2012年8月17日金曜日

「須田国太郎展」

「須田国太郎展」(茨城県近代美術館)を観てきた。
考えてみると洋画の展覧会に足を運ぶのは、ずいぶん久しぶりのこと。「洋画」というものに、もうあんまり興味を持てないのだ。しかし、今回は特別だった。
私は以前からこの須田国太郎という洋画家に少なからぬ関心を持っていたのだ。作品に触れたことはそれほど多くないが、この画家の画集は手に入れて図版でだいたいの作品は知っていた。
数年前に須田の回顧展が中央で開かれたが、観に行く機会を逸してしまった。
そうしたら、今回、没後50年ということで、再度、回顧展が企画された。しかもそれが地元水戸に巡回すると聞いて、期待して待っていたのだ。

なぜ私が須田国太郎に興味を感じるのか。
理由のひとつは、彼がかなりデビューの遅い画家である点だ。どうでもいいような理由ではある。
須田は留学から帰ると、高校の講師をしながら制作に励み帝展に応募するがみごとに落選。これが32歳のとき。その後、東京銀座の資生堂画廊で初めての個展を開いたのが、なんと41歳のときだった。
十代や二十代で逝く夭折の画家がもてはやされる日本の近代美術の歴史の中で、須田のこの「遅咲き」ぶりは、いぶし銀のような鈍い輝きを放っている。しかも、周囲とは隔絶したようなあの暗い作風での開花だったのだから。

しかし、私が須田国太郎に興味を感じる本当の理由はもうひとつ別にある。それは、この画家が西欧の油彩画(つまり「本場」の油彩画)をちゃんと見据えた上で、物まねでない「日本固有の油彩画」を生み出そうとした点だ。
この点について語る前にまず私なりの「洋画」観について語る必要がある。
先日の国立新美術館「『具体』展」の感想にも書いたことだが、私は「日本の洋画」というものが、いまだに西欧絵画の模倣の枠内にあると思っている。「洋画」は日本の中で、ガラパゴス的展開は遂げたが、世界にはまったく通用しない奥の細道に入り込んでしまっている。
近代以降日本の独自の美術と言えるのは、1950年代以降の現代美術からだろう。海外において日展の大家の作品は値無しだが、奈良や村上の作品に何億の値がつくことが、このことを如実に示しているとも言える。
須田は京大で美学・美術史を学び、その後渡欧して現地で「本場」の作品にじかに接している。そのようにして深く西欧の絵画を理解したうえで、単なる物まねでない「日本固有の油彩画」を創り出そうとしたのだった。
総体としては、未だに西欧の物まねの域を出ていない「洋画」の中で、はたして須田の「日本固有の油彩画」は実現したのだろうか。そこがずっと気になっていた。

展示作品は約120点。時代別、テーマ別に並んだ作品を見ていくと、描いているテーマの特異性はとりあえずおいておくとして、暗い色彩と装飾的なマチエール(塗ったり削ったりの繰り返しで生まれる)の実現の方に、もっぱら須田の関心は収束していったように見える。
それが「日本固有の油彩画」というものについての須田の結論であったのだろうか。このような表現法こそが、「日本の風土に根を下ろした日本固有の油彩画」(須田自身の言葉)なのだろうか。

そうなのかもしれない。そうなのかもしれないがが、私は手放しで共感することはできなかった。
須田のこのような作風は、厚塗りによって油彩画に接近してきた現代日本画のそれに結果的に限りなく近い。単純化と様式化による装飾性が、写実とミックスされている。日本的な美意識と西欧的な理性の混交。たしかに西欧の模倣の域は脱しているのかもしれない。
ただしかし、決定的に言えるのは現代的でないということだ。ということは、つまり東西を越えた普遍性には到っていないということではないのか。
須田国太郎の生き方、画家としての姿勢、そして「絵との格闘」の軌跡には共感する。しかし彼の作品は、良い意味でも、そしてまた悪い意味でも「日本固有」と言わざるを得ないようである。

平日とはいえ会場はかなり空いていた。やはり、一般的にはマイナーな画家なのだな、とあらためて思った。

2012年8月15日水曜日

「北斎展」

『北斎展』(いわき市立美術館)を観てきた。
べつに葛飾北斎に特別の関心があったわけではない。と言うか私はそもそも浮世絵というものにさほど興味がわかない人なのだ。
私の知人に日本美術なら古代から近代まで何でも大好きという人がいる。ところが、ただ唯一、浮世絵だけは例外というのだ。その気持、私にも何となくわかる。わたくし的に言うと、浮世絵のあの何とも感情移入のしようのない感じ、ということはつまり共感の持ちようがないというところがちょっと苦手なのだ。

いきなりの浮世絵批判みたいなことになってしまった。
もう少し言わせてもらうと、北斎と言えば日本人なら誰もが知っているいわば手垢のついた存在である。私だって興味がないとはいえ、一応はその作品について知ってはいるつもりだ。だからなおのこと、あらためて作品を見ようなどという気にはなかなかならない。
というわけで、まったく期待度ゼロの状態で(なら何で観に行くんだ、と言われそうだけど)、会場に足を踏み入れたわけなのだった。

ところがところが…である。結果的には、つい見入ってしまうような作品にも何点か出会い、いろいろな発見もあったりで、思いのほか良い展覧会だったのだ。
会場に入って最初のあたりは、「まあこんなもんだろう」と、流していた。しかし、だんだん進んでいくにつれ、「おっ」とうならされるような作品があり、さらにいくつかの作品には思わず引き込まれてしまった。
何に驚いたのか。何がそんなに良かったのか。簡単に言ってしまえば、その「異常」とも言える造形のセンスだ。
北斎といえば日本を代表す美術家である。先ほども触れたように、日本人で北斎を知らない人はいない。しかし、目の当たりにした彼の作品に見られる美意識は、とても日本のスタンダードな美意識とは言えないものだ。それはもっと「異常」だ。

『富嶽三十六景』や『諸国瀧廻り』といったシリーズにとくに顕著に見られるのだが、遠近の歪んだ空間の表現や、写実的な描写(たとえば風景)と様式的な表現(たとえば水面の波)との混合や、波や滝の水しぶきの抽象的とも見える表現法などなど…。有名な『富嶽三十六景』の内の「神奈川沖浪裏」、「遠江山中」(手前にのこぎり男)、「尾州不二見原」(手前に桶屋)などみんなそうだ。
そしてとくに『諸国瀧廻り』の落下する水の表現の奇矯なこと。
これらは、日本のスタンダードというより、かなりクセの強い独自のものだ。そしてそのどれもが、現代のわれわれの意表をついてきて魅力的だ。

こうした表現法は、当時の浮世絵購買層の注目を集め、購買意欲を刺激するために、ウケをねらい、どぎつさを強調し、極端な誇張をエスカレートさせていった結果なのであろう、たぶん。その先で行き着いたのが、この強烈で異常で奇矯な表現の数々であったのだろう、たぶん。しかし、それは日本の美を越えて、ワールドワイドの近代意識に通用する普遍的な美だったというわけだ。

北斎は数々の奇行で知られる人物らしい。
生涯に93回も引越しをしたとか、食事は自分では作らずすべて買ってきたものですまし、食べ終わるとその包装やいれものをそのまま放置するので室内はゴミだらけだったとか、絵が売れてそれなりの画料を得ていたのに金額も確認せずに集金の商人に与えてしまうので、つねに貧乏だったとか…。どれも何となくウソ臭いが、むしろ作品の奇矯さから、そんな風変わりな作者像が形作られていったのではなかろうかという気もする。

 最後に展示について。今回の展示数は全部で170点。すごいヴォリュームだ。しかし、同じような大きさのものが延々と並んでいると、最初から最後まで集中力を持続させることはほとんど不可能だ。個人的には100点くらいが限度。ところが、今回の場合、後のほうに行くにつれ作品のテンションが上がってくる感じ。なので、前半でくたびれて後半を流してしまっては何とももったいない。会場構成に何か工夫はないものなのだろうか。

2012年8月7日火曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆」月間その2

「極辛麻婆つけめん」の巻

前回訪問から中三日おいて「つけ麺 坊主」訪問。
「極辛」メニュー解禁月間である8月に入って二度目の訪問だ。年に二回しかない機会なので、こちらも気合が入る。
少し雲がかかっているがむしむしと湿度が高いこの日、「極辛」メニューで大汗をかいてすっきりしようとお店に向った。前回訪問時に、次の休店日を確認しておいたので、今日は間違いなくやっているはず。

平日午前11時15分入店。開店直後というのに、先客がもう5人もいる。
券売機に向う。前回は「極辛麻婆らーめん」だった。もう一度食べたい気持もあったのだが、ちょっと迷ってもうひとつの「極辛」メニューである「極辛麻婆つけめん」のボタンを押す。そして私なりのこだわりで、「麻婆大盛」(100円)のボタンも。さらにいつもどおり「ビール」と「白めし」。
食券を持って今回はカウンターの中ほどへ。「麺は大盛り、めしは普通盛りで」とご主人にお願いする。つまり「極辛麻婆つけめん」は、プラス麻婆大盛り、麺大盛りということになる。

ビール到着。さっそくグビリとやって一息つく。厨房は先客の注文を作り始めたばかりだ。先客の麺が茹で上がるまで、次の私の分の麺は投入しない。つまり後追いで並行して茹でるということをしない。こだわりなのか、たまたま段取りの都合なのかはわからないが、たぶんこだわりのような気がする。で、いつもよりちょっと時間がかかりそうだったが、全然気にならない。

店内の先客の中に二入連れのオヤジがいた。この内の一人が食べ終わった後、券売機のところに行き、追加で何かのボタンを押している。それをご主人に渡して頼んだのは、「味玉」(つまり味つき玉子、煮玉子)だった。食後に単品で玉子を頼む人をはじめて見た。
小椀に入った「味玉」を受け取ると、二人は箸でそれを二つに割って何やら吟味している様子。相当なマニアか、あるいはラーメン・ライターまたはブロガーなのかもしれない。この店のファンとしては高評価が下されることを祈るばかりだ。
ちなみにこのお店の「味玉」は、玉子を漬け込む汁にも唐辛子が入っている。徹底しているのだ。

やはり前回同様、特製メニューはいつもより段取りが多いようだったが、無事「極辛麻婆つけめん」のつけ汁登場。その姿は、基本的に前回食べたに「極辛麻婆らーめん」をぎゅっと縮小したものだ。ただ、大盛りでお願いしたので、この店の通常のつけ麺のつけ汁の器よりも一回り大きい器に入っている。これがうれしい。

盛大に器の中央にかかっている魚粉の山。唐辛子と見紛うほどに赤いと思っていたら、これにも唐辛子がミックスしてあることが今回わかった。トッピングの周囲にわずかに見えるスープの表面には厚く油の層が張っている。ラー油と脂だ。そしてその下には「極」赤のスープが潜んでいる。
ゆっくりトッピングを崩しながら拡げ、その下の方の具材をほぐす。豚肉、もやし、ニラ、メンマといった顔ぶれは「極辛麻婆らーめん」と同じ。柚子の風味もかすかに。くわえて大盛りにしただけあって、底のさらに底の方まで麻婆豆腐がごろごろしている。開店直後のせいか豆腐の塊が大きい。これも何だかうれしい。

一般的な話だが、つけ麺は、同等のラーメンより具材やトッピングが少ないのが私にはさびしく感じられる。そこで、このお店で麻婆系のメニューを頼む場合は、「麻婆大盛」にすることにしている。こうすると、つけ麺のもう一つの不満点、すなわち汁が食べているうちにどんどん冷めてしまうという問題も、多少ではあるが改善できる。

つづいて、麺と「白めし」到着。つけ汁の器の表面にいったん拡げたトッピングと具材を箸で少し寄せてスープの池を作り、すくった麺をここにくぐらせてから食べ始める。
この麺が旨い。いい具合のアルデンテだ。いったん冷水でしめたこの歯応えは、つけ麺でないと味わえない。いつもここで頼んでいるラーメン系のメニューではこうはいかないのだ。つけ麺でも「あつもり」にすると、やはりこの歯応えはなくなってしまう(なので、私は「あつもり)にはしない)。

スープの辛さはそれほどでもない。するすると麺を口に運ぶ。ときどき、麺と一緒に具材も食べる。ただしご飯は食べない。これはラーメンのときとは別の食べ方があるのだ。
しかし、中盤過ぎたあたりでじわじわと辛さが効いてきた。この感じは「極辛麻婆らーめん」のときと同じだ。辛さに関しては前回以上かもしれない。

同等の辛さのラーメンとつけ麺は、辛さの順位ではつけ麺の方が上位にくる。つけ麺のつけ汁の方がラーメンのスープより濃縮してあるからだ。このお店のメニューで言うと「特製つけ麺」が辛さランキング第2位で、同じ内容の「特製らーめん」が第3位なのはこの理由による。当然「極辛麻婆つけめん」も「極辛麻婆らーめん」より辛さでは上に位置することになるはずだ。
しかし、私の実感ではむしろラーメンのほうがつけ麺より辛い。つけ麺の場合、スープは麺に絡まる少しの量しか口に入らないし、しかも麺が冷たいのですぐ冷めてしまう。これに対し、ラーメンのスープはレンゲですくってそれなりの量を一度に口に入れるし、しかもいつまでも熱々だからだ。

しかしこの「極辛麻婆つけめん」の汁は、がんがん口の中を攻撃してくる。鼻水が止まらない。麺が残り少なくなってきたところで、とうとう大事にとっておいたご飯と交互に食べ始めた。ご飯が口直しになっておいしい。これで少し持ち直し、やがて麺と具材ほとんど完食。
さて、ここから次のお楽しみが始まるのだ。レンゲでご飯を少しずつすくっては、残ったスープにちょっとだけ浸して食べる。ちょうど、スープカレーを食べるときの要領だ。こうするとスープの辛さと旨さをそのまま味わえる。かなり辛いがご飯の甘さと交じり合って、麺のときとはまた違う旨さを堪能できる。しかし、麺と一緒に早めにご飯を食べ始めてしまったせいで、早々にご飯も完食してしまう。

そして、いよいよ残った汁をカウンター上のポットに入っているガラスープでスープ割りだ。ここは、辛いけれどあまり薄め過ぎないように少しだけ入れる。汗を拭き拭き、鼻水をかみながら、少しずつ飲む。一口飲んでは立ち止まり、立ち止まっては一口飲む。体内がすっきりと浄化され気分はちょっとだけハイになって、やがて完食。口の中が焼けるように熱い。汗と鼻水が収まるのにしばらく時間がかかる。
今回もガツンとくる辛さだった。大満足アンド大満腹。
気がつくと外はいつの間にか雨。ごちそうさまでした。店を出ると、もやっとした外気に包まれたが、火照った体には雨が気持ちいい。辛さの余韻を味わいながら雨の街を歩いていった。今日も胃にはちょっとばかり効いたけど。

2012年8月3日金曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「極辛麻婆」月間その1

「極辛麻婆らーめん」の巻

いよいよ8月。8月と言えば「つけ麺 坊主」の幻のメニュー「極辛麻婆らーめん」と「極辛麻婆つけめん」が解禁となる月だ。この二つは一年の内、2月と8月の二ヶ月間だけの期間限定メニューなのだ。というわけで8月に入って早々、さっそく「つけ麺 坊主」を訪れた。
前回訪問からはまだ一週間。月に一回か、それ以下しか訪問できていないのに、今回のこの間隔の短さからも、私の意気込みはおわかりいただけよう。

夏本番の炎天下を駅から店に向う。平日の開店直後の11時5分に入店。券売機の「極辛麻婆らーめん」のボタンのランプがちゃんと点いている。迷わず食券購入。ついでにこれも迷わず「ビール」と「白めし」も。
食券を持ってカウンター奥の端の席に座る。エアコンは頭上なので苦手な冷気は直接当たらないが、壁の扇風機の風はかなり強力。でもいずれこれがありがたくなるのだろう。
ご主人にいつもどおり、「麺とめしは、ふつう盛りで」とお願いする。

さて店内には先客が1人(後客6人)。カウンターの反対側の端に座っている。この先客がなんと私と同様、「極辛麻婆らーめん」を頼んでいたのだ。ご主人が二人前を一緒に作っている。
この先客の様子をそれとなく窺うと、私と同じ年配のオヤジだ。8月に入って早々のこの日、開店直後に来店するとは、私と同じようなことを考えている人が他にもいるんだなあとちょっと驚く。

ビール到着。例によってグビリとやりながら店内を見回す。昼前からビールを飲んでいるのは、やっぱり多少気がひける。しかし私の少し後に来店した女性客(単独で妙齢)も、何とビールを頼んで飲み始める。豪傑だ。まあ外はこの暑さだしね(私の場合、暑くなくても飲んでるけど)。
カウンターの中のご主人の動きを見ていると、やはり特製メニューだけあって、いつもより段取りが多いようだ。麺の茹で鍋投入前の段階で、スープの方でだいぶ手間がかかっている。それを見ているだけで期待もふくらんでこようというものだ。

そして、ついにカウンターに「極辛麻婆らーめん」登場。 この2月にお目にかかって以来だが、そのお姿は変わらない。
どんぶりの上に具材とトッピングが豪快に盛り上がって山をなしている。具材はもやしと豚バラ。その上に麻婆豆腐と刻みネギがのり、さらに多めに魚粉が振りかけてある。そして、どんぶりのふちには、最高位のメニューであることを示す(?)海苔が一片。さて問題はスープの色だ。他のメニューでも見たことがないくらい赤い。ドス(?)赤い。もちろん唐辛子の赤だ。これはすごいことになりそう。

この「極辛麻婆らーめん」は、私の定番メニューである「特製らーめん」がスープ、具材、体裁等の点でベースになっていると思われる。というか、このお店のラーメン系列の最上位メニューである「特製ラーメン」のさらに上位に位置するメニューとして設定されたというべきかもしれない。
「極辛麻婆らーめん」が「特製らーめん」と違うのは、私の気がついた限りでは、次のような点だ。
① 具材のもやしと豚バラに加えて、ニラとメンマが加えられている。
② トッピングに刻みネギに加えて、ネーミングのとおり麻婆豆腐とそれから大量の魚粉と海苔(1枚)が加えられている。
③ スープに柚子が加えられている。
④ そしてとにかく唐辛子が多い。

いつものようにスープをレンゲですくっておそるおそる飲む。うん、おいしい。いつもの「特製らーめん」のスープとさほど変わらない。二口、三口、四口…。少し辛いかもしれないがそんなでもない。そして、ご飯を三口。
それから慎重に具材とトッピングの山を崩し始める。同時に底の方の麺もなるべくほぐすようにする。
私は辛さランク上位のメニューしか食べたことがないので知らなかったが、このお店の辛くない方のメニューにはメンマや、ニラや、柚子が具材になっているものがあるらしい。ということは「極辛麻婆らーめん」の具材は、このお店のオールスターキャストが総出演ということなのだろうか。

食べながらだんだん何も考えなくなっていく。麺をすすり、もやしと肉と麻婆豆腐をハフハフと食べ、スープをふうふうしながら飲む。ときどき休憩がてらご飯を一口、二口。いつもなら、このサイクルがどんどん加速していくわけなのだが…。
最初はさほどでもないと見くびっていた辛さが、しだいにその正体を現わしてきたのだ。辛さが目の前に立ちはだかって、口中を攻撃してくる。こちらはときどき少しの間、立ち止まらざるを得ない。
でも、ただ辛いだけではなくて、その辛さがちゃんと旨さと一体になっている。たとえ「特製らーめん」に、カウンターに置いてある辛さ増加用の一味をスプーンで山盛りいれても、こうはならないだろう。

夏も本番となって、体が暑さに慣れてきているせいか、汗は思ったほどかかない。しかし、その代わり鼻水がとめどなく流れ出る。カウンター上に置いてあるティッシュで鼻をかみ続ける。
やがて、どんぶりに口をつけて最後の一滴までスープを飲み干して完食。すっきりと爽快な気分だ。
前回(2月)のときもそうだったが、やっぱり辛さのジャブがちょっと胃に効いている感じ。しかし、久しぶりにガツンと手ごたえのある辛い食べ物を食べたという満足感を味わった。

帰りがけに極辛完食記念のお店の名入りの真っ赤(唐辛子色)なタオルをご主人からいただいた。
ごちそうさまでした。また来ます。

2012年7月27日金曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」 梅雨明け編

先週、気象庁から梅雨明け宣言があった。よくあることだが、梅雨明けが宣言されたとたん曇りがちで肌寒い梅雨空が続いている。それでもだんだんと暑くなってきて、いよいよ本当の夏がやってきたある日、久しぶりに水戸のラーメン屋「つけ麺 坊主」を訪ねた。
前回が梅雨入り直後だったから、じつに一ヵ月半ぶりの訪問だ。自分的には、満を持して食べに行くという感じ。

店に向って通りを歩いていく。あの店の前ののぼりを見るまでは安心できない。最近、不定休化しているみたいだからだ。こちらは何しろ「満を持して」の意気込みなので、休みだとがっかり度も大きい。
 しかし、近づくと無事にのぼり発見。白地に黒で「つけ麺」とある。よかった、やっている。あれ、もう一本の「超激辛」の赤いのぼりはどうしたんだろう。

平日の11時40分入店。先客なし(後客は10人)。どうも、私が今日の最初の客らしい。
久しぶりなので当然ながら私の定番「特製らーめん」の食券ボタンを押す。そして、これも当然「白めし」と「ビール」のボタンも。
さらにメインが定番だから、何かこれまで頼んだことのないトッピングを、と思って(前回は「コーン」だった)、「バター」のボタンも。
「坊主」のトッピング・メニューは、茶碗に別盛りの「ねぎ」を見てもわかるように、ほぼどれも豪快かつリーズナブル。「バター」も期待したい。

カウンターの一番はじに座る。黄金のカエルの置物の前。ここはクーラーから遠いので気に入っている。激辛は大汗かいて食べなくちゃね。
ご主人に食券を渡しながら、いつもどおり「麺とめしは普通盛りで」とお願いする。
すぐでてきたビールを、いつもどおりぐびりぐびりと飲みながら待つ。一月半ぶりに来ても、いつもどおりの店内の様子に何だかほっとする。しかし、流れている音楽が今日はオールディーズよりも少しだけ新しめのポップスだ。メリー・ホプキンとか。
カウンター内のご主人の動きは相変わらずきびきびしていて見ていて気持ちがいい。とくに麺を湯に投入したあとのほぐしと、茹で上がった麺のテボでの湯切りは一回一回気持がこもっている。

あっという間に「特製らーめん」と「白めし」が登場。先客なしだからね。
注目のバターは、一辺が2.5~3センチはあろうかというでっかいさいころ状。その立派さに感動する。早く溶かすためにスープに沈めようとしたが、下には麺があるから沈む余地がない。
あきらめてとりあえずスープをレンゲですくってすする。あれっいつもとちょっと違う。鶏ガラの風味がいつもより立っている。魚介系ダシはやや控えめだが、こちらもそれなりには立っている。いつもといちばん違うのは、この二つに一体感がないことか。でも、それはそれでやっぱりおいしい。ついつい二口、三口…と立て続けで結局十口くらい夢中で飲んでしまった。口の中は半分やけど状態。そして、ご飯を一口、二口、三口と。
それから今日は、甘さと塩気がいつもより控えめな感じだ。トッピングにバターを頼んだのは大正解だった。

心配しなくてもバターは少しずつ溶けていった。まん中にあったもやしと豚バラの小山を崩して丼の全面に広げたので、溶け始めた片すみバターは、なかなかひろがっていけない。しかし、あえて混ぜないことにする。
箸で高々とすくった麺を、このバターの濃度の濃いあたりにあらためてくぐらせては食べる。バターを麺にからめる感じ。幸せな気分になる。
考えてみるとスープ(鶏ガラ)の鶏、具材(豚バラ)の豚、そしてバターの牛と、なかなか豪華な味の取り合わせだ。

それからバターのせいもあるのか、辛さも今日はいつもほど感じない。脂で舌がコーティングされてしまうのかもしれない。それでももちろん十分辛いし、ティッシュで鼻をかみ続けているのだけれど。
麺をすすり、スープを飲み、ご飯で口直しをし、鼻水をかみ、顔面の汗をふく。この忙しいサイクルが加速するにつれて、私は無我の境地になり、至福の時間を過ごす。そしてあっという間に最後の段階を迎える。麺はほとんど食べ終わり、丼にはスープと少しの具材が残るのみ。
前回のトッピングのコーンもそうだったが、バターもまた最後の最後までこのスープを御馳走にしてくれたのだった。ありがとう。

ごちそうさまでした。今回も満腹だ。何しろ、いつもの麺とスープとご飯に加えて、大量の油脂まで摂取したのだから。体も心も満ち足りてお店を出た。
さて、いよいよ来月8月は、「極辛麻婆らーめん」と「極辛麻婆つけめん」という坊主の幻のメニューの限定発売月間だ。この二つの「極辛」メニューは、一年の内2月と8月の二カ月間しか食べられない。だから私はここのところずっと8月が来るのを首を長くして待っていたのだ。期間中3回くらいは来たいな。

例によってここからは腹ごなしの散歩の報告。
店を出ていつものように千波湖方面に向かう。
線路沿いに歩き、千波大橋の下をくぐり、梅戸橋を渡ると桜川にかかる芳流橋のたもと。これを渡ると千波湖だが、渡らないで桜川の左岸(私からみると右側)を歩いていく。黒鳥さんや白鳥さんも暑そう。
常磐陸橋を右に見てから、偕楽橋の下をくぐり田鶴鳴橋の下をくぐって偕楽園の拡張部へ。拡張部をぐるっと一回り歩く。こんな暑い日に公園でぶらぶらしている人はほとんどいない。
旧6号国道の下をくぐって、好文カフェの脇を通り千波湖に出る。湖面をわたる涼しい風に吹かれながらゆっくり千波湖の南側のほとりを歩いた。
千波大橋の下をくぐって桜川沿いに水戸駅に戻る。約1時間半、歩数1万歩。だいぶエネルギーを消費したが、まだ胃がもたれている感じ。あきらかに脂の摂りすぎだ。もう若くないんだからと少し反省。でもいつもどおり楽しい散歩だった。


2012年7月17日火曜日

レコ・コレ誌「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」(つづき)

暑い日が続いている。全国で熱中症患者が続出だ。
あまり外に出られないものだから、曲単位ランキング特集はつまらないと言いながらも、レコ・コレ誌を手にとっては、曲の説明をぽつぽつ拾い読みしている。説明ではどの曲もみんな「名曲」ということになっているのが、なんともシラケる。だったら何でこの曲ってもっと上位じゃなかったの…、とついひねくれたことを言いたくなる。

ところで『ホット・ロックス』というストーンズのベスト盤がある。デッカ時代の曲(+α)のコンピ・アルバムだ。この内容が今回のランキング的にはかなり便利な選曲だということに気がついた。第7位のt「タンブリン・ダイス」を除くと、第1位から第14位までの曲を、このベスト盤だけで聴くことができる。
とくにディスク2は、収録曲9曲のうち、1曲を除いた残り8曲がすべて13位までの曲という効率の良さ。ちなみにこのランク外の1曲というのは、29位の「ミッドナイト・ランブラー」だ。しかもライヴ・ヴァージョン。私はこの曲、途中がだれるのであまり好きじゃない。第29位は妥当。
よけいなお世話だけど、今回のランキングを見てストーンズを聴いてみようという初心者がもしいたなら(いないか)、そういうわけでこのアルバムはおススメだ。安いしね。私の持っているのは、2枚組ではなく、1枚ずつバラ売りされていたもの。中古屋で2枚ても1000円しないかも。

しかし、このアルバム、デッカから離れて自分たちのレーベルを作ったストーンズたちに対抗して、デッカ時代の悪名高いマネージャー アラン・クラインが勝手に選曲して発売したものだ。ストーンズたちのコントロールの及ばないところで作られ、いわば独立したストーンズたちへのあてつけのように発売された。しかも、当時めちゃくちゃ売れた。
そのアルバムが、50年のキャリアを振り返った今回のベスト・ソングズ上位曲を聴くための最適アルバムだったとは。何とも皮肉な話だ。

さて今号では、読者にストーンズの名曲ベスト10の投票を呼びかけている。投票用のはがきも綴じ込まれている。今回の特集をベースにした臨時増刊『ローリング・ストーンズ名曲ベスト100』にその結果を盛り込むのだとか。
私は今までこの綴じ込みはがきの投票というのには参加したことがない。めんどくさかったからだ。しかし、今回はランキングを予想したりして、これまでそれなりに労力をつぎ込んでいる。そこで、せっかくだからこの投票に参加してみることにした。

そのために、私のベスト10をあらためて選んでみることにした。たしかにベスト・ソングズ10は予想したけれども、それがそのまま私のフェイヴァリットのベスト10というわけではない。あれは世間様が選ぶであろう最大公約数のベスト10を、世間様になり代わって私が選んだだけなのだ。
しかし、私のベスト10が、それとまったく別というわけでもない。かなり重なっていることは事実。というわけで、予想したベスト・ソングズのリストをベースに、私のベスト10を作ってみることにする。私が自分の投票の内容をここで事前に公表してしまっても、べつに大勢に影響はないでしょ。
何回も掲載して申し訳ないが、まず私の予想リストは以下のとおりだった。

<ストーンズ・ベスト・ソングズ 私の事前予想>

第1位 「ブラウン・シュガー」
第2位 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
第3位 「ホンキー・トンク・ウィメン」
第4位 「ストリート・ファイティング・マン」
第5位 「サティスファクション」
第6位 「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」
第7位 「ギミー・シェルター」
第8位 「タンブリン・ダイス」
第9位 「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」
第10位 「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」

第1位の「ブラウン・シュガー」は、私にとっても絶対的に第1位だ。
前にも書いたように今回のランキングの結果で、この曲は第4位だった。しかし、それにしてもランキングに参加したレコ・コレ誌の筆者25人+浦沢直樹の個々のランキングの中で、「ブラウン・シュガー」を1位に推している人が一人もいないのはちょっとびっくり。犬伏功氏と寺田正典元編集長の二人が、かろうじて第2位に選んでいるのが最高位とは。ふに落ちないし残念だ。

まずこのリストの初期の2曲については、10位以内から外しはしないが下位に並んでもらう。第10位の「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」はそのままとして、第5位の「サティスファクション」は9位へ移動。
第8位の「タンブリン・ダイス」は、じつは私には今ひとつの曲。もちろんきらいではないが10位までには入らない。代わりに『エグザイル・オン・メイン・ストリート』からは、何といっても「リップ・ジス・ジョイント」だ。弾みながら疾走する爽快感がたまらない。
第9位「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」は、当然10位圏外へ放出。これで、一つ席が空いた。

どうしても10位以内に入れたいのは、『スティッキー・フィンガーズ』の「ビッチ」だ。「ブラウン・シュガー」で始まるA面が終わって、レコードを裏返すとB面の一曲目がこの「ビッチ」。「ブラウン・シュガー」と対を成す米南部サウンド志向期の代表的名曲だ。
今追加した2曲は、今回のレコ・コレ誌のランキングでは、なんと39位(「ビッチ」)と40位(「リップ・ジス・ジョイント」)というかなり下位の方に並んでいる。寂しい。
こんな感じで、曲を入れ替えて、順位を迷いながら調整すると次のようなことになる。

<私のストーンズ名曲ベスト10>

第1位 「ブラウン・シュガー」
第2位 「ビッチ」
第3位 「ホンキー・トンク・ウィメン」
第4位 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
第5位 「ストリート・ファイティング・マン」
第6位 「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」
第7位 「ギミー・シェルター」
第8位 「リップ・ジス・ジョイント」
第9位 「サティスファクション」
第10位 「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」

 よし、これをはがきに書いて投票だ。うまくいったら増刊号で会いましょう。

ところで今回のレコ・コレ誌(2012年8月号)の誌面で最も印象に残ったのは、再結成PILの写真の中のジョン・ライドンの姿。往年との激変ぶりがすごい。

2012年7月15日日曜日

「『具体』 ニッポンの前衛18年の軌跡」展

「『具体』 ニッポンの前衛18年の軌跡」展を観た。
会場の国立新美術館には、先月「大エルミタージュ美術館展」を観に来たばかりだが、その折チラシでこの展覧会の開催を知り、また足を運んだという次第だ。

この展覧会は、1954年に関西で結成され、72年まで活動した前衛美術グループの老舗「具体美術協会」(略称「具体」)の回顧展だ。「具体」は日本の現代美術の先駆者であると同時に、もっとも重要なグループの一つと言われている。しかし、その実態に触れる機会は、これまであまりなかった(少なくとも関東では)。そこでこの機会にぜひその作品群を実際に観てみたいと思ったのだ。
結果から言うと、このグループの概要がそれなりに理解できたし、歴史的事実を含め、いろいろな点で発見もあった。その意味では有益な展覧会と言えるだろう。ただ初期の作品や活動を、もっと観たいという不満は残ったのだが。

結成された直後のあの有名な芦屋市の林の中での野外展が、どのように再現されているのか。この点にもっとも期待して会場に足を踏み入れた。
しかし、実際に会場に来てみれば、そもそもあの型破りな野外展を美術館の中で再現することなど最初から不可能だったことがわかる。
松林の風景をプリントした幕を壁に掛けて雰囲気作りをした展示室の中に、いくつかの実物の作品と、あとは説明つきの写真パネルが置かれている。これで当時の現場の空気を多少なりとも体感しようというのは、しょせん無理な話だ。ただそこで何か特別なことが起こっていたことは、何となく伝わってきた。

そして残りの会場の大半は、壁面に絵画作品が続くことになる。以後のインスタレーションやパフォーマンスの紹介はカットされたのかと思いきや、現実の「具体」そのものが急速に絵画を志向し、それ以外の表現を切り捨てて行ったということが、会場の説明でわかった。
先日、東京都現代美術館でメンバーの一人、「電気服」の田中敦子の回顧展を観た。そのとき展示の内容が、ほとんど絵画中心であることに多少の不満を感じたのだが、「具体」そのものが基本的に絵画に特化したグループだったというわけだ。

たしかに初期の主力メンバーの絵画作品は、どれも非常によかった。やはり画家としての優れた絵画センスを持っていた人たちであることがわかる。くわえて、破天荒なインスタレーションやパフォーマンスによって開放された感覚が、画面上に横溢している感じもあった。
そしてその絵画路線のキーパーソンとして、フランスの批評家・画商ミシェル・タピエがいたこともこの展覧会で知った。

しかし、会の活動は急速にマンネリ化していったことも作品から何となく見て取れる。その打開のために60年代中盤から迎えた若い新メンバーたちの作品も、今の眼で見るとどれも小粒で、創立メンバーたちの初期のエネルギッシュな作品には遠く及ばない。
だから72年の解散は、リーダー吉原治良の死が直接のきっかけではあったが、「具体」のグループとしての命脈が尽きたという見方もできるのではないか。

ところで、当時、日本各地で同時多発的に結成された数ある前衛美術グループの中で、なぜこの「具体」が代表的存在として語られるのかは私にとってひとつの疑問であった。
今回の作品を観て「具体」のメンバーの作品が、同時代の日本の他の前衛グループよりも傑出していたとは思えない。しかもなお「具体」が他を差し置いて美術史に名を残し得たのは、次の三つの点によるのではないかと今展を見て思い当たった。
理由のひとつめは、リーダー吉原治良の一種独裁者的な指導の下、グループのコンセプトが明確に一つの方向性に収斂していたこと。他のグループは、民主主義的であったがゆえに、このような統一性は持てなかったのではないか。
理由のふたつめは、フランスのミシェル・タピエに認められることによって、「日本のアンフォルメル」として海外に紹介され、海外での一定の評価を得たこと。他のグループにはそのような機会がなかった。
理由のみっつめは、上のふたつめの理由とも関連するが、インスタレーション、パフォーマンスの活動を早々に切り捨てて、絵画のグループとして特化したこと。絵画は、一過性のインスタレーションやパフォーマンスと違って、海外への輸送も容易だし、モノとして時間を越えて残るので後世の評価も可能となるからだ。

それから会場の解説には、「具体」の活動が日本の高度経済成長と軌を一にしているという視点が示されていた。「具体」の明るく前向きな表現は、そうした日本の国そのもの発展の反映というふうに捉えられていた。
なるほど、そのとおりだろうと私も思う。しかし、同時に私には美術というものが時代の表層ではなく、もっと深層の普遍的なところに根差しているべきではないか、という思いもあるのだ。そのような矜持がもし「具体」にあったとしたなら、日本の高度成長を批評する視線も持ち得たのではないか。もしそうであったなら、大阪万博への参加は果たしてあり得たのだろうかとも思うのだ。

ところで、平日だったせいもあるだろうが、会場は空いていた。エルミタージュ展とはあまりにも違う人の入り具合だ。
展覧会のチラシの「世界が認めた日本の前衛美術グループ」云々というコピーを見て、海外の評価をありがたがる日本人の弱みを見透かしたエグい売り方だと鼻白んでしまった。しかし、こんななりふりかまわない売り文句を使わないと、人が入らないという担当者の危機感の表れだと思えば許そうという気になった(上からのもの言いで申し訳ないが)。

世界の美術史という視点で見ると、日本独自の美術と言えるのは、まず江戸時代以前の美術と、その伝統を受け継ぐ近代以降の日本画ということになるだろう。幕末から明治初期に西欧から移入された洋画は、その後、日本固有のガラパゴス的展開を遂げるが、西洋絵画の模倣の域を出るものではないだろう。
そして、近代以降、本当の意味で日本独自の美術と言えるのは、昭和50年代以降の現代美術ということになるのだと思う。その意味で、この時期の重要な動きの一つである具体美術協会の回顧展が、国立の美術館で開かれた意義は大きい。
今後もこの時期の他の動向について取り上げてくれることを期待したい。