の中での位置付けに関する論が弱いのが残念。井上陽水の音楽って、ほんとワン・アンド・オンリーにしか見えないからだ。

それはともかく、今回の特集のメイン記事が、いつになくお粗末。小川真一という人の書いた「井上陽水バイオグラフィー」という記事だ。井上陽水のデヴューから、『氷の世界』でのブレイクを経て、5枚めのアルバム『二色の独楽』に至るポリドール・イヤーズまでを紹介した記事だ。
なるべく他人様のことをけなしたりしたくないのだが、今回のこの文章は、あんまりひどいと思ったので、どうしても一言いいたくなってしまった。

この記事の冒頭部分で、小川真一は「井上陽水は天才である」と断じている。その具体的な根拠として、まず歌手としての天分を挙げる。「超絶なる美声」と優れた歌唱力を備えているというのだ。そしてその次の「天才」の根拠として挙げているのが、陽水の作詞・作曲の独自性だ。この辺までは、私も納得できる。

しかしこの独自牲についての説明が、何ともヘンテコなのだ。
小川の文章をそのまま引用してみよう。

その作詞・作曲法も独自のものだ。もしも全身全霊を込めてしまえば、その一曲で井上陽水は完結してしまう。これでは才能の無駄遣いになるので、歌詞の中に意味のない言葉や単語をちりばめ暴走を制御しているのだ。
(小川真一「井上陽水バイオグラフィー」 p.46

何とも珍妙な理論だ。全身全霊を込めて曲を作ると、その一曲で作者は「完結してしまう」というのだ。それが、「才能の無駄遣いになる」というのもわからない。
われわれが、ふつうに思い浮かべる天才であれば、全身全霊を込めて次々に曲を生み出していくと思うのだが。

ここまでもかなりヘンな理屈なのだが、さらにわけがわからないのは、「全身全霊を込めて」しまう(これを才能の「暴走」と言うらしい)のを防ぐために、「歌詞の中に意味のない言葉や単語をちりばめ」ている、という指摘だ。そして、この意味のない言葉を散りばめている曲の端的な例として「リバーサイドホテル」を挙げているのだ。上の引用に連続して、小川の文章は次のように続いている。

そのもっとも端的な例が82年に発表された名曲「リバーサイドホテル」だ。(中略)サビの歌詞をよく聞くと「ホテルはリバーサイド/川沿いリバーサイド」。これほど何も考えていない歌詞は、他に例を見ないのではないだろうか。さらに「食事もリバーサイド」と続く。
(小川真一「井上陽水バイオグラフィー」 p.46

井上陽水がこの歌詞を作るにあたって、「何も考えていなかった」かどうかは私にはわからない。だが、この歌詞を「意味のない言葉」と決めつけることは誰にもできないはずだ。
この曲の歌詞は、かなりわかりにくい。意味不明という評判もあるらしい。私はこの時期の陽水のこんなシュールな感じがとても好きだ。意味不明ではなくて、多義的な解釈が可能な歌詞とは言うべきだろう。
解釈は多義的なのだだから、「川沿い」と「リバーサイド」という二つの同じ意味の言葉を重ねているのは、無意味かも知れないし、意味があるのかもしれない。仮に無意味であったとしても、たとえば語感のリズムとかイメージという側面において、ある効果を生み出しているかもしれない。とにかくいろいろな読み取りの可能性があるわけだ。
ところが、小川はこれを、一義的に無意味な言葉と決めつけてしまう。さらにその上でこの歌を、「意味のない言葉や単語をちりばめる」という陽水の作詞法の端的な例として挙げているのだ。一義的な判断を敷衍して、井上陽水の作詞法全体の特徴としてしまうのもおかしい。

たとえば「ホテルはリバーサイド/川沿いリバーサイド」という歌詞が無意味ではなく、意味を持っているという可能性をいくつか示してみよう。

その1。これはまあ冗談半分として読んでほしい。
私の住んでいる町の隣には、何とリバーサイドホテルという名前のホテルが実在する。そのためもあって、この歌の中の「リバーサイドホテル」が、私には固有名詞として聴こえてしまうのだ。仮にもし固有名詞だと考えれば、この歌詞は、川沿いにリバーサイドホテルという名のホテルがあると言っているわけで、それなりにちゃんと意味が通っていることになる。
その2。この歌について、ネットで調べていたら、見事な解釈に出合った。「猫二朗の歌」というブログの「妙な歌を勝手に解釈する「リバーサイドホテル」」 というタイトルの記事だ。
 この方の解釈によると、この歌の「リバー」とは、この世とあの世を分ける川であり、これはその川を渡ろうとしている二人、すなわち死を選んだ二人の物語だというのだ。なるほど、そう考えるといろいろ腑に落ちる点が多い。何より、この歌の暗く沈んだ世界の中に展開される死と官能のイメージが、すんなりと納得される。
 この前提の上でブログの筆者は次のように指摘している。

この歌には、同じことを重ねて言う、おかしな言い方が何度か出てきます。
「夜明けが明ける」「金属のメタル」「川沿いリバーサイド」「水辺のリバーサイド」、「川に浮かんだプール」もこれに近いものがあります。
 私は、こうした表現は、このホテルが、この世とあの世の中間に位置していて、どちらにも属しているような、それでいてどちらにも属していないような、不思議な空間のイメージを創るために使われているような気がします。
(妙な歌を勝手に解釈する「リバーサイドホテル」)

じつに秀逸な指摘だと思う。もちろんこれが唯一の正解というわけではない。しかし、このように「川沿いリバーサイド」という一節は無意味ではなく、多様な解釈が可能だということなのだ。つまり、ちゃんとそれなりの意味を読み取れるのだ。それを、一義的に、意味がない、何も考えていない歌詞と決めつけてしまうのは、あきらかに誤りだ。


さらに小川は、「意味のない言葉や単語をちりばめる」のが陽水独自の作詞法であるという独自の「リバーサイドホテル理論」を、記事の中盤では「傘がない」の解釈に援用しているのだ。
その部分を引用してみる。

最初に陽水の名前を世に知らしめることとなった「傘がない」にしても、歌詞だけを読んでいくと、シラケ世代の屈折した若者の心情を歌っているようにみえる。がしかし、「リバーサイドホテル」で手の内を知った目から見ると、実はあまり考えておらず、結局のところ傘にしか関心がないことがわかってしまうのだ。
(小川真一「井上陽水バイオグラフィー」 p.48

これもびっくりするような粗雑な解釈というしかない。
どのように解釈するのも自由ではある。しかし、この1972年の歌の歌詞は、その10年後に作られた「リバーサイドホテル」とは違ってきわめてシンプルなものだ。素直に読めば、小川が文中で書いているとおり「シラケ世代の屈折した若者の心情を歌っている」としか受け取りようがないのではないか。

ところが小川は「リバーサイドホテル理論」を援用して、「結局のところ傘にしか関心がないことがわかってしまう」と述べる。しかしこれは話がまったく逆だ。この歌の主人公は、傘になど特別の関心はないのだ。
主人公にとっては、社会的な出来事よりも、身の周りの私事(わたくしごと)が何よりも問題なのだ。そして雨が降っている今日の状況において、この私事の問題を象徴しているのが、たまたま傘だったというに過ぎない。


小川の今回の記事には、その他にもいくつか首を傾げたくなる部分がある。
たとえば「陽水のサウンドが一般にも受け入れられたのは、ニューミュージックという言葉がフィルターの役目を果たしていたからだろう」(p.48)という指摘。当時、少なくともポリドール・イヤーズの頃には、まだ井上陽水がニューミュージックであるという一般的な認識はなかったはずだ。「陽水のサウンドが一般にも受け入れられた」理由は、もっと別のところにあるはず。

それからまた、小川はいきなり、『氷の世界』は名盤だと言い出す。それも、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』や、ビートルズの『ラバー・ソウル』や、マザーズの『いたちャ野郎』と並び称されてもおかしくないほどの、と。『氷の世界』はいいアルバムかもしれないが、そこまでの名盤とまでは誰も思っていない。読者は、エッと驚かざれる。でも、その論拠は一切なし。ポーンとこの言葉が放り出されているだけなのだ。これって、たんなる思い付きのこけおどしじゃないの。


というわけで愛読する『レコ・コレ』誌にこんな記事が載ったことはとても残念です。スタッフの皆様への敬愛ゆえ、一言書かせていただきました。



2014年3月31日月曜日

安全地帯 「じれったい」とアルバム『月に濡れたふたり』


 
玉置浩二の新しいアルバムが出るのにちなんで、この間(20143月)ラジオで、安全地帯と玉置浩二の曲のリクエスト特集をやっていた。何となく耳を傾けていただけだったのだが、次々にかかる昔の曲を聴いているうちに、何だかすっかり懐かしい気分になってしまった。

バンドとしての安全地帯に、特別の思い入れがあるわけではない。彼らが活躍した80年代には、まだ「Jポップ」という便利な言葉はなかった。そうなると、安全地帯はロックというよりは、どちらかといえば歌謡曲に近い所にいる人たちに見えた。自分たちの主張や表現のために音楽をやっている感じもなかった。
そういうこともあって愛着はないのだが、ただ彼らの曲の中には、いくつか好きな曲があった。たとえば「ワインレッドの心」とか「熱視線」、そして何といっても「じれったい」だ。

「じれったい」は特別に好きな曲だ。この曲のどこがそんなにいいのか。歌詞をあらためてながめてみる。何がじれったいのだろう。要するに、恋の駆け引きで、男が女にじらされ、思い通りにならなくてじれったいらしい。みんなそんな内容の歌として聴いているのだろうな。
しかし、私には全然そんなふうには聴こえないのだ。玉置浩二のどうしようもなく熱っぽくて、いても立ってもいられないようなせつない歌い方が、チャラい歌の内容をはるかに越えて、もっともっと深い人間の心の奥底へと私を連れて行く。

これはもっと究極の「じれったさ」を歌った歌だ。この曲には、官能や性愛のその先にある、せつない純愛が歌われている。
純愛は性愛の手前にあると思われがちだ。しかし、ここでは体がひとつになって満たされたのに、それでも心はひとつになれないもどかしさ。心がひとつになれなくて、なお、相手を求め続けずにはいられないせつなさが歌われている、ように感じてしまう。いわば究極のじれったさであり、それはまた人間の究極の孤独のあり様と言ってもよい。

作詞は松井五郎。松井は作詞家だが、ウィキペディアによるとこの曲を書いた1980年代後半は、6人目の安全地帯メンバーとも言われ、安全地帯専属作詞家的な状態だったとのことだ。
だからこの曲も、当然玉置浩二が歌うことを前提にして書かれている。つまり、いっけんチャラい内容ではあるけれども、玉置の歌唱がそれをふくらませていけるような含みを、あちこちにしかけているように見える。

たとえばリフレイン部分のフレーズ。

じれったい こころをとかして
じれったい からだをとかして
もっと もっと 知りたい

ここには官能が満たされたその先で、相手の存在を求め続けるせつない響きがある。
「もっと 知りたい」という言い回しが絶妙だ。もっともっとあなたのことを知って、あなたとひとつになりたいのに、という思いが伝わってくる。

性愛は満たされればそのつど終わる。しかし、相手を求め続ける気持ちはいつまでも終わらない。それが次のような一節だ。

終わらない ふたりのつづきを
終わらない 夜までつづけて
ずっと夢を見せて

そして、この後に先ほどのリフレインの「とかして」が「燃やして」とかわって、熱っぽく激しさを増し、この歌は終わるのだった。

(じれったい) こころを燃やして
(じれったい) からだを燃やして
もっと もっと 知りたい

サウンド的には、ブラスやバック・コーラスがうまく官能性をあおっている。

繰り返すが、この歌は、官能と、その先にある純愛のせつなさと孤独の歌に聴こえる。それは、ひとえに玉置浩二のヴォーカルの力による。この人のヴォーカルは、うまいとよく言われるけれど、むしろ個性が強力なのだと思う。この人のような、むせかえるような官能を感じさせるヴォーカリストは、日本ではあんまり見かけない。
官能性ということで言えば、曲調は全然違うけれど、黒人のソウル系の人たちが放射しているセクシーなアピールを連想させる。その意味で、玉置のヴォーカルはソウルフルとも言えるだろう。

私の見るところ安全地帯には、この「じれったい」に至る曲の系譜がある。「ワインレッドの心」(83年)から始まって、「熱視線」(85年)、「プルシアンブルーの肖像」(86年)、「好きさ」(86年)ときて、「じれったい」(87年)に至るわけだ。
ついでに言うと、この後に、玉置のソロ曲だが「キ・ツ・イ」が続いている。いずれも官能とその先のもどかしくてせつない純愛が歌われていると思う。

当時「じれったい」があまりにも良かったので、アルバムも聴いてみた。歌謡曲の人たちのアルバムというのは、たいてい水増ししたものだ。私も彼らのアルバムに対してはそういうイメージを持っていたから、それまで手を出さなかったのだ。

「じれったい」の収録されているアルバムは『安全地帯Ⅵ 月に濡れたふたり』(1988年)。聴いてみると、これがなかなか良かった。
これに味をしめて、この前後のアルバムもひと通り聴いてみた。しかし、結局、この『安全地帯Ⅵ 月に濡れたふたり』だけがダントツに良かったのだった。あとはアルバムとしては今ひとつだが、『安全地帯Ⅷ 太陽』(1991年)に、よい曲が少しあった。私の手元に残したのは、この2枚だけだ。

『Ⅵ 月に濡れた…』の前作で、安全地帯絶頂期の3枚組大作『安全地帯Ⅴ』(1986年)も、また『月に濡れた…』のあと、活動休止を挟んで作られた『安全地帯Ⅶ 夢の都』(1990年)も、私には全然面白くなかった。で、みんな処分してしまった。
それにしても、安全地帯はアマチュア時代に、レッド・ツェッペリンや、オールマン・ブラザーズ・バンドや、ドゥービー・ブラザーズなどの曲をもっぱら演奏していたという。しかし、そういう痕跡がきれいになくなっていて、一番影響を感じさせるのは井上陽水だ。井上陽水、恐るべしというべきか。

ともかく『月に濡れたふたり』は、安全地帯の最高傑作だと思う。ただし日本のポップスのアルバムがすべてそうであるように、すみからすみまで良いというわけではない。いい曲も多いが、そうでない曲もある。

まず「I Love Youからはじめよう」から「悲しきコヨーテ」と続くオープニング2曲が素敵だ。
「悲しきコヨーテ」は、バービーボーイズの杏子との官能ヴォイス・デュオや、打ち込みビートにシュールなストリングスを絡めたYMO的(あるいはビートルズ的)展開など、魅力がいっぱい。
その後、感情過多でつまらない「Juliet」をはさんで、いよいよ「じれったい」が来る。アルバム収録のリミックス・ヴァージョンには、打ち込みビートとコーラスがループして、イコライジングされたシャウトがかぶさる間奏部分があるのだが、これはまあ余計だ。

この後、坂本九に捧げた「星空におちた涙」と児童合唱団をフィーチャーした「夢のポケット」が続くのだが、これはかなりつまらない。官能のヴォーカリスト玉置には全然「らしくない」曲で、いかにもとってつけた感じ。
その他シニカルなジャズ・ビート曲「No Problem」と、タイトなブラスが魅力的な「Shade Mind」も好きな曲だ。
最後の「月に濡れたふたり」と「Too Late Too Late」は。まあふつう。

もう一枚の『太陽』は、アルバムとしては今ひとつだが、良い曲が何曲かある。
良い曲というのは、「1991年からの警告」、「太陽」、「俺はどこか狂っているのかもしれない」、「SEK'K'EN=GO」の4曲だ。
1991年からの警告」は核戦争の始まりを描いたせつなく悲しい曲。アルバムのタイトル曲「太陽」は、アラビックな旋律を取り入れた意欲作で、やっぱりせつない。「俺はどこか狂っているのかもしれない」と「SEK'K'EN=GO」は、ビートが効いたシニカル・ソングの2連発。この4曲を聴きたくてこのアルバムを手元に残したのだった。

他に「エネルギー」は、官能の先の純愛という点で「じれったい」につながる曲なのだが、いかんせん曲のクオリティーが低い。あとの曲はどれも魅力なし。

どうでもいいことだけど玉置浩二という人は、御承知のように性懲りもなく結婚と離婚を繰り返している。もしかすると、「じれったい」に歌われているような性愛の先の純愛を、この人はまさに実際に追い求め続けている人なのかもしれないな。


2014年1月15日水曜日

追悼 大瀧詠一


昨年(2013年)の末に大瀧詠一が亡くなった。
死因は、最初リンゴをのどに詰まらせたためと報じられた。
それを聞いた私は、不謹慎な話だが、いかにも大瀧詠一らしいなと思ってしまった。もちでもなく、こんにゃくゼリーでもなく、リンゴをのどに詰まらせるなんて…。
そして彼の最初のソロ・アルバムに収められている曲「それはぼくぢゃないよ」の一節を思い出した。

うす紫に湯気がゆれるコーヒーポットに
つぶやき声が かすかに かすかに
きみの髪がゆっくりと 翻ったら
僕は林檎のにおいでいっぱいさ

(「それはぼくぢゃないよ」詞:松本隆 曲:大瀧詠一) 

この曲「それはぼくぢゃないよ」は、はっぴいえんどのファ-スト・アルバム通称『ゆでめん』の中の「朝」の続編みたいな曲だ。陽だまりのようにピュアな幸福感に満ちている。「救済」をも感じさせるこの曲の中で、「林檎」はその幸福感を象徴するイメージとして使われている。他ならぬそのリンゴによって天に登っていったとは、なんて大瀧らしいんだろう。
その後病院で確認されて、本当の死因はリンゴではなくて解離性動脈瘤であることがわかった。訃報が訂正されたのは、翌日のことだった。

大瀧詠一は、今となっては私にはずいぶんと遠い存在になっていた。近年の彼があまり目立った活動をしていなかったからというわけではない。そうではなくて、私にとっての大瀧詠一、私の好きな大瀧詠一は、もう40年近くも昔のはっぴいえんど時代の彼だったからだ。あの頃の大瀧は、まだロックの人だった。熱くてトンガッていた。
当時の彼の曲と、そしてクセのあるヴォーカルは、ウエットでシリアスだった。社会に対して斜めに視線を向けていて、しかも細野晴臣のように生硬になり過ぎることなく、しなやかさを失わなかった。

はっぴいえんど時代の大瀧の曲の数々、たとえば「春よ来い」、「かくれんぼ」、「いらいら」、そして「はいからはくち」等々。どの曲もあの頃のわれわれが抱えていた、形にならないもやもやとした気分(それは社会に対する反発や閉塞感や不安などから生じたものだった)を見事に代弁し、発散してくれていた。ロックとはそういうものであり、だからこそロック少年たちは熱い思いを寄せていたのだった。

しかし、ソロになった大瀧詠一は、ポップスの人になってしまった。社会に背を向けて、アメリカン・ポップスという趣味の世界、彼の曲のタイトルをそのまま借りれば「趣味趣味音楽」(『ゴー!ゴー!ナイアガラ』)の世界に閉じこもってしまったのである。
オールド・アメリカン・ポップスを下敷きにした大瀧の趣味趣味音楽の世界は、どうにも能天気で、あまりにも現実離れしていた。何しろ社会に対して怒りのこぶしを振り上げたパンクの嵐が吹き荒れ始めていた時代である。大瀧の音楽は、私にはまったく感情移入不能で、自分には縁のないものに見えたのだ。
こうして大瀧詠一は、私にとってどんどん遠い世界の人になっていったのだった。

しかし、その後1981年のアルバム『ロング・バケイション』で、私は再び大瀧詠一に出会うことになる。世間的にも大ヒットを記録し、それまでほとんど無名だった大瀧詠一の存在を大きく世に知らしめることになったアルバムだ。
私的には、このアルバムの曲のどこまでも乾いた感じにひかれたのだった。演歌からフォーク、ニュー・ミュージックへと形は変わっても、じめじめとしたウエットな感覚はちっとも変わらない日本のポップス。そんな中で『ロング・バケイション』の世界は、カラッと乾いていて何とも日本離れしていた(ただしラストの「さらばシペリア鉄道」だけは例外だが)。そこに、日本のポップスへの批評性をも感じたのだった。

 それがきっかけで、あらためてそこまでの大瀧のソロ・アルバムもさかのぼって買った。結局あんまり聴かなかったのだが…。
今回あらためてCD棚から私の持っている大瀧詠一のアルバムを引っ張り出してきた。出てきたのは次の5枚。自分でもすっかり忘れていた。

『大焼詠一』(1972年)
『ナイアガラ・ムーン』(1975年)
『ゴー!ゴー!ナイアガラ』(1976年)
『ナイアガラ・カレンダー』(1977年)
『ロング・バケイション』(1981年)

彼の主宰したナイアガラ・レーベルからは、大瀧が関係したたくさんのアルバムが出ている。しかし、『ナイアガラ・トライアングル』とか、『CMスペシャル』とか、『多羅尾伴内楽團』のような変則的なシリーズ企画物をのぞくと、大瀧詠一のソロ・アルバムと言えるのは上の5枚だけだ。
この他、大瀧詠一名義のアルバムとしては『デヴュー』というのもあるが、これはベスト盤。また『ロン・バケ』の後には『イーチ・タイム』というのが出ているが、私は持っていない。
ちなみに大瀧が亡くなって、このところこれらのアルバムがかなり売れているとのことだ。

大瀧詠一の追悼ということで、手元にあったこれらのソロ・アルバムを久しぶりに聴いた。以前聴いたときとはだいぶ印象が違ったし、いろいろな感慨もわいてきた。これらのアルバムの詳しいレヴューは、あちこちで語られるだろうから、ここでは私の印象を簡単にメモ的に記しておくことにする。

□ 『大瀧詠一』1972年)

はっぴいえんど時代に出た大瀧のファースト・ソロ。アメリカン・ポップのテイストがきつ過ぎて、私は気にいらなかった。アメリカン・ポップスは商業主義音楽だと思っていたし、私には感情移入し難いものだった。
しかし、今聴くと、この後の大瀧趣味全開のソロ・アルバム群に比べれば、むしろかなりはっぴいえんど色を強く感じるアルバムだ。そして何より曲も良いし、ところどころ何とも言えない哀愁があってなかなかの名盤だと思った。
もし、はっぴいえんどが解散しないで存続し続けていたとしたら、ラスト・アルバムのHAPPY END』みたいなヘンな方向ではなくて、この大瀧のソロ・アルバムの方で聴ける音楽性へと展開していく可能性もあったのではなかろうか。

□ 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)
□ 『ゴー!ゴー!ナイアガラ』(1976年)
□ 『ナイアガラ・カレンダー』(1977年)

エレック/コロムビア期ナイアガラ時代の3枚。このうちとりわけ『…ムーン』と『…カレンダー』は名盤だと思う。『…カレンダー』については、大瀧自身も96年の時点で、自分の最高傑作と述べていた。
この時期、一説によるとナイアガラ・レーベルは、コロムビアと年間3枚のアルバムを制作するというハードな契約を交わしていたらしい。そのためもあってか、これらの3枚には、『ロング・バケイション』のように、じっくり作り込んだ感じはない。
しかし、逆に怒涛のような勢いと、思い切りの良さがあって、そこが何とも言えない魅力になっている。

またアメリカン・ポップスを中心にしつつも、ニューオーリンズ・サウンドなど、さまざまなワールド・ミュージック的リズム・アプローチが過激に試みられており、大瀧のミュージシャンとしての胃袋の大きさを感じさせる。
その辺の感じは、意外にも、大瀧とはまったくテイストが違うと思っていた細野晴臣のソロ世界とかなり通じているような印象だ。細野は同じ趣味世界でも、ノスタルジックでオリエンタル、大瀧とは全然方向が違うと思っていたのだが。
いずれにせよ、自分の趣味に閉じこもっているように私には見えた大瀧の音楽は、広く世界に向って開かれていたということになる。

そしてちょっと驚いたのは、70年代のこの3枚のアルバムの中で、81年の『ロング・バケイション』の世界はすでに十分に提示されていたということだ。
この時点では、ほんのひとにぎりの人にしか認められなかった大瀧詠一の音楽の世界(だからこそこの後2年間の沈黙があり、ソニーへの移籍があったわけだろう)。それが、80年代になって『ロング・バケイション』で、いきなり圧倒的なポピュラリティを得ることになったわけだ。
どうしてそんな事が起きたのだろう。
もしかしたら、大瀧のマニアックな音楽のあり方に、時代がやっと追いついたということなのだろうか。たしかに時代はどんどん趣味の方へ、マニアの方へと向ってきた。大瀧のマニアックな姿勢は、ある意味で時代を先取りしていたと見えなくもない。

□ 『ロング・バケイション』(1981年)

この乾ききったドライな空気感が、じつに気持ちよい(「シベリア鉄道」を除く)。
曲や演奏が練り込まれているのはもちろんとしても、それまでのエレック/コロムビア期のアルバムで展開してきた自分の音楽の世界を、パッケージ化して、誰にもわかりやすく提示したのが大ヒットの要因のひとつかもしれない。ジャケットのイラストの変化が、まさにそれを象徴している。
これは言い方を変えれば、自分の音楽的な個性を、ひとつの「芸」として確立したとも言える。この点は、80年代に入ってからのユーミンのブレイクの仕方と同じだ。

リンゴとともに逝った大瀧詠一。最後にもう一度、彼の曲「それはぼくぢゃないよ」の一節を引いて、御冥福を祈りたい。


茜色の朝焼け雲 ひとつ千切れて
ほころんだ空に 夢が紡がれる
(中略)
まぶしい光のなかから のぞきこんでいるのは
それはぼくじゃないよ それはただの風さ

(「それはぼくぢゃないよ」) 


2013年9月12日木曜日

森高千里 メタ・アイドル期の名曲「夜の煙突」


森高千里の初期の曲に「夜の煙突」というのがある。とても好きな曲だ。一部では「森高の隠れた名曲」とも言われているらしいが、私も同感。シングル・カットはされなかったようだ。しかし、森高のライヴでは盛り上がる曲として長く歌われていたようなので、きっとファンの間ではおなじみの曲なのかもしれない。

曲そのものがまずよい。タイトなロック・サウンドとシンプルで印象的な詞。そしてこの曲のPVがまたとても素敵だ。飛び跳ねながら歌う森高千里のキュートな魅力が全編にあふれている。メタ・アイドルとして注目を浴びて一気に人気が急上昇した1980年代末の森高の勢いとオーラが、画面から伝わってくる。


<メタ・アイドルとして森高千里>

1987年にごくふつうのアイドルとしてデヴューした森高千里が、メタ・アイドルへと変身したのは、思えばデヴュー翌年1988年のシングル「ザ・ミーハー」からだった。
この曲から自分で詞を書くようになり、まもなく超ミニのコスプレを売り物にするようになる。森高の詞はとにかくベタでシロウト風。「お嬢様じゃないの わたしただのミーハー / だからすごくカルイ…」(「ザ・ミーハー」)という調子だ。シロウトであることに開き直っている。
このヘンなアイドルぶりが、メタ・アイドルとして話題になり一躍世間から注目されるようになる。メタ・アイドルとは、アイドルであることを対象化し、アイドルとは何かを問いかけるアイドルというくらいの意味だ。
この路線はたぶん森高当人の意思によるものではなくて、周囲の誰かが仕掛けた販売戦略だったと私はみている。普通に美人だけど個性的なところはない。で、歌はヘタ。このどこにでもいそうな、ぱっとしないアイドルを、なんとか売り出すための思い切った戦略だったのだと思う。そして、この目論見は見事に当たったのだ。

「ザ・ミーハー」の翌年1899年に、アルバム『非実力派宣言』が発売される。アイドル的衣装をデフォルメしたコスプレのジャケット写真といい、「非実力派」を堂々と謳うタイトルといい、まさにメタ・アイドルであることを高らかに宣言したアルバムだった。
当時私の愛読していたロック雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』でも、このアルバムを機に森高の特集が組まれた。ロックは自己批評的な音楽だ。たとえばオリジネーターたちのロックがマンネリ化し商業化すれば、パンクやニュー・ウエーヴが登場してリセットする動きが起こる。ロック側の人たちは、森高千里の登場に、まさに日本の歌謡曲/ポップスにおける自己批評を見ようとしていたのではないかと推測する。

でも結局、森高はその後、ふつうの歌手へと戻っていくのだ。ベタな自作詞の歌(「私がオバさんになっても」みたいな)を歌う点がちょっとだけ変わっているふつうの歌手へと。メタ・アイドルは結局一時のキャラだったに過ぎない。メタ・アイドル期の人気を、みごとに次のステージへの踏み台にしたと言えるだろう。そしてそれとともに超ミニのコスプレもしなくなった。まあよくある話だ。
その後、森高の作詞能力も、さすがにしだいに上達していったものと思われる。「雨」の詞なんかは、かなりよいと思う。しかし、女の本音をベタに歌って人気を博してしまったものだから、方向転換はできなかったのだろう。


<「夜の煙突」という曲>

『ニュー・ミュージック・マガジン』の森高特集に刺激を受けて、私も『非実力は宣言』を買ったくちだ。ほとんどの曲が森高の自作詞で、中には作曲までしているのもある。で、このアルバムは全然つまらなかった。しかし、唯一印象的だったのが「夜の煙突」だったのだ。

とんかちたたいて働いた
あとのたのしみは
ポッケにかくれている君とデート

はしごをのぼる途中で
ふりかえると僕の家の灯りが見える

雲がかくれた
ズックをすてた
(「夜の煙突」)

曲は完全にロック。歌詞はまったくこれだけで、これが繰り返される。シンプルでリズミカルですごく詩的だ。
「ポッケにかくれている君とデート」をどう解釈するか。この「君」を女の子ではなくて、何かモノと深読みすることも出来るのかもしれない。でも、働くことを「とんかちたたいて」と寓話化しているわけだから、「ポッケの彼女」も同様におとぎ話的表現と理解しておこう。
何だかわけのわからない衝動に駆られて、夜の煙突のはしごをどんどん上っていく主人公。自分の家の灯りが、そしてその下にあるはずの日常が、どんどん下に遠くなる。裸足になる気持ちよさ。雲がはれた夜空の中にいる快感。日常から解き放たれた開放感と知らないところに向っていくわくわく感、高揚感が素敵だ。

森高の詞とは全然調子が違うので、不思議に思ってクレジットを確認したらカーネーションの曲のカヴァーだった。
カーネーションは1984年にインディーズ・デヴューした直枝政太郎を中心とするバンド。メジャー・デヴューは1988年で徳間ジャパンから。そして、その翌年1989年にはもう森高のこの『非実力派宣言』の制作に、演奏と曲作りで参加しているのだ。デヴューしたてのバンドとしては、この起用は大抜擢だったと言えるのではなかろうか。

「夜の煙突」は、カーネーションのインディーズ・デヴュー曲。しかし、記録的に()売れなかったという。この曲を森高にカヴァーさせるというアイデアは、当然、直枝によるものだろう。マイナー時代にずっと歌っていて、いちばん受けそうだからデヴュー・シングルに選んだはずなのに、まったく売れなかったこの曲。直枝政太郎としては、愛着のあるこの曲に何とかもう一度チャンスを与えたたかったに違いない。
そしてこの願いは見事にかなった。森高にとっても、そしてカーネーションにとっても、この「夜の煙突」は、コンサートでの定番曲、そして代表曲のひとつになったからだ。


<「夜の煙突」のヴィデオ・クリップ>

森高千里の人気が社会現象のようになった頃、テレビで森高の曲のヴィデオ・クリップ(当時はPVではなくこ、う呼んでいた)の特集があった。私はそれを録画して何回も見ていた。その中に「ザ・ストレス」とか「17才」とかシングル曲のクリップに混じって、どういうわけかシングル・カットされていない「夜の煙突」のクリップがあった。そしてこれが最高に良かったのだ。

このヴィデオ・クリップは、タイトル・クレジットが「森高千里withカーネーション」となっている。テレビ局のようなちょっと広めのスタジオ。背景の壁は三日月の浮かぶ夜空、その前にはシルエットの大きな煙突というセットになっている。床には最初スモークがたかれている。
バックの演奏はカーネーション。メンバーの内、直枝政太郎だけが、なぜかちょんまげに着流しのサムライ姿。この格好でギターを弾いている。エンディングでは、刀を抜いたりなんかしている。
曲の途中で演奏とは別に、直枝がこのセットの煙突のはしごをサムライ姿のままで上っていくシルエットの映像も何回か挟まれている。
森高は3種類の衣装で登場。いずれの場合も超ミニであることと、黒のストッキングをはいていて、手には黒い手袋をしている点が共通している。メイクが、リップの赤を強調していてちょっと大人っぽい。この3種の衣装で歌っている映像が曲中でシャッフルされている。
このヴィデオ・クリップは、全体としてはかなり雑な作りだ。直枝のサムライ姿も意味不明だし、しかもあまり効果を上げていない。途中に挟まる煙突を上っていくシーンも、いいかげんでせっかくの歌詞のイメージをぶち壊している。そして、森高の三種の映像の切り替えもかなり雑。それでも、このクリップは、ひとえに森高の放つ圧倒的な魅力によってそれなりに成立してしまっている。

森高はたてに飛び跳ねながら歌っている。カチッとした振り付けではない。ただ、いくつかゆるく決まっている動作はある。たとえば歌いだす前に、両腕を下からすくい上げるようにしてから肩の辺りで手を振っている。「ポッケにかくれている君とデート」のとき、カメラのレンズに向かって指を差し、指先をグルグルと回す。「はしごをのぼる途中で/ふりかえると…」のところでは、右手をゆっくりとまっすぐ上に上げ、ちょっと後ろを振り返る動作をする。また、「雲がかくれた/ズックをすてた」のところは、ディスコで流行ったモンキー・ダンス(両手を前に出して交互に上下に振る)だ。
でもどれも形がきっちり決まっているわけではない。また飛び跳ね方も、ステップも成り行き的というかランダム。この歌の森高の動きは、専門家による振り付けがされているわけではなく、森高自身がかってに体を動かしているのではないだろうか。あるいはそう見えるように振り付けされているのか。そうだとしたら逆にすごいけど。

ともかく森高の歌いながらのこの動きがいい。
こういうときロック系の人たちであれば、おそらく99パーセントの人は、無意識に黒人音楽的なノリ方で体を動かしてしまうはずだ。無意識のようだけど、あの動きは学習したものだ。だから黒人以外の人にとっては、体本来の動かし方ではないと思う。
では、そうではないノリとはどういうものか。私の知っている範囲では、最初期のレッド・ツェッペリンとか、あるいはトーキング・ヘッズのディヴィッド・バーンの身のこなしなんかは自由な体本来の動かし方で、そこがとてもリアルで良かった。

「夜の煙突」の間奏で、森高は「イェイ、イェイ、イェイ、…、イェーイ」と合いの手()を叫ぶ。しかしこれはただそう言っているだけで全然バックの演奏にはまっていない。たぶん森高はロックとは無縁の人なのだと思う。だから体を動かすにもロック的な型がないのだ。そんな既成の型にはまっていないゆえに、森高の動きには、内発的で体の中から自然にあふれているような生き生きとした魅力がある。その自然な感じが、この歌のテーマである開放感と高揚感にじつにぴったりと合っている。そこがじつに気持ちよい。それに魅かれて何度も私はこのクリップを見返してしまったのだった。
曲の作者であり、森高のカヴァーを仕掛けた直枝もここまでの効果を予想していたのだろうか。

その後の森高のライヴの映像を見ると、この曲を歌うときの振りは、このヴィデオ・クリップにおける成り行きで出来たような振り付けを再現しているような感じがする。型としてなぞっているせいだろう、そこにはもうヴィデオ・クリップにおけるような生き生きとした感じはないのだった。

なおカーネーションはその後、ライヴの最後でこの曲をやるのがパターンになったようだ。1997年のライヴでのこの曲の映像をユー・チューヴで見た。分厚い音でヘヴィーにグルーブしている。森高版の軽快さとはまったく異なっているが、これはこれでなかなか良い。
途中「雲がかくれた/ズックをすてた」のところで、バック・ヴォーカルの女性がモンキー・ダンスをしていた。森高の振りをまねしたのだ。やっぱりカーネーションとしては、森高のヴァージョンを意識しているのだろう。もしかして、このヘヴィーなアレンジも、森高版との違いを強調するためだったりして…。なことないか。


2013年9月2日月曜日

不器用さが愛おしい 大貫妙子 『アヴァンチュール』


<大貫妙子の歌詞>

久しぶりに大貫妙子の名前を耳にした。
この7月(2013年)に出た坂本真綾の新曲でTVアニメのテーマ・ソング「はじまりの海」を大貫妙子が作詞作曲しているのだ。
私的には身近に聞こえてきた大貫妙子の話題と言えば、96年の周防監督の映画『Shall we ダンス?』の主題歌を歌ったこと以来だから、ずいぶん久しぶりになる。
ところで今現在の音楽界の中で、大貫妙子というはどの辺に位置づけされる存在なのだろう。

1970年代にティン・パン・アレイの周辺から登場した4人の歌姫たちがいた。
このうちとても気が利いていてデリケートな翳りのある曲を書いていた荒井由美は、その後その翳りを捨てて「日本の恋愛のカリスマ」となった。一番エキセントリックだった矢野顕子は、意外にも、広くポピュラリティを獲得して「日本のお母さん」のような存在になった。
美声で歌がうまくて一般受けしそうだったのが吉田美奈子と大貫妙子。この二人は、小さなブレイクはあったものの、結局今ではツウ好みで、知る人ぞ知る存在になってしまったというところだろうか。

大貫妙子に対する私の個人的なイメージは、おとなしくて内向的で、オシャレなものに憧れる「夢見る女の子」といった感じ。思春期の女の子の大半はこんな「夢見る女の子」なのではないのだろうか(よく知らないけど)。だから、大貫妙子はそんな女の子たち、そしてまた、かつてそんな「夢見る女の子」だった女性たちに根強く支持されているのではないかと勝手に想像している。

でも「夢見る女の子」がしばしばそうであるように、大貫妙子の詞の世界には、いつも自意識過剰気味で、そのためにどこかちょっと調子が外れているようなところがある。
彼女の歌はしばしば短編小説のようだと言われる。ストーリーを感じさせたり、ストーリーの中の情景を浮かび上がらせるからだ。けれど、よく聴くとその詞は、たいていどこかがほころんでいて、きちんとつじつまが合っていない。

彼女の初期の名曲「愛は幻」。まちがいなく彼女の代表曲のひとつだ。けれど、その詞は抽象的過ぎるのか、あるいは雰囲気だけで言葉を選んだのか、そのどちらかとしか思えない。何のことを歌っているのかさっぱりわからないのだ。
そして何と言ってもいちばんヘンテコなのは、ソロ2作目のアルバムに入っている「くすりをたくさん」という曲。
「薬をたくさん/選り取り見取り/こんなにたくさん/飲んだら終わり」 (「くすりをたくさん」)
シニカルな批評をコミカルに装っているのはわかる。でも、ユーモアのピントが合っていないので、どこで笑っていいのかわからない。つまり思いっきりスベってしまっている。

かつて大貫妙子はそんな自分の歌詞について次のように語ったことがある。
「やっぱり映像的な表現は、どんな曲であれいつも意識してます。歌詞がつくのは一番最後なんですよ。まずメロディがあってサウンドがあって、(中略)。 そこに乗せるべき言葉を捜していく。」 (『レコード・コレクターズ』19977月号大貫妙子特集 p64
なるほど、彼女の場合、歌詞はメロディやサウンドに従属し、または派生するものなのだった。だから、断片的だし、ところどころでつじつまが合わないのか。と、これを読んで私は納得したのだった。


<アルバム 『Aventure(アヴァンチュール)』のこと>

私が好きな大貫妙子は、「ヨーロッパ三部作」の頃の彼女だ。もっと正確に言えば1980年のアルバム『Romantique(ロマンティーク)』以降の擬似ヨーロッパ・テクノ路線の頃。オシャレなヨーロッパへの憧れが、澄んだ透明感のある声とテクノ・サウンドによってキラキラと輝いていた。中でもいちばん好きなのが、1981年の『Aventure(アヴァンチュール)』だ。

このあいだ矢野顕子のテクノ期の作品を久しぶりに」聴いた。そうしたらこの頃の、つまりYMO期の坂本龍一のアレンジャーとしての仕事ぶりにあらためて感心させられた。そして矢野顕子のアルバムと並んで、この時期の坂本の仕事として印象深いのが大貫妙子のこの作品『Aventure(アヴァンチュール)』なのだ。
語りかけるように歌う清潔で透明感のある声。その声とクールなテクノ・サウンドの取り合わせがじつに気持ち良い。

この時期の大貫妙子のヨーロッパ路線は、私に言わせると「女性雑誌的」だ。透明で清潔感があってオシャレで品がよい。肉体感を感じさせず、あくまで女性向けという感じ。そこがちょうど女性雑誌のページみたいだ。ピカピカで気が利いていて明るい。
だが女性雑誌は、オシャレで知的で気取っているけれど、結局その底は浅くて根はミーハーなものだ。じつはそんな点まで含めた上で大貫の歌は「女性雑誌的」だと思うのである。
矢野顕子の歌には人の日常を通して人間を見据える強い目線があった。荒井由実の歌詞には日常を瞬間輝かせる天才的な閃きがあった。大貫妙子の歌には、残念ながらそういう彼女独自の視点やマジックはない。だからどうしてもスタイルに流れてしまいがちなのだろう。

Aventure(アヴァンチュール)』で良いのは何といってもA面とB面の各1曲め。つまり「恋人達の明日」と「チャンス」。
 軽やかに弾むポップでテクノなさサウンドにのる透明な声が素敵だ。
アルバム冒頭の「恋人達の明日」は、大貫自身と竹内まりやとepoという豪華コーラス陣による弾けるようなコーラスでいきなり始まる。このコーラス・サウンドにのって歌われるのは受身だった女性の軽やかな決意だ。
「髪を短く」して「もう高いヒールははかない」ことにした主人公。昔の恋人「あなた」とは「すれ違ったままでサヨナラ」。ひとりで明日に向って歩いていくことに決める(「」内は歌詞から引用)。この主人公の軽やかでさわやかな足取りが、軽快なサウンドにぴったりだ。

「チャンス」もまた軽快なリズムの曲なのだが、こちらは歌詞がかなりザンネン。自意識過剰なのだ。シックな黒のドレスを着た主人公。カフェでこの主人公に注がれる見知らぬ男性「あなた」の強い視線。「あなた」は私を好きなのだろうか。店を出た私を「あなた」が追いかけてこないのはなぜ。こちらから声を掛けた方がよかったのかしら。と、悩む歌。こうやって要約していても気恥ずかしい他愛ない内容だ。
 それでもとにかく弾むサウンドは軽やかで気持いい。

このアルバムで他に良いのは、「.愛の行方」と「最後の日付」。どちらも翳りのある曲調で、大貫妙子の透明な声はまさにこんな曲にしっくりくる。切ない大貫の歌を、坂本龍一のドラマチックなサウンドが包み込む。坂本のピアノとプロフェットの演奏もつぼを得ている。
ところで、「愛の行方」のエンディング近くのインストゥルメンタル・パートは、翌年(1982年)に坂本が書いた映画「戦場のメリー・クリスマス」(公開は1983年)のメイン・テーマに流用されていると思うのだがどうだろう。
それから「最後の日付」の演奏陣は、YMOの3人と鈴木茂というなかなかの豪華メンバー。ただしこのメンツから想定されるようなサウンドではないけど。

ただし坂本龍一のアレンジした曲がどれも良いというわけでもない。南欧ロマン紀行シリーズ(と私が勝手に呼んでいる)の「アヴァンテュリエール」と「テルミネ」は、まさに「女性雑誌的」だ。甘くて軽くて今ひとつ。
このアルバムのその他の曲もどれも今ひとつ。

.Samba de mar」のグルーブ感のないサンバのリズム、「グランプリ」のシネ・ジャズ・アレンジ、そして「la mer,la ciel」のジャズ・ボッサ、とどれをとってもちょっと安っぽくて薄っぺらな感じがある。だから今聴くとかなり古臭くなってしまっている。
  「.ブリーカー・ストリートの青春」だけはちょっと異色だ。
舞台は急にヨーロッパからニューヨークに飛ぶ。グリニッチ・ビレッジに集う若者たちのまさに青春を描いた歌。サイモンとガーフアンクルの曲「ブリーカー・ストリート」にも通じる若くて純な若者たちの姿が愛おしい。
けれど何となくこの曲だけこのアルバムの中で浮いてしまっていて収まりが悪い感じだ。

<おわりに>

いろいろ悪口みたいなことを書いてしまった。
でも何のかんのと言っても私はこの人の佇まいが漂わす生きていくことに対する不器用さやぎこちない感じが好きなのだ。
大貫妙子は、高校生の頃、美大に進学して将来は陶芸家を志望していたそうだ(『レコード・コレクターズ』19977月号大貫妙子特集のインタヴュー)。その理由は、「一生続けられてしかも人に会わずにできる仕事というのにつきたい」と考えていたからだという。この気持は、私にもよくわかる。こういうタイプの人は、要領よく生きていくのが得意じゃないのだ。
その不器用さゆえに、この人のサウンドや歌詞やアルバムのつくりには、いつも何だかぎこちない感じがあるのだと思う。

このあいだたまたまNHKのFMをつけたら大貫妙子みたいな歌が聴こえてきた。声質や曲の感じが大貫妙子にすごく似ている。でも声が若いし、ギターの弾き語りで歌っていた。聴いているうちにどんどんその歌の世界に思わず引き込まれてしまった。
それは青葉市子という若いシンガー・ソングライターのライヴだった。クラシック・ギターを弾きながら歌うところがちょっと異色だが、このギターがものすごく上手い。ときおり教会音楽のようなヨーロッパの中世を思わせる響きになる。大貫妙子系の透明な声質と、このギターの響きが相まって、深くて存在感のある歌の世界を作り出していた。こういう深さは大貫妙子の歌には、ついになかったものだ。
こんなきらきらときらめく才能を持った若手が出てきて、大貫妙子も大変だろうな。もっとも彼女のことだから、べつにそんなこと意識しないで、これまでと変わらず淡々と生きていくのだろうけど。


2013年7月17日水曜日

矢野顕子 『ごはんができたよ』

ごはんができたよ』は、矢野顕子の6枚目のアルバム。1980年10月リリース。個人的には矢野顕子の最高傑作だと思っている。
このアルバムは、これまで紹介してきた1982年の『愛がなくちゃね。』、81年の『ただいま。』と並んで、私が勝手にそう呼んでいる矢野顕子の「テクノ3部作」の最初の一枚である。

矢野顕子にとってテクノ3部作の時期は、言い換えると「坂本龍一」期ということになる。デヴュー以来の「矢野誠」期を終了した矢野は、1978年の『ト・キ・メ・キ』ツアー、79年の渡辺香津美のKYLYNや坂本龍一のカクトウギ・セッションへの参加を通じて、YMOのメンバーとの親交を深めていく。そうして79年10月からYMOの第1回ワールド・ツアーにサポート・メンバーとして参加することになるわけだ。
こうした坂本龍一およびYMOメンバーとの交流が、1090年から始まる矢野顕子と坂本龍一との共同プロジェクト、すなわち「坂本龍一」期の活動へと発展していくことになる。その成果として生み出されたのが、テクノ3部作なのだ。

私がいちばん好きな矢野顕子は、このテクノ3部作の頃の彼女だ。そしておそらくこの頃が、矢野にとっても音楽的なひとつのピークだったのではないだろうか。
なぜならまず矢野顕子の個性的なスタイルの音楽が、坂本龍一の作り出すサウンドによって、大きく花開いたのがこの時期だと思うからだ。坂本龍一のテクノ・マナーとニュー・ウェーヴ志向によって、矢野の音楽の自由さと奔放さが、きちんと形を与えられパワー・アップしたように見える。
たとえばその結果として、「春咲小紅」のようなヒット・チューンが生まれたし、あるいは反対に過激なまでの実験作が作られることにもなったのだと思う。プロデューサーとしての坂本龍一はこの時期本当にトンがった存在だった。
また同時に、日常的で等身大の視点から語られる彼女独自の温かい詞の世界も、この3枚のアルバムでそのスタイルを確立したように見える。

 テクノ3部作の最初の一枚である『ごはんができたよ』は、そんなこれまでとは違う新しい矢野顕子の登場を告げるエポック・メイキングな作品であった。LP2枚組の大作であり、内容的にも充実した意欲作である。一般的にも、矢野の代表作の一つに数えられている。
このアルバムが作られた1980年はとにかく彼女にとって大忙しの年だった。
前年1979年10月から11月にかけて行われたYMOの第1回ワールド・ツアーに参加。12月には中野サンプラザで「凱旋公演」もあった。
年が明けて80年の3月から産休に入り、5月に坂本龍一との間にできた長女美雨を出産。そして10月から11月にかけてYMOの第2回ワールド・ツアーに再び参加しているのだ。
『ごはんができたよ』の発売は10月だから。その制作はYMOの2度のワールド・ツアーと産休の合い間を縫って行われたことになる。しかも2枚組大作で充実作なのである。多忙の中でというより、むしろ怒涛のような勢いに乗って作ったとしか思われない。そんな勢いの良さがこのアルバムには感じられる。

テクノ3部作を全面的にバック・アップしていたのはYMOだ。ちょうどこの頃は、YMOの音楽がポップ・サウンドから『BGM』そして『テクノデリック』へと先鋭化していった時期に当たっている。これと並行するように、矢野のアルバムも『ただいま。』から『愛がなくちゃね。』へと実験色、ニュー・ウェーヴ色を強めている。
だからテクノ3部作の中で音的な興味でみれば『ただいま。』や『愛がなくちゃね。』あたりが刺激的だ。しかし、どれが好きかと言われれば、やはりこの『ごはんができたよ』ということになる。もっとも私がこのアルバムを好きなのは、アルバム全体の出来がどうこうと言うよりも、いくつかのの心に沁みる決定的な名曲があるからなのだが。

その曲とは「ひとつだけ」と「また会おね」とアルバム・タイトル曲の「ごはんができたよ」だ。
これらの曲では、等身大の日常感覚による易しい言葉で、生活や人間や社会について温かく語られている。まさに矢野顕子の音楽を特徴付ける独特の詞の世界だ。このような詞作の方法を確立したのも、このアルバムからである。むしろこちらの方がテクノ/ニュー・ウェーヴ的な音の採用より重要かもしれない。
このような矢野独特の詞の世界を持つ曲として、次作の『ただいま。』では「ただいま」や「いつか王子様が」が、また次々作の『愛がなくちゃね。』では「愛がなくちゃね」や「女たちよ 男たちよ」や「どんなときも どんなときも どんなときも」が、とりわけ印象的だ。その独特の詞の世界に、カラフルなテクノ・サウンドがうまくマッチしている。
本当はもっともっとそんな矢野顕子の詞の世界に浸りたいのだが、なかなか彼女は歌ってくれない。例のわらべ歌や童謡や児童詩や古い歌謡曲のカヴァーなんかをやっているからだ。彼女の曲のうち自作の詞は、全体の半分くらいしかないらしい。そんな不満があるから、彼女の童謡のカヴァーとかは一般的には定評があるけれど、私はあまり好きではない。

さてそんな矢野独自の詞の世界の中で、ラヴ・ソング系の原点がこのアルバム『ごはんができたよ』の「ひとつだけ」だ。そして、もうひとつ「母性の包容力」系の原点にして最高傑作が、同じくこのアルバムのタイトル曲「ごはんができたよ」だと思う。
「ごはんができたよ」は、湯浅学に言わせると、次のアルバム収録曲「ただいま」と並んで「家庭のにおいもの」なんてくくられている(『レコード・コレクターズ』199611月号p.82)。しかし、これは幸せな子供時代を懐かしむだけの歌ではない。母性による救済をテーマにした曲である。

「ごはんができたよ」の詞の内容は前半と後半に分かれている。前半は幸福な子供時代の回想だ。「ごはんができたよ」というお母さんの声で一日が終わる。楽しいいこと、悲しいこと、いろいろあったけれど、夜になればもうおしまい。誰の上にも静かに夜がやってくる、というノスタルジックな『3丁目の夕日』の世界だ。
そして後半は大人になった今の話。寂しいことや悲しいことがいっぱいある。それでもやっぱりみんなの上に、誰の上にも、静かに夜が来る。
最後の「つらいことばかりあるなら、泣きたいことばかりなら 帰っておいで」という一節は、本当に心に沁みてホロリとなる。温かく包み込んでくれる世界がそこにある。

この歌のクレジットには、新約聖書の「マタイによる福音書」(第544 - 46節)に対しての謝辞がある。
聖書のこの部分には「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さる」という一節がある。「ごはんができたよ」の歌詞の次の部分は、この聖書のイメージを引用しているわけだ。

義なるものの上にも不義なる者の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る
いい人の上にも 悪い人の上にも
静かに夜は来る みんなの上に来る
(「ごはんができたよ」)

ちなみに聖書のこの部分には、有名な「汝の敵を愛せ」という言葉が出てくる。天の父は、よい者にも悪い者にも公平だ。だからその天の父の子となるために、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と説いているのだ。
この聖書の内容を思い合わせると、この歌のもう一つの側面が見えてくる。つらいことがあったら帰っておいで、という母性による癒しを歌った歌ではあるけれど、同時に自分を苦しめるものをも愛しなさい、愛することによって乗り越えなさい、という励ましの歌でもあるのではないかと思うのだ。


以下各曲についてのコメント。

1 ひとつだけ 

矢野顕子の全キャリアを通じての代表曲だろう。
愛らしく、そして一途で無垢で切ないラヴ・ソングだ。

その後、数々のカヴァー・ヴァージョンがあるが、その中ではやはり2006年の忌野清志郎とのデュエットによるセルフ・カヴァーが印象的。

2 ぼんぼんぼん(LES PETIT BONBON)

「ひとつだけ」と連続して始まるこの曲、一見ポップで可愛らしい。しかし、歌詞の内容や、ハモリのコーラスには、ダークで妖しい雰囲気が漂っている。シンセの間奏も地下に吸い込まれそうで不穏な雰囲気。魔女の世界に飲み込まれてしまいそう。

3 COLOURED WATER

内省的な曲。

4 在広東少年

広東の少年のナイーブさによって、素朴な感性を失ってしまった自分に気づくという内容。内省的であると同時に、日本の現代社会に対する批評も併せ持っていることになる。

しかし、かつてのこの広東少年も、その後、日本と同様の文化的生活に汚染されて、この歌の「わたし」と同様、今は眼は見えなくなり耳は壊れてしまったことだろうな。

この曲は矢野も参加した渡辺香津美率いるKYLYNの『KYLYN LIVE』(1979年)ですでに演奏されていた。そのライヴ・ヴァージョンでは、シン・ドラムが鳴りまくっていたが、『ごはんができたよ』ではそれも控えめ。その他のアレンジはほとんど同じだ。
『ごはんができたよ』の制作をはさむようにしてYMOの第1回と第2回のワールド・ツアーが行われ、矢野顕子もサポート・メンバーとしてこれに参加。そしてどちらのツアーでも、この「在広東少年」が演奏されている。
第1回ワールド・ツアーでのこの曲は、テンポ・アップしてかなりハードな演奏だ。社会批評の面が強く出ているような印象だ(私の聴いたのは『フェイカー・ホリック』収録のもの)。
第2回ワールド・ツアーでは、ハードな点はそのままだが、バックに坂本の弾く東洋的な音階のフレーズを付け加えたアレンジになっていた(『ライヴ・アット・武道館1980』収録のヴァージョン)。

5 HIGH TIME

作詞のフラン・ペイン(Fran Payne)は、リトル・フィートのキーボード奏者ビル・ペインの奥さんとのこと。リトル・フィートといえば、矢野のファースト・アルバムのときのご縁があるが、でもあのセッションのときにはキーボードは必要なかったからビル・ペインはいなかったはずだよね。

6 DOGS AWAITING

平坦なテクノ・ビートにのって呪文のようにつぶやく不気味なヴォコーダー・ヴォイス。呪術的空間がどこまでも続く。坂本好みのアヴァンな曲。

7 TONG POO

YMOのデヴュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978年)収録の曲「TONG POO」に、矢野が歌詞をつけてカヴァーしたもの。
シン・ドラムによってビートを強調したダイナミックなアレンジになっている上に、原曲にあったスカスカの中間部を省いたために、全然違う印象の曲になっている。

8 青い山脈

デヴュー・アルバムの「丘を越えて」につながる古い歌謡曲(どちらも藤山一郎)のカヴァー曲。

9 げんこつやまのおにぎりさま

これも童謡シリーズの一曲。いくつかの童謡をもとにした組曲仕立てになっている。例によって歌詞はどうでもよいようなものだが、いつものような弾き語りではなくバンド演奏なので聴かせる。
ひばり児童合唱団+テクノ+アコースティックによる演奏は、壮大でスリリングで手に汗握る展開だ。

ギター・ソロで鮎川誠(シーナ&ザ・ロケッツ)が好演。とくに中盤で曲調が一変、不穏なパートでのソロはツボを得ていてニクイ。

10 ごきげんわにさん (作詞: 作曲:小森昭宏)

前曲に連続して始まる。中川李枝子作詞のこれも童謡風の曲。坂本龍一とのピアノ連弾が小粋で微笑ましい。

11 また会おね

これもこのアルバム中の名曲のひとつだと思う。力強く、そして希望をつなぎつつも離れていく。泣かせる切ないさよならの歌。

12 てはつたえる→てつだえる

内容的には前の曲に続いていている。遠くで思う「あなた」の歌。
谷川俊太郎の詩にインスパイアされた曲とのことだが、たぶんそのせいで詞も曲も今ひとつ迫ってこない。

13 ごはんができたよ

じぃーんとくる名曲。上記の本文参照。

14 YOU'RE THE ONE

曲に添えられている「全世界の子どもたちに」という献辞からもわかるように、子供への愛がテーマの曲。崇高。