2014年8月7日木曜日

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング 『CSNY 1974』


あっという間にもう8月。毎日暑いですねえ。
さて今年の7月の私の音楽生活における最大の関心事は、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの『CSNY 1974』の発売だった。
ファンなら当然4枚組を買うんだろうなあ。3CD+DVDの4枚組で7千円也。そんなに高価というほどでもない。私もCSN&Yは大好きだから、最初はこの4枚組を買おうかと思った。しかし、「1974年もの」というのがどうにもひっかかった。1974年のCSN&Yといえば、一度解散した後のリユニオン。内容は大丈夫なんだろうか。

CSN&Yは、68年から70年のオリジナルCSN&Yが何といっても最高。私にとってCSN&Yと呼べるのは、唯一この時期の彼らだけだ。その後、現在に至るまで彼らは解散と再編を性懲りもなく何回も繰り返してきた。しかしオリジナル期以降は、急速に音楽の質が低下している。
91年にCD4枚組のボックス・セット『CSN』が出た。その時点までのCS&Nの曲を、クロノジカルに並べたものだ。したがって全体の半分以上はオリジナルCSN&Y期以降の曲なのだが、これがほとんど聴くにたえないものばかり。高いお金を払ってこのボックスを買ったことを後悔したものだ。今回もそんな後悔はしたくない。

1,974年の再編ツアーのCSN&Yは、はたしてどうだったんだろう。良いのか悪いのか。金目当てのあざとい匂いがしないでもない。しかし、もしかするとオリジナル期の音楽的な良心や熱気の余韻が、まだ少し残っているのかもしれない。
しかし、このツアーについては、当時日本でもあまり話題にならなくて、内容についての情報はほとんど伝わってこなかった。とりあえず今回のアルバムを買ってみればよいわけなのだが、私はその前にあえてじっくり検討をしてみることにした。無駄なものは買いたくないしね。
今号の『レコード・コレクターズ』誌(2014年8月号)が、おりしも、『CSNY 1974』特集。そこでこれを熟読してみた。4枚組の内容はだいたいわかったが、その良し悪しについてはわからない。何しろ特集記事というのは、やたらにほめまくっているからね。

ざっと曲目を見て気になったのは、それぞれのソロ・アルバムからのあまりおなじみでない曲が多いこと。これを延々3枚にわたって聴かされのはたまらんなあ。しかし、振り返ればあの名作『4ウェイ・ストリート』の曲の多くは、ソロ曲だったわけだ。それでも演奏が素晴らしくて、選曲についてはまったく気にならなかった。今回もそうなんだろうか。

いろいろ考えた結果、私が選んだ結論は、4枚組ではなくて、これをCD1枚に凝縮したエディション『CSNY 1974<エッセンシャル>』を買うことだった。最初4枚組と同時に、1枚ものも出ると聞いたときは、そんなもの誰が買うんだろうと思ったのだが、まさか自分が買うことになるとは。
この1枚ものヴァージョンには、4枚組の内のCD3枚に収められている全40曲から、16曲がセレクトされている。内訳は、エレクトリック・セット(4枚組のディスク1と3に収録)から8曲、アコースティック・セット(ディスク2に収録)から8曲と、きれいに半分ずつ。

これを選んだ理由は、二つある。ひとつは、4枚組の全40曲の中からオリジナルDSN&Yの曲がだいたい収録してあること。オリジナルCSN&Yの曲でここに収録されていないのは、「カット・マイ・ヘア」、「デジャ・ヴ」、「プリ・ロード・ダウンズ」の3曲(アウトテイクの「ブラックバード」を入れれば4曲)。クロスビー作の「カット・マイ・ヘア」と「デジャ・ヴ」が聴けないのは残念だが、これはあきらめることにする。
もうひとつの理由は、コンサートのオープニング・パートの4曲とエンディングの2曲がそのまま収録されていること。多少なりともツアーの雰囲気をしのぶことができるような気がしたのだ。
というわけで、この1枚ものの<エッセンシャル>版を発注したのだった。輸入盤はアマゾンで1400円ちょっと。これなら失敗してもいいかな、と思った。

発売日の7月23日に無事到着。
ジャケットの出来は、今ひとつ。大観衆を前にした4人を、ステージ奥から撮ったカットがあしらわれているが、アート・ワークにしまりがない。これでは内容の方もあまり期待できない感じ。
以下、各曲についてコメントするが、全体的な感想としては、やはり今ひとつの出来。とくに、オリジナルCSN&Yの売り物であった、シャープでパワフルなコーラス・ワークがどこにも見当たらなかったのは致命的。繊細さや張りつめた緊張感みたいなものも希薄で、彼らの70年のライヴを収めた『4ウェイ・ストリート』には遠く及ばない内容だった。
ただし、ニール・ヤングとデヴィッド・クロスビーの曲は、いずれも素晴らしい。まあヤングに関しては、この人が歌いだすとCSN&Yではなくてニール・ヤングの単独ソロ・コンサートのおもむきになってしまうのだったが。この二人に関しては、できれば他の曲を聴いてみたい気持ちになった。でもまあいいや。

というわけで、1枚もので買ったのは、とりあえず正解。『CSNY 1974』は4枚組ではなく、1枚ものの<エッセンシャル>で十分というのが私の結論だ。
 以下、各曲についてのコメント。


1 愛への讃歌

聴いたことがない曲が始まったと思ったら、それが「愛への讃歌」だった。いかにもスティルスらしいラテンぽいリズム・アレンジのエレクトリック・ヴァージョンだ。
オープニング曲だから、練りに練ったアレンジで意表を突いたのだろうが、全体にもったりとして、すっきりしない。スティルスのヴォーカルも、ちょっと力み過ぎ。『4ウェイ・ストリート』でのようなシャープな爽快感はない。

この印象がじつは、このアルバムの全体の内容に共通するものだった。その意味で、このオープニングナンバーは、このアルバムを象徴しているとも言える。

2 木の舟

この曲は69年のウッドストック・フェスでの名演が何といっても印象深い(映画『ウッドストック』のサントラなどに収録)。スピード感があって、ドラマチックで、胸に迫るような切実な感じがあった。
それに比べると、ここでの演奏は、集中力に欠けていて散漫な印象。スティルスのギター・ソロも、今ひとつノリきれていない感じ。これでは全然物足りない。

3 イミグレイション・マン

クロスビーとナッシュの最初のデュオ作収録曲。ナッシュのヴォーカルがちょっと力み気味で、演奏全体もオリジナルよりヘヴィーな印象。コーラスはCSN&Yのわけなのだが、あのシャープでパワフルなコーラス・ワークを聴くことは出来ないのだった。スティルスのギター・ソロは、ここでも今ひとつ。

4 ヘルプレス

『デジャ・ヴ』収録のニール・ヤングの曲。この人が出てくると、たちまちこの人独特の世界がそこに現れる。オリジナルは名曲ともヤングの代表曲とも思わなかったが、ここでの演奏はよい。
せつせつとしていて、しみじみと聴かせる。ここまでのコンサートの冒頭3曲が、どれもパッとしなかったので、この曲まできて何だかほっとする。
ヤングのギター・フレーズをまねた、スティルスの「訥弁」ギター・ソロがちょっと可笑しい。

5 ジョニーズ・ガーデン

 スティルスがマナサスでやっていた曲。いかにもこの人らしい(?)、可もなく不可もない煮え切らない曲。この曲は、個人的にはいらなかった。ヤングのギター・ソロが聴けるが、冴えはなし。

6 リー・ショア

上の曲のあと、4枚組のディスク1の後半(ソロ曲が続いている)がカットされて、次に来るのがディスク2のクロスビーのこの曲。ここからアコースティック・セットのパートになる。4枚組では、次の「チェンジ・パートナーズ」が先なのだが、スティルスの曲が2曲続くのを避けたのか、ここだけ順番が入れ替わっている。

曲は『デジャ・ヴ』のアウトテイクで、『4ウェイ・ストリート』が初出。『4ウェイ…』での演奏は、ピーンと張りつめた緊張感があって素晴らしいものだった。
この1974年の演奏は、ジョー・ララのパーカッションがポコポコと鳴っていたり、控えめながらスティルスのエレクトリック・ギターがヴォーカルに寄り添ったりと、ちょっと様子が違っている。しかし、なかなか悪くない。クロスビーの繊細で研ぎ澄まされた感覚が伝わってくる良い演奏だ。

7 チェンジ・パートナーズ

スティルスのソロ2作目の冒頭に入っていた曲。ここでは3本のマーティンD-45で、アコースティック化して演奏している。しかし、オリジナルを聴いたときも、つまんない曲だと思ったものだが、その印象は変わらず。
しかもコーラスが、せっかくのCSN&Yなのだが(Yの声が前面に出ている)、往年のCSN&Yらしいパワフルなコーラスの魅力は聴けない。

8 オンリー・ラヴ

ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』収録のおなじみの曲。これも「ヘルプレス」同様、ヤングの声が聴こえると、たちまちCSN&Yではなく、ニール・ヤング・ワールドが立ち現れる。
素朴でしみじみとしたよい演奏だ。クロスビー&ナッシュのバック・コーラス、スティルスの控えめなピアノも好ましい。そして、アカペラで歌われるエンディンがとてもよい後味を残す。

9 僕達の家

グレアム・ナッシュの人気曲だが、私には甘過ぎてあまり好きではない。
ナッシュのピアノ弾き語りに、他の3人がコーラスをつけている。この4人のハーモニーが意外によい。繊細でデリケートなふくらみのあるコーラス・ワークを聴かせてくれる。思わぬ拾いもの。

10
 グウィニヴィア

デヴィッド・クロスビー作のCS&N1作目収録曲。
もともと名曲だが、ここでの演奏はまさに名演。このアルバムのハイライトと言える。
クロスビーのギターに乗って、クロスビー&ナッシュのハーモニーがデリケートに夢幻の世界をつむぎ出す。ライヴ録音でありながら繊細さにおいては、オリジナルのスタジオ版をはるかに上回っている。

11
オールド・マン

ニール・ヤングの『ハーヴェスト』収録曲。ヤングはこの『ハーヴェスト』で大ブレイクを果たしたわけだが、一般ウケするアルバムの多くがそうであるように、ヤングの強烈な個性は抑え気味で、私には物足りないアルバムだった。この曲もそれほど印象に残るような曲ではなかったが、ここでの演奏はなかなか良い。ヤングのギター弾き語りに、クロスビー&ナッシュがバック・コーラスをつけていて、やはりCSN&Yというよりは、ヤングのソロ・ステージの印象。
ヤングのヴォーカルは、孤独と寂寥と諦念が感じられて胸に迫る。そしてエンディングのヴォーカル・フレーズの微妙なくずし方がしみる。

12
ティーチ・ユア・チルドレン

おなじみナッシュのヒット曲。個人的には、軽過ぎてあまり好きな曲ではないので、ここに入っていなくてもよかったのだが。『4ウェイ・ストリート』での演奏に比べると、出来としては少し落ちるのでは。

13 組曲:青い眼のジュディ

この曲が、このツアーではアコースティック・セットのエンディングだったという。
 冒頭から何だか元気がない。集中力に欠けているというか、張りがないというか。結局この感じが最後まで続いていく。ギターのブレイクを活かしたり、ヴォーカルにコブシを効かせてみたり、なんていう新しい工夫も見られるが、全体としては長丁場をただ辿っているだけという印象。往年のような(といっても4年前なんだけど)精彩とシャープさに欠けていて、凡庸な演奏だ。逆にあの頃の(つまり1970年以前の)彼らが、いかに神がかっていたかがわかる。

14
ロング・タイム・ゴーン

ここから再びエレクトリック・セットに戻る。というか、ここからの3曲で、コンサート終盤の様子を再現している。

この曲は、CS&Nのファースト収録曲だが、何といっても『4ウェイ・ストリート』での激しい演奏が印象的。それに比べると今回はややおとなしい感じだ。
『4ウェイ…』で聴けたヤングの張りつめたようなギターの爆音がないのと、リズム隊の演奏が、ビートを細かくしてフラットなアレンジになっているのが、おとなしく聴こえる原因だろう。
しかしそのフラットでゆるやかにうねる伴奏に乗って、怒りをぶつけるかのように歌うクロスビーのヴォーカルが、ひときわ際立っている。めらめらと燃える炎が、じわりじわりと大きく燃え上がっていくようだ。これはこれで、なかなかの名演。ヤングのギターが控えめで爆音が聴けないのがちょっと残念だけど。

15
シカゴ

ナッシュのプロテスト・ソング。『4ウェイ…』でも、ピアノ弾き語りで歌っていたが、こちらはエレクトリック化してのバンド演奏。しかし、その分パワー・アップしたかというとそうでもない。たしかにナッシュの歌い方は、以前ょりも激しいのだが。
それにしても、この人はときどきプロテスト・ソングを歌っているのだが、何だかプロテストを商売に利用しているようなフシが感じられて胡散臭い。

16
オハイオ

ニール・ヤング作のプロテスト・ソング。これも『4ウェイ…』でやっていた曲。この1974年のライヴで、ヤングの曲はどれもよい演奏だったので、この曲がとどめをさすかと期待したが、そうはいかなかった。『4ウェイ…』での演奏に比べると、コーラスもバンドの演奏も躍動感の薄い平板な出来だ。たぶんスティルスが弾いているのであろう、ヤング風のギター・ソロは、まったく蛇足。ここでも、ヤングの爆音が聴きたかった。



2014年7月14日月曜日

オニオン&トマト・サンドイッチ、ただしジャンボ


最近サンドイッチにはまっている。ときどき昼食に自分で作って食べている。
考えてみるとサンドイッチって不思議だ。具材をパンではさむだけなのだが、それぞれの味が一体になると、別々に食べたときよりも何倍も美味しくなる。
いろいろはさんでみた結果、いちばん気に入ったのがオニオンとトマトのサンド。もっとも私はもともと大のタマネギ&トマト好きなのだが。具材だけ聞くと、すごくヘルシーに思えるかもしれないけれど、じつはそうでもない。なにしろ超ヴォリューミーだからだ。体にいいんだか、悪いんだかよくわからない。でもとにかく、オニオンとトマトの美味しさを、たっぷり堪能できるのは間違いない。
以下そのレシピを紹介してみよう。簡単過ぎてレシピというほどのものでもないけど。


〔オニオン&トマト・サンドイッチの作り方〕

<材料>
食パン(5枚切) 2枚 [注1]
タマネギ 大1個 [注2]
トマト 大1個 
マーガリン、ケチャップ、からし(チューブ入り) 少々 [注3]

[注1] 食パンは何と、5枚切り。いろいろの厚さの食パンで試してみたが、はさむ具材とのバランスからいって、この熱さがベストだった。ただし、サンドイッチを二つ作ると、1枚余ってしまうのが問題なのだが。値段は1斤200円程度のやや高めのものの方が、やはりそれなりに美味しい。
[注2] タマネギとトマトは一応それぞれ1個用意する必要はあるが、使うのは輪切りにした真ん中へんだけ。残りの部分は、他の料理に適当に使ってください。
[注3] サンドイッチといえば、マスタードが定番かもしれない。しかし、私はこの場合、チューブ入りのからしを使う。タマネギの刺激的な辛さには、つーんとくるトンがったからしの辛さがいいのだ。

<作り方>

1 タマネギとトマトの中央付近を、1センチ厚の輪切りにする。
[注4] 厚さは、1センチかそれ以上にする。タマネギは主役なので、覚悟して思い切りよく厚く切る。具材の厚みは計2センチ以上。考えただけで豪快でしょ。

2 輪切りにしたタマネギを、皿にのせラップをして電子レンジで1分ほど加熱する。
[注5] 完全に火が通らず、半なま程度がよい。かじったときに、さくっとした歯応えと、ツンとした辛さがあるように。

3 食パン2枚を用意し、片方にからし、もう片方にマーガリンを塗る。
[注6] マーガリンはたっぷりと塗る。具材が野菜だけなので、これで脂分を補うのだ。やっぱり脂がないと美味しくない。それと、野菜の水分がパンに移るのを防ぐ意味もある。その方が美味しいとたしか村上春樹が小説の中に書いていた。からしは当然ほどほどに塗る。

4 からしを塗った方のパンに加熱したタマネギの輪切りをのせ、ケチャップをかける。
[注7] やっぱりタマネギにはケチャップだ。

5 その上にトマトの輪切りをのせ、マヨネーズをかける。
[注8] ここでついでにハムとかチーズものせたくなるのだが、ぐっとこらえる。シンプルな方が、オニオンとトマトの美味しさが引き立つのだ。

6 その上にマーガリンを塗った方のパンをのせ、上から全体をよく押さえる。
[注9] 両手でぎゅうぎゅうとかなり強く押さえる。

7 これで完成。あと必要なのは大きな口だけ。さあ、豪快にどうぞ。
[注10] 食べるときに、どうしてもあちこちからマヨネーズやケチャップがはみだしたり、中身がこぼれそうになるので、あらかじめファスト・フード店のように、紙で包んでおいて、それをむきながら食べるとよい。私はこの紙として、ちょっともったいないがクッキング・シートを使っている。非常に具合がよい。

思い切りかぶりつくと、タマネギの歯応えと強い刺激、そしてトマトの豊かな旨みが口の中いっぱいに広がる。それがマヨネーズ、ケチャップ、マーガリンの味と渾然一体になって、何ともいえない濃厚で奥行きのある美味しさだ。世に出回っているいろいろなハンバーガーよりもずっと美味しい。あのMよりも、Lよりも、○スよりも、BKよりもね。しかも断然安い。5枚切りのパン2枚だから食べ応えもあって、食べ終えると、ごちそうを食べた満足感がある。



2014年7月8日火曜日

ヘンテコな井上陽水論


今月号(2014年7月号)の『レコード・コレクターズ』誌は、井上陽水『氷の世界』特集。『レコ・コレ』誌が井上陽水を特集したこと自体がちょっと意外だ。以前だったら『ミュージック・マガジン』の方で特集していたのにね。
どの記事も、必要以上に海外のロックに関連付けている記述が目立つが、このあたりがレコ・コレ流なのか。その分、当時の日本の音楽の中での位置付けに関する論が弱いのが残念。井上陽水の音楽って、ほんとワン・アンド・オンリーにしか見えないからだ。

それはともかく、今回の特集のメイン記事が、いつになくお粗末。小川真一という人の書いた「井上陽水バイオグラフィー」という記事だ。井上陽水のデヴューから、『氷の世界』でのブレイクを経て、5枚めのアルバム『二色の独楽』に至るポリドール・イヤーズまでを紹介した記事だ。
なるべく他人様のことをけなしたりしたくないのだが、今回のこの文章は、あんまりひどいと思ったので、どうしても一言いいたくなってしまった。

この記事の冒頭部分で、小川真一は「井上陽水は天才である」と断じている。その具体的な根拠として、まず歌手としての天分を挙げる。「超絶なる美声」と優れた歌唱力を備えているというのだ。そしてその次の「天才」の根拠として挙げているのが、陽水の作詞・作曲の独自性だ。この辺までは、私も納得できる。

しかしこの独自牲についての説明が、何ともヘンテコなのだ。
小川の文章をそのまま引用してみよう。

その作詞・作曲法も独自のものだ。もしも全身全霊を込めてしまえば、その一曲で井上陽水は完結してしまう。これでは才能の無駄遣いになるので、歌詞の中に意味のない言葉や単語をちりばめ暴走を制御しているのだ。
(小川真一「井上陽水バイオグラフィー」 p.46)

何とも珍妙な理論だ。全身全霊を込めて曲を作ると、その一曲で作者は「完結してしまう」というのだ。それが、「才能の無駄遣いになる」というのもわからない。
われわれが、ふつうに思い浮かべる天才であれば、全身全霊を込めて次々に曲を生み出していくと思うのだが。

ここまでもかなりヘンな理屈なのだが、さらにわけがわからないのは、「全身全霊を込めて」しまう(これを才能の「暴走」と言うらしい)のを防ぐために、「歌詞の中に意味のない言葉や単語をちりばめ」ている、という指摘だ。そして、この意味のない言葉を散りばめている曲の端的な例として「リバーサイドホテル」を挙げているのだ。上の引用に連続して、小川の文章は次のように続いている。

そのもっとも端的な例が82年に発表された名曲「リバーサイドホテル」だ。(中略)サビの歌詞をよく聞くと「ホテルはリバーサイド/川沿いリバーサイド」。これほど何も考えていない歌詞は、他に例を見ないのではないだろうか。さらに「食事もリバーサイド」と続く。
(小川真一「井上陽水バイオグラフィー」 p.46)

井上陽水がこの歌詞を作るにあたって、「何も考えていなかった」かどうかは私にはわからない。だが、この歌詞を「意味のない言葉」と決めつけることは誰にもできないはずだ。
この曲の歌詞は、かなりわかりにくい。意味不明という評判もあるらしい。私はこの時期の陽水のこんなシュールな感じがとても好きだ。意味不明ではなくて、多義的な解釈が可能な歌詞とは言うべきだろう。
解釈は多義的なのだだから、「川沿い」と「リバーサイド」という二つの同じ意味の言葉を重ねているのは、無意味かも知れないし、意味があるのかもしれない。仮に無意味であったとしても、たとえば語感のリズムとかイメージという側面において、ある効果を生み出しているかもしれない。とにかくいろいろな読み取りの可能性があるわけだ。
ところが、小川はこれを、一義的に無意味な言葉と決めつけてしまう。さらにその上でこの歌を、「意味のない言葉や単語をちりばめる」という陽水の作詞法の端的な例として挙げているのだ。一義的な判断を敷衍して、井上陽水の作詞法全体の特徴としてしまうのもおかしい。

たとえば「ホテルはリバーサイド/川沿いリバーサイド」という歌詞が無意味ではなく、意味を持っているという可能性をいくつか示してみよう。

その1。これはまあ冗談半分として読んでほしい。
私の住んでいる町の隣には、何とリバーサイドホテルという名前のホテルが実在する。そのためもあって、この歌の中の「リバーサイドホテル」が、私には固有名詞として聴こえてしまうのだ。仮にもし固有名詞だと考えれば、この歌詞は、川沿いにリバーサイドホテルという名のホテルがあると言っているわけで、それなりにちゃんと意味が通っていることになる。
その2。この歌について、ネットで調べていたら、見事な解釈に出合った。「猫二朗の歌」というブログの「妙な歌を勝手に解釈する「リバーサイドホテル」」 というタイトルの記事だ。
 この方の解釈によると、この歌の「リバー」とは、この世とあの世を分ける川であり、これはその川を渡ろうとしている二人、すなわち死を選んだ二人の物語だというのだ。なるほど、そう考えるといろいろ腑に落ちる点が多い。何より、この歌の暗く沈んだ世界の中に展開される死と官能のイメージが、すんなりと納得される。
 この前提の上でブログの筆者は次のように指摘している。

この歌には、同じことを重ねて言う、おかしな言い方が何度か出てきます。
「夜明けが明ける」「金属のメタル」「川沿いリバーサイド」「水辺のリバーサイド」、「川に浮かんだプール」もこれに近いものがあります。
 私は、こうした表現は、このホテルが、この世とあの世の中間に位置していて、どちらにも属しているような、それでいてどちらにも属していないような、不思議な空間のイメージを創るために使われているような気がします。
(妙な歌を勝手に解釈する「リバーサイドホテル」)

じつに秀逸な指摘だと思う。もちろんこれが唯一の正解というわけではない。しかし、このように「川沿いリバーサイド」という一節は無意味ではなく、多様な解釈が可能だということなのだ。つまり、ちゃんとそれなりの意味を読み取れるのだ。それを、一義的に、意味がない、何も考えていない歌詞と決めつけてしまうのは、あきらかに誤りだ。


さらに小川は、「意味のない言葉や単語をちりばめる」のが陽水独自の作詞法であるという独自の「リバーサイドホテル理論」を、記事の中盤では「傘がない」の解釈に援用しているのだ。
その部分を引用してみる。

最初に陽水の名前を世に知らしめることとなった「傘がない」にしても、歌詞だけを読んでいくと、シラケ世代の屈折した若者の心情を歌っているようにみえる。がしかし、「リバーサイドホテル」で手の内を知った目から見ると、実はあまり考えておらず、結局のところ傘にしか関心がないことがわかってしまうのだ。
(小川真一「井上陽水バイオグラフィー」 p.48)

これもびっくりするような粗雑な解釈というしかない。
どのように解釈するのも自由ではある。しかし、この1972年の歌の歌詞は、その10年後に作られた「リバーサイドホテル」とは違ってきわめてシンプルなものだ。素直に読めば、小川が文中で書いているとおり「シラケ世代の屈折した若者の心情を歌っている」としか受け取りようがないのではないか。

ところが小川は「リバーサイドホテル理論」を援用して、「結局のところ傘にしか関心がないことがわかってしまう」と述べる。しかしこれは話がまったく逆だ。この歌の主人公は、傘になど特別の関心はないのだ。
主人公にとっては、社会的な出来事よりも、身の周りの私事(わたくしごと)が何よりも問題なのだ。そして雨が降っている今日の状況において、この私事の問題を象徴しているのが、たまたま傘だったというに過ぎない。


小川の今回の記事には、その他にもいくつか首を傾げたくなる部分がある。
たとえば「陽水のサウンドが一般にも受け入れられたのは、ニューミュージックという言葉がフィルターの役目を果たしていたからだろう」(p.48)という指摘。当時、少なくともポリドール・イヤーズの頃には、まだ井上陽水がニューミュージックであるという一般的な認識はなかったはずだ。「陽水のサウンドが一般にも受け入れられた」理由は、もっと別のところにあるはず。

それからまた、小川はいきなり、『氷の世界』は名盤だと言い出す。それも、ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』や、ビートルズの『ラバー・ソウル』や、マザーズの『いたちャ野郎』と並び称されてもおかしくないほどの、と。『氷の世界』はいいアルバムかもしれないが、そこまでの名盤とまでは誰も思っていない。読者は、エッと驚かざれる。でも、その論拠は一切なし。ポーンとこの言葉が放り出されているだけなのだ。これって、たんなる思い付きのこけおどしじゃないの。


というわけで愛読する『レコ・コレ』誌にこんな記事が載ったことはとても残念です。スタッフの皆様への敬愛ゆえ、一言書かせていただきました。



2014年6月30日月曜日

東京散歩 「三つの『ヒルズ』を巡る」 赤坂通りと六本木通りを行ったり来たり



6月下旬のある日、東京に出かける用事があったので、ついでに久しぶりでじっくり散歩をしてみることにした。
用件があるのは南青山の骨董通りの裏手。そこで、まず赤坂を起点にして、赤坂通りをずっとたどって目的地まで行くことにした。それから用向きが終わった後は、骨董通りから今度は六本木通りに出て赤坂方面に戻る。そして、アークヒルズまで来たら、その中を通って虎ノ門方面に抜け、オープンしたばかりの虎ノ門ヒルズに寄ってみようと考えた。
なおタイトルは「『ヒルズ』を巡る」としたけれど、それぞれのヒルズそのものに関する情報は、ほとんどありません。それを期待してこのページにお越しの方は、他のページに移動されることをお勧めします。


<赤坂通りを行く>

梅雨の晴れ間の蒸し暑い日だった。曇りがちで直射日光は差さないから、取りあえずは散歩日和。
出発地点は、なぜかTBS放送センター脇のウルトラマンの前(赤坂見附の駅で降りたので、どこから出発してもよかったのだが)。TBS脇の緑の小道を抜けると、そこが赤坂通りだ。ここをどこまでもまっすぐにたどっていけば、青山の骨董通りに出るはずなのだ。

赤坂通りは、片側一車線のそれほど広くない通りだ。名前に「赤坂」がついているから、ちょっと派手&高級なイメージがある。でも実際は、地方都市のどこにでもありそうな裏通りといった感じの地味な通りだ。
たしかに高そうなマンションや、ちょっと凝った構えのレストランもある。そんな中に、いかにも昔から続いていそうな小さなお菓子屋さんや街の電気屋さんなんかもあったりする。しかしラーメン屋やファスト・フード店、居酒屋などもやけに多い。わざわざ散歩に歩くほどの街並みでもない。まあ、私もそんなところをわざわざ好き好んで歩いているわけなんだけれど。
しかし、注目すべきはその道筋がまっすぐではなくて、ゆるやかにくねっていること。昔からある古い道筋の名残りなのだろう。両側の建物は変わっても、道の筋はそのまま残っているわけだ。

出発して5分も歩くと、もう左奥に東京ミッドタウンの高い建物が見えてくる。そして、赤坂小前の変則の交差点を渡ると、右側に赤坂小学校、左手の高台の上に赤坂中学校がある。この中学校の向こうがミッドタウンの庭に接している。
こんなところの小中学校に通っている児童生徒の皆さんは、きっとみんな気の利いた典型的な都会っこなんだろうな、と田舎ものの私としては恐れをなしてしまう。

まもなく道は乃木坂に差し掛かるのだが、あまり坂の感じはしない。右側にあのジャニーズの事務所がある。意外と地味。その先に乃木会館、乃木神社と続き、そこで赤坂通りは、外苑東通りにぶつかる。というか実際にはぶつからないで、その下にもぐり込んでいる。これが乃木坂トンネルだ。
ここを左に行けば、東京ミッドタウンの前を通って、六本木の交差点だ。ここまで、歩き始めてから約10分。赤坂と六本木はすごく近い。
ちなみに左手の角のひとつとなりにSME(ソニー・ミュージック・エンタテイメント)の乃木坂ビルがある。乃木坂と言えば、今はアイドル・グループ乃木坂46の街として知られているのではないだろうか。このグループ名は、このソニーのビルに由来するらしい(詳しくは各自で)。

乃木坂トンネルの入り口の階段を上がる。ここからは、トンネルの上を歩いていく。トンネルが出来る前は、ここが赤坂通りだったのだろう。中央分離帯もある立派な道路なのだが、今はひっそりとしている。都会の真ん中の広い通りが静まり返っているのは、何だかちょっとシュールな風景だ。
それもそのはず、この通りはトンネルの向こう側の出口の上で行き止まりになっている袋小路なのだった。

車道は行き止まりになっても、歩道は続いている。進んでいくと下り坂の細い通だ。右側はトンネルが続いている。高台が終わっても、チューブ状にトンネルが続いているのだ。左側は柵があって見晴らしが悪いが、国立新美術館の裏手に当たっている。けっこうな下り坂だが、自転車に乗った外国人の若者が、何人もすいすい上ってきてすれ違った。
歩道は今度は日本学術会議の建物の裏にさしかかる。そこから先は、下が谷のようになっていて、そこを左右に大きな通りが通っている。その上にかかるこの橋は、南青山陸橋というのだそうだ。もう右側はこのあたりから南青山なのだった。

橋の向こうは青山霊園。緑が広がっている。都会の真ん中とは思えないような深い緑の一帯だ。歩道の車道側の街路樹と、墓地の敷地内の樹木が左右から枝を張り出して緑のトンネルになっている。薄陽が差してきたので、この木陰がありがたい。快適な散歩道だ。
左手奥には、林立する墓石の向こうに六本木ヒルズがそびえたっているのが見える。墓石と近代的な高層ビル。なかなか面白い取り合わせだ。
墓地中央の交差点には、自販機とトイレがある。飲み物を買って、汗を拭きながらここで小休止。出発してからまだ15分も経っていないのだけれど。

再び緑のトンネルの中を歩いていくと、また橋に出る。これは、青山橋だ。この下を左右に通っているのが、外苑西通り。橋の向こうには、青山霊園の飛び地がある。墓地を見下ろしながら通り過ぎると、いよいよ青山のオシャレ・エリアに入る。気が利いたお店がぽつぽつと増えてくるが、まあ私には関係ないなあ。
ほどなく根津美術館前の交差点。ここを、右に進むと表参道の交差点だ。根津美術館は、5年ほど前にリニューアルしたのだが、新しくなってからまだ中に入ったことがない。いずれ入ってみたいものだ。

そのまままっすぐ進んでやっと骨董通りに到着。出発してから30分経過。あれ、私の持っている地図では、ここで赤坂通りは終わっているのだが、実際は交差点になっていて、まだ先に続いている。どうやらここ何年かの間に道が出来て、少し先の六本木通りにこのまままっすぐ直結したらしい。


<六本木通りを行く>

青山で用件終了後、散歩を再開。骨董通りを青山通りとは反対方向に歩いていく。この通りもごちゃごちゃとした地方都市にもよくあるような街並みだ。たしかに、オシャレなブティックやレストランもちらほらあるにはある。しかし、全体としては殺風景。それにしても、骨董屋はあまり見ない。

やがて道は高樹町交差点で、六本木通りに斜めにぶつかる。角にあるのが、富士フィルムの本社ビル。社名はフィルムだが、通りに面する看板で宣伝しているのは化粧品ばかりだ。
六本木通りは、さらに殺風景な通りだ。片側3、4車線の大きな通りで、しかもその上を首都高3号線の高架が通っている。田舎の人間にとっては、高架下の道路という場所は、何となく場末感が漂うイメージがある。しかし、ここはまぎれもなく東京の繁華街のひとつなのである。そんなイメージと現実のギャップがどうにも埋まらない。

道はゆるやかに下っている。ちょっと先の西麻布の交差点が谷底のようだ。六本木通りが外苑西通りと交わるのが、西麻布の交差点。オシャレで高級な夜のお店が集まっているらしいが、昼間だから全然わからない。まあわかってもべつに関係ないけど。

交差点を越えると、今度はゆるい上り坂。蒸し暑くてくたびれてきた。やがて巨大な六本木ヒルズのふもとに到着。ビルを見上げながらエスカレーターで一段あがり、クモのオブジェのある広場で休憩。ここは、幅広い滝があり、風も通り抜けて涼しい。
ここに来るのは、ずいぶん久しぶりだ。でも、ヒルズの中には別に用事もないので、少し休憩してから再び舗道に下りて歩き始める。

六本木はやっぱり人が多い。六本木の交差点は、東京ミッドタウンの方に行く人と来る人でいっぱいだ。そのミッドタウンを左手に見ながら、まっすぐ歩いていく。道はまた下り坂になる。この坂は市三坂というらしい。このあたりは本当に坂が多いことを実感する。
六本木に来ても、交差点よりこちらの方面に来る機会はなかった。六本木交差点の向こうの六本木ヒルズのある側に比べると、こちらは古いビルが多くて何だかくすんだ感じ。やはり高架の下の場末感が漂う。

やがて首都高3号線と都心環状線が分岐する谷町ジャンクションに到着する。名前のとおり、谷底のような場所だ。
上り下りの高架の道路が空中で複雑に入り組んでいる。地上では道路がトライアングル状態になっている。どこをどう渡れば、向こうに行けるのかよくわからない。が、横断歩道を渡って、うろうろしながらなんどか歩道橋にたどり着く。
その歩道橋を歩いていくと、道の向こうのアークヒルズに直結していた。ここで、六本木通りとはお別れだ。


<アークヒルズから虎ノ門ヒルズへ>

アークヒルズには、ほとんど縁がない。中にあるサントリー・ホールに一度だけ来たことがある。ショップも飲食中心だし、周辺に立ち寄るようなところもないから、こんなことでもなければ近寄る機会もなかった。
建物の中を抜けて施設の中ほどの広場に出る。ビルの狭間にあるがらんとした空間だ。人影もほとんどなくて、オープン・カフェで憩っている人たちが数組いるだけ。
六本木通りの喧騒から離れて落ち着いた気分になる。ぶらぶらしながら、左手のちょっとこった池をのぞいてみたりする。それから、中央の階段を上がって裏手の方へ。
このあたりはマンションのエリアなのか、緑が多くて小さな庭園風に整備されている。ここも人気(ひとけ)がなく、涼しげでさわやか。

そのままアークヒルズの裏手に抜けると、そこには短い路地。レンガの茶色と植え込みの緑が落ち着いた雰囲気を醸し出している。たしかこの右手の奥にはスペイン大使館があるはずだ。
この短い路地の突き当りの正面がホテル・オークラの別館。その前の道を左に曲がる。ここをまっすぐ行くと霊南坂だ。近くには有名な霊南坂教会もあるはず。
アークヒルズからこのあたり一帯は、静かで落ち着いた雰囲気だ。今度はこの辺をじっくり散歩してみることにしよう。

別館の隣にホテル・オークラの本館がある。この本館と別館の間の道を右に曲がって進んでいく。その道は左に曲がりながらホテルの裏手に回りこんでいる。そのあたりが、かなり急な下り坂で、江戸見坂という名前が付いている。あちこちにある富士見坂の反対で、ここからは江戸が見渡せたということなのだろうか。今は坂の向こうに虎ノ門ヒルズの巨大な姿が見える。先日オープンしたばかりのピカピカの新品だ。

坂下の交差点を右に曲がる。そんなに広くない昔ながらの道だ。これを少し進んで、広い桜田通りをわたると風景は一変。そこはもう虎ノ門ヒルズのふもとエリアだった。見上げても高過ぎて様子がよくわからない。

エスカレーターがあったので昇っていく。しゃれた緑のエリアを見ながら建物の中へ。外の庭園を大きなガラス越しに取り込んだ建物内の空間に、オープン・カフェ風のお店がいくつも続いている。飲食のお店ばかりだから、きょろきょろしながら中を素通りするしかない。まあだいたい様子はわかった。
ともかくこれで目的地到着。青山からの散歩は、所要約1時間。けっこうくたびれた。

事前にはまったく考えていなかったのだが、結果的に今日の散歩は、三つの「ヒルズ」、つまり六本木ヒルズ、アークヒルズ、虎ノ門ヒルズを巡るコースということになってしまった。あまり建物の中身に興味がないので、それぞれそのふもとを通り抜けただけなのではあるが。
ちなみに、日本で1番高いビルは、東京ミッドタウンで、虎ノ門ヒルズがこれに次いで2番目なのだという。六本木ヒルズは6番目で、アークヒルズはもっとずっと下位だった。
とにかく、どれもみんな大きなビルでした。おわり。


2014年6月23日月曜日

レッド・ツェッペリン 『ライヴ・アット・ジ・オランピア(LIVE AT THE OLYMPIA)』


今回(2014年)発売されたレッド・ツェッペリンのリマスター盤のうち、<デラックス・エディション>のシリーズは、オリジナル盤とコンパニオン・ディスク(ボーナス・ディスク)の2枚組仕様。ファースト・アルバムのコンパニオン・ディスクには、69年10月10日のパリ・オランピア劇場でのライヴが収録されている。フランスのラジオ局によって録音された音源で、2007年の12月に突如発掘されたものとのことだ。

これまでツェッペリンの69年の演奏は、オフィシャルでは、『BBCライヴ(BBC SESSIONS)』と、『レッド・ツェッペリンDVD』でしか聴くことができなかった
『BBCライヴ』は、ディスク1の14曲が69年のもの。『レッド・ツェッペリンDVD』には、ディスク1のエクストラ・トラックとして、デンマークと、フランスと、イギリスのテレビ番組での演奏が計7曲収録されていた。
しかし、これらの音源は、『BBCライヴ』の中の4曲を除いて、あとはいずれも番組収録のためのスタジオ・セッションないしはスタジオ・ライヴで、いまひとつ迫力に欠けていて物足りなかった。
個人的には69年もののブートレグを数枚持っているのだが、当時のステージでの彼らは、猛烈なエネルギーを放出しながら、爆発的な演奏を繰り広げていた。

そんな初期の彼らのライヴが、今回ちゃんとした形で聴けるようになったのはうれしい。けっして最高の出来というわけではないが、当時の彼らの勢いは十分に伝わってくる。


■1969年のツェッペリン

このライヴが行われた69年の10月は、ツェッペリンにとってどのような時期にあたるのか。とりあえず、69年の彼らの動向を簡単にたどってみることにしよう。
前年の1968年に新たなヤードバーズとして結成されたこのバンドは、9月からライヴ活動を開始。ツアーの途中でヤードバーズから、ニュー・ヤードバーズ、そしてレッド・ツェッペリンへと名前を変えている。
そして1968年10月に、自前でデヴュー・アルバムを録音。このテープによって、アトランティック・レコードと破格の金額で契約を結んだのは有名な話だ。そして、1968年12月26日から最初の北米ツアーを開始し、そのまま1969年に突入したのだった。

69年は、ツェッペリンにとって、まさにツアーに明け暮れた1年だった。
前年の12月からこの年の2月までが第1回北米ツアー。
3月には、英国国内と北欧ツアー。その合い間に、BBCやデンマークのテレビ、ラジオに出演してプロモーション活動を行っている。
4月から5月にかけて、再び2回目の北米ツアー。ツアーをしながらセカンド・アルバムを録音。
6月には英国ツアー。その合い間をぬって、またBBCやフランスのテレビ、ラジオに出演している。
7月から8月にかけては、またまた今度で3回目の北米ツアー。引き続きツアーをしながらセカンド・アルバムの録音を続ける。
9月に入りアメリカから帰国後、この年はじめてのオフを取る。
そして、10月10日にパリのオランピア劇場、12日にロンドンのライシアム劇場で単発のライヴを行い、その後10月から12月にかけて、なんと4回目の北米ツアーを行っている。
何と良く働く人たちなんだろう。

この間、第1回北米ツアー中の1月12日に、記念すべきデヴュー・アルバムがアメリカで発売されている(イギリスでは3月28日に発売)。
そして、第2回から3回の北米ツアーをしながら各地で録音されたセカンド・アルバムは、10月22日に発売された。

さて、この10月10日のオランピア劇場でのライヴである。上記のとおり、この年初めてのまとまったオフの後、そして、ニュー・アルバムの発売と4度目の北米ツアーの直前に行われたことになる。
ツアーのためのウォーム・アップ・ギグであり、新アルバムのお披露目&プロモーションとも考えたくなる。しかし、このライヴで披露された新曲はたった2曲のみ(「ハートブレイカー」と「モビー・ディック」)。しかも、このかんじんの2曲ともペイジは、ギターをミスっている。
ちなみに、この後の北米ツアーでも新曲はこれにさらに「強き二人の愛」を加えた3曲だけで、あまりプロモーションにはなってないような気もするのだが。
結局、単発のライヴであり、しかもわざわざパリの会場で行っていることや、放送用の録音が残っていたことから考えて、放送局のオファーを受けての公演だったのではないだろうか。


■各曲についてのコメント

1. グッド・タイムズ・バッド・タイムズ/コミュニケイション・ブレイクダウン (Good Times Bad Times/Communication Breakdown)

これはメドレーというよりも、むしろ「コミュニケイション…」のオープニングとして、ギミックで「グッド・タイムズ…」のイントロをちょっと長めにやったというところだろう。
ちなみに半年前のフィルモア・ウエストでも(4月27日のセカンド・セットのオープニング)、「キリング・フロアー」の冒頭で、やはり「グッド・タイムズ…」を演奏していた。
彼らはこのようなギミックをときどきやっている。印象深いのは、「ブラック・ドッグ」の頭に「アウト・オン・ザ・タイルズ」(71年のライヴ、『BBCライヴ』で聴ける)や、「ブリング・イット・オン・ホーム」(73年のライヴ、『永遠の詩』【最強盤】で聴ける)の一節をくっつけている演奏だ。

デヴュー以来ずっとライヴの1曲目は「トレイン・ケプト・ア・ローリン」だった。それがこのコンサートから、その座を「コミュニケイション…」に譲ったわけだ。これまで「コミュニケイション…」は、アンコールにやったりしていた(6月27日のプレイ・ハウス・シアターでのBBCライヴのときは、オープニングだったけれど)。セカンド・アルバムも出るし、そろそろ自分たちの持ち歌で、というところなのかもしれない。

その「グッド・タイムズ…」からいきなりハイテンションの演奏だ。ペイジとボーナムは、勢い余ってプレイが上滑りしている。久しぶりのライヴで、力が入り過ぎたのか。ペイジは中盤のソロから、後半のファンク風パートまで、ずっと他の演奏とかみ合わないまま。まさに暴走。勢いだけで押し切っている。ま、それはそれでやっぱりすごい。

2. 君から離れられない (I Can't Quit You Baby)

「コミニュケイション…」から連続。このイントロ部とブレイクで、ようやくペイジは体勢を立て直したようだ。
プラントとジョン・ポール・ジョーンズによって、スローなブルースが濃厚に展開される。その音の隙間を、ペイジがこれでもかとギターを弾きまくって埋めていく。相変わらずの自在ぶり。ギター・ソロのフレーズの、ひしゃげながらよじれていく感じがたまりません。

もともとクールな曲。ライヴの場でも、基本的にこの感触は変わらない。ペイジがどんなに早弾きしても、醒めた冷ややかな感じがあって、そこが何ともカッコいいし、本来の意味でブルース的でもあると思う。

3. ハートブレイカー (Heartbreaker)

新アルバムからの曲の初披露。新曲はこれと、「モビー・ディック」の2曲のみ。
プラントは、もうヴォーカル・パートを少し崩して歌っている。
ペイジの無伴奏ソロは、何と、イントロのみ。かんじんの(笑)早弾きパートはなし。いくらその分(?)、深いエコーを効かせてもやはり肩透かしだ。その後に続くドラムスとベースが加わっての間奏でも、ペイジはソロに入るタイミングを見失ってコードを弾いている。やっと始まったかと思えば、今度は同じフレーズをいつまでもループしてみたたりと、今ひとつぎごちない感じ。
で、結局、全体の演奏時間もスタジオ・テイクより短い。ツェッペリンの曲で、オリジナルより短いライヴ・ヴァージョンてあっただろうか。練習不足(?)。まあ迫力ある演奏ではあるのだが。

4. 幻惑されて (Dazed and Confused)

いつものように不気味に始まる導入部。しかし、頭のリフ部が終わって、弓弾きパートに移行するところで、演奏がバラけてしまう。何だかちぐはぐなまま弓弾きにつなげている。この先大丈夫か、と思ったが、その後は、もう大丈夫。アヴァンな弓弾きパートから、ユニゾンで始まる後半へ。安定感のあるベースのウネリの上で、いつもどおりの緊張感あふれる世界が展開されている。

5. ホワイト・サマー/ブラック・マウンテン・サイド (White Summer/Black Mountain Side)

ファースト収録の「ブラック・マウンテン・サイド」のスタジオ・ヴァージョンは、アコースティック・ギターだったが、ライヴではエレクトリック・ギターで弾いている。そのため、ドローン的雰囲気が加わり、またタブラの音もドラムスに置き換えられて強力化され、インド風味が倍増している。

このメドレーは、初期のライヴにおける見せ場のひとつだった。オフィシャルでは、他に6月27日のプレイ・ハウス・シアターにおけるBBCライヴでの演奏を聴くことができる(90年発売の『ボックス・セット』に収録)。BBCライヴでのこの曲は、繊細なタッチによる聴き所の多い演奏だった。
これに対し今回は、より激しい演奏。割れ気味の音は、迫力はあってよいのだが、細かいニュアンスは飛んでしまって、長尺の演奏だと正直ちょっと飽きます。もともとクラプトンやベックのように、流麗なフレーズが弾ける人ではない。強弱や早弾きでメリハリをつけてはいるが、10分もたせるのはやはり無理があるのでは。

6. ユー・シュック・ミー (You Shook Me)

じつにこなれた演奏。どろどろと濃密で粘っこい。ヴォーカルに対して、ちょっとギターの音が小さめ。例の“all night long”のヴォーカルとギターの下降するユニゾンが生きていないような…。プラントの悶えまくるブルース・ハープも、くぐもり気味の音でちょっと残念。ただ、ヴォーカルやハープと、ギターとのからみは、何ともねちっこくて、まさにツェッペリンならでは。
ペイジのスライド・ソロは、早弾きに走らず、腰の据わった演奏で、じっくり聴かせる。じわじわと熱っぽく盛り上がっていくところは、じつに渋い。
エンディングはかなり長めに引っ張る。急にギターの音が大きくなるが、ヴォーカルとのの掛け合いのスリルは今ひとつか。

7. モビー・ディック (Moby Dick)

2曲目の新曲披露。言わずと知れたジョン・ボーナムのドラム・ソロをフィーチャーした曲。これまでドラム・ソロは、「Pat's Delight」という曲だった。これは、ドラム・ソロの前後を、バンドによるリフ演奏ではさんだものだった。このリフ部を新たに差し替えたのが、この「モビー・ディック」というわけだ。

「モビー・ディック」のリフ・パートは、ツェッペリンの曲の中でも一二を争う名曲だと私は思っている。今回のリイシューで、『Ⅱ』のコンパニオン・ディスクに、ドラム・ソロ抜きのヴァージョンが入っていたのは、じつに気が利いていた。

さていきなりイントロでペイジが失敗。かんじんのリフを弾きそこなっている。結局、頭のリフ・パートは、前半の10小節をすっ飛ばして、後半からスタート。さらにドラム・ソロのあとのリフ部分でも、もう一回、ミスっている。ペイジ君、どうしちゃったの。これも練習不足か。

本編のドラム・ソロは、全然期待していなかった。そもそもドラム・ソロというものは、ボーナムに限らずライヴにおける余興というか、おまけ程度のもの、と私は考えている。ところが、意外にも今回はけっこう面白い。
ボーナムといえばパワー・スタイルのドラマーだ。セカンド・アルバム収録のこの曲のスタジオ・テイクは、センスがなくて本当にお粗末なものだった。
このライヴでも、ロール主体の雷落とし的パワー・スタイルなのだが、リズムを一定にキープしつつ、メリハリもちゃんとつけている。スタジオ・テイクのソロ・フレーズを、律儀になぞっているようなところもある。繊細でテクニカルなプレイは当然望めないわけだが、それなりにまとまりのよい迫力あるプレイを聴かせている。

8. ハウ・メニー・モア・タイムズ (How Many More Times)

冒頭、プラントの挨拶と曲紹介の後、いきなり爆裂演奏開始。ただし勢い余って、ワン・コーラスめの最後あたりで、ギターのリフが1小節ずれたような…。
プラントとの掛け合いでのギターのアウト・トーンなど、えらくカッコいい。リフ部分が終わり、間奏パートに突入。早弾きの後、間奏中盤でペイジにしてはえらく滑らかでエレガントなフレーズのソロを聴かせてくれる。まるでデッドみたい。なかなかの聴きものだ。

ブレイクの後、「オー、ロージー…」のところで、「胸いっぱいの愛を」のリフが聴こえる。これは、今回が初めてではなくて、前回の北米ツアー最終日(8月31日テキサス・インターナショナル・ポップ・フェス)の演奏でも、ここで同じリフが聴けた。
そして再びリフ・パートの爆裂演奏に戻り、珍しくあまり引っ張らずに盛り上げて終わっている。

いつもの冒頭のメンバー紹介なし、途中の弓弾きパートなし、「ハンター」の後のメドレーもなしで、11分強。この頃の「ハウ・メニー…」としては、わりとコンパクトな演奏だが、すっきりとしていて後味よし。



2014年6月7日土曜日

レッド・ツェッペリン初期3作の<デラックス・エディション>


というわけで(?)、予約していたレッド・ツェッペリンのリマスター盤が到着した。私が発注したのは、リイシュー第1弾、『Ⅰ』、『Ⅱ』、『Ⅲ』のそれぞれデラックス・エディション。
発売を知って、少し迷った末、結局3枚とも発注、やはり発売日が近づくにつれて、ちょっとワクワクしていた。
いずれ『レコード・コレクターズ』誌などでも詳細な解説が載ると思われるけれど、とりあえず私なりのレポートを。

なお、私の場合、リマスター盤の音質そのものについてはパスです(笑)。たいしたシステムで聴いているわけではないので、違いはわかりません。


<アート・ワークについて>

ジャケットは紙製の3面開きスリーブ。ビートルズのリマスター盤のジャケットと同じようなつくりだ。これを広げた両翼に、リマスターしたオリジナル盤と、コンパニオン・ディスク(ボーナス・ディスクのこと)が収納されている。ディスクの出し入れは、上から。
開いたジャケットの内側3面、外側3面、計6面には、オリジナル・ジャケットの内外のデザインと、メンバーのポートレイトや、ライヴの写真などがあしらわれている。たたんだときの裏面に当たる面は、オリジナル・ジャケットの絵柄をもとにアレンジした新しいアート・ワークになっている。
『Ⅲ』の窓空き回転式のジャケットは、そのまま再現されている。なお、例の回転の仕掛けがあるので、この盤だけ、ディスクは中央と右翼に収納。
全体になかなか良い仕上がりだ。新規のアート・ワークも悪くない。これなら手元にすでに紙ジャケがあっても、一応、持っていたいなと思わせる。

なお外装の透明ポリ袋の裏面に、曲目等を表示した透明のシールが貼ってある。デザイン的には気が利いているのだが、このポリ袋はすぐにだめになりそうなので、そのときは一緒に捨ててしまうしかないのだろうか。もったいない。


<ライナーについて>

付属しているのは、ミニ写真集のようなオリジナルのブックレットと、日本版ブックレットの2冊。写真はかなり珍しいものが含まれているようだ。
日本版ブックレットのライナーは、3作とも伊藤政則と渋谷陽一の御大(おんたい)お二人。伊藤のライナーは、例によって地の文章は薄い内容だが、何箇所か引用しているジミー・ペイジ自身の言葉は興味深かった。
渋谷のライナーは、以前のCDに書いたものの再録が主で新味なし。せっかく、ペイジが力を入れているリイシュー・プロジェクトなのだから、新規の書き下ろしというわけにはいかなかったのだろうか。


<コンパニオン・ディスクの内容について>

そして何より肝心なのは、コンパニオン・ディスクの内容だ。
『Ⅰ』は、1969年10月10日、パリのオランピア劇場でのライヴ音源8曲が収められている。私が今回のリマスター盤に手を出したのは、ひとえにこの音源が聴きたかったからだ。
聴いてみると、これは本当に素晴らしい。この内容については、あらためて別の記事でコメントしてみようと思っている。

そして、『Ⅱ』と『Ⅲ』のコンパニオン・ディスクは、主にオリジナル曲のラフ・ミックスとか、別ミックスとか、ヴォーカル抜きのトラックなどだ。まあ、ブートレグやデラックス・エディションによくある、レア・トラックの世界。オリジナルとそんなに違うわけではないし、もちろんオリジナルに匹敵するような出来のものがあるはずもない。あくまで参考資料で、何度も聴くようなものではない。

期待の未発表曲は、『Ⅱ』では、「ララ(La La)」、『Ⅲ』では「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ/トラブル・イン・マインド(Key To The Highway/Trouble In Mind)」の各1曲のみ。
『Ⅲ』の曲目に「バスルーム・サウンド」というのがあるが、これはに「アウト・オン・ザ・タイルズ」のヴォーカル抜きのトラックだった。何でこのタイトルなの。
またこれはもう有名だが「ジェニングス・ファーム・ブルース」は、「ブロン・イ・アー・ストンプ(スノウドニアの小屋)」のエレキ版で、ここに収められているのはヴォーカルなしのトラック。

未発表曲の「ララ」は、未完成の中途半端なもので、どうこう言うほどのものではない。
もうひとつの「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ/トラブル・イン・マインド」、これは素晴らしい。アコースティック・ギターのみのシンプルな伴奏で歌われるブルースだ。プラントのブルース・ハープも聴ける。
せつせつとしたプラントのヴォーカルには、「ハット・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」で聴ける震えるようなエフェクトの加工が施されていて、不思議な味わいを生んでいる。
結局、今回のスタジオ・レア音源の中で、掘り出しものと言えるのは、唯一この曲だけだった。

ブックレットの引用によると、ペイジは「スタジオ盤とコンパニオン・ディスクを聴けば、(中略)レッド・ツェッペリンのレコーディングの世界を垣間見ることが出来る」と語り、さらに、今回のデラックス・エディションは「我々のレコーディングの過程をとてもよく表している作品だ」とも言っている。なるほどそうだったのか。
私はツェッペリンのファンだけれども、べつに彼らのレコーディングの過程にまでは興味はない。出来上がったものだけでとりあえず十分だ。だから、このペイジの言葉を読んで、正直、シマッタと思った。これは、私には関係ないシロモノだったのだ。だから値段の設定も割安だったのね。
思い返せば、これまで、何度も何度も<デラックス・エディション>というレア・トラックものを買っては、このシマッタを繰り返してきたのだった。それで、もう手を出すまいと誓ったはずだったのに…。

『Ⅰ』のコンパニオン・ディスクにライヴ音源が収録されたのは、シリーズの中では例外だったことになる。
これは『Ⅰ』には、別テイクがないという事情もあったらしい。
『Ⅰ』のオリジナルの録音は、レコード会社との契約前で、メンバーが自前でスタジオを借りたため、約30時間という短時間で済ませたという。そのため時間の余裕がなく、別テイクがまったく存在していないという。
ペイジが語るように、レコーディングの過程を示すというこのシリーズの趣旨からいって、今後ライヴ音源が収録される可能性はなさそうだ。中途半端なスタジオ・レア音源には興味はない。なので、リイシュー第2弾以降には、手を出さないことにしよう。とびきりの未発表曲でもあれば話はべつなんだけど…、まあ期待できないだろうな。