2012年7月14日土曜日

レコ・コレ誌「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」

「レコード・コレクターズ」誌の2012年8月号がいよいよ発売された。前号の予告で今号の特集が「ローリング・ストーンズ・ベスト・ソングズ100」であることを知った私は、自分なりに勝手にその順位を予想して、この発売を待っていたのである。
私のこの予想は第10位までで、ブログ上に発表しておいた。はたして、予想は当たっていたのだろうか。
おりしもストーンズの活動開始50周年とのことで、昨日はふつうのニュース番組でも、この話題が取り上げられていた。誰も彼もが昔からのストーンズ・ファンであるかのように、彼らのことを語っている。ほんとかよ。
まあそれはともかくとして、さっそく明らかとなった順位結果と私の事前予想とをつき合わせて検証してみることにしよう。

まず私の予想順位は以下の通り。その根拠については、次のページを参照していただきたい。「レコ・コレ誌次号特集「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」を勝手に大予想

<ストーンズ・ベスト・ソングズ 私の事前予想>

第1位 「ブラウン・シュガー」
第2位 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
第3位 「ホンキー・トンク・ウィメン」
第4位 「ストリート・ファイティング・マン」
第5位 「サティスファクション」
第6位 「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」
第7位 「ギミー・シェルター」
第8位 「タンブリン・ダイス」
第9位 「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」
第10位 「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」

そしてレコ・コレ誌の結果は次の通り。( )内は私の予想した順位。

<レコ・コレ誌のストーンズ・ベスト・ソングズ100(10位まで)>

第1位 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」(予想2位)
第2位 「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」(予想6位)
第3位 「サティスファクション」(予想5位)
第4位 「ブラウン・シュガー」(予想1位)
第5位 「ホンキー・トンク・ウィメン」(予想3位)
第6位 「ギミー・シェルター」(予想7位)
第7位 「タンブリン・ダイス」(予想8位)
第8位 「アンダー・マイ・サム」
第9位 「ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット・ホワット・ユー・ウォント(無情の世界)」
第10位 「ゲット・オフ・オブ・マイ・クラウド(一人ぼっちの世界)」

まず順位がぴったり的中した曲は残念ながら一曲もなかった。しかし、順位はともかくとして、上位7位までは、予想した10曲から全部入っていた。いわば入選率は70パーセント。
しかも、順位が一つだけずれたのが3曲(「ジャンピン・ジャック…」、「ギミー・シェルター」、「タンブリン・ダイス」)、他の曲も順位の誤差は最大でも4位以内に収まっていた。
というわけで自分としては十分満足できる結果だった。

10位以下も含めてこのランキングでは、私が思っていたより全体的にデッカ時代の初期の曲が強かったようだ。私より年長(つまりそれだけ古くからのファン)の選者がけっこう多かったせいなのかもしれない。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が第1位ということに異議はない。しかし、私が1位と予想した「ブラウン・シュガー」が4位とはねえ。「悪魔を哀れむ歌」や「サティスファクション」より下でいいのかなあ。デッカ時代強し。
また第8位と第10位の初期曲の10位ランク入りは、文字通り予想外だった。まあ2曲とも70年代以降もライヴで演っていたせいもあるのかな。しかし、この2曲が「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」(第11位)よりも上位とはちょっと意外。
第9位の「ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット・ホワット・ユー・ウァント(無情の世界)」も、こんな上位に来るとは意外だった。仰々しくて私がきらいなだけかもしれないけど。でも、合唱団がはいるこの曲が、ストーンズの代表曲と言えるのだろうか?

私が10位以内に予想した曲で、圏外に散っていった3曲についてちょっとみてみよう。
事前に第10位と予想していた「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」は、第11位だった。うーん惜しい。初期曲の中では、「サティスファクション」と並ぶ代表曲と思うのだが。
事前第4位と予想した「ストリート・ファイティング・マン」が、まさかの10位落ちで第13位。この曲は、結果第2位となった「悪魔を哀れむ歌」や、結果第6位の「ギミー・シェルター」と重要度では同等の名曲だと思うので、この順位はちょっと納得できない感じ。
そして、事前第9位に予想した「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」は、なんとなんとの第46位。これは完全にやっちゃいました。そんなにいい曲とは思わなかったけど、バンドのテーマソング的な意味合いで、票を集めるのではないかと読んだわけなのだったが。でもやっぱりみんなもたいした曲とは思っていなかったのね。これは、完全に読み間違い。

それにしても、全体にみてデッカ時代の初期の曲が思いのほか多かったのにはちょっと驚いた。20位までにも、「ルビー・チューズデイ」(第14位)、「19回目の神経衰弱」(第17位)、「ラスト・タイム」(第19位)なんかが入っている。
しかし、第15位「シーズ・ア・レインボー」はかなり意外。ひと昔前だったら絶対入らなかった曲だろう。長い間無視されていたアルバム『ゼア・サタニック・マジェスティーズ・リクエスト』がサイケ再評価で見直されたせいなのか。

それに引き換え70年代中期以降の曲の影は、ものすごく薄い。まあ予想通りのことだけど。なにしろ10位以内の曲で70年代の曲は、71年の「ブラウン・シュガー」(第4位)と72年の「タンブリン・ダイス」(第7位)のみ。あとは、全部60年代の曲だ。
20位までみても、70年代中期以降の曲は、76年の「メモリー・モーテル」(第16位)と78年の「ミス・ユー」(第18位)しかない。それにしても、この2曲って、そんなにいい曲なの。

冒頭の活動50周年の話題にからめて言うと、このランキングの20位までの曲の内の大半(18曲)は、活動始めてから最初の10年間の曲ということになる。その後の40年間の曲はほとんどないわけだ。いくら長く活動しているとはいえ、これちょっと悲しくないかな。

以前にも書いたが、レコ・コレ誌のこのての曲単位のランキングの特集は、私には正直あんまり面白くない。しかし、今回は勝手に参加()させてもらい、十分楽しませていただきました。

                                        つづく関連記事>
レコ・コレ誌「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」(つづき)

2012年7月11日水曜日

東京散歩「六本木から海を見に行く」 六本木から芝公園を通って竹芝ふ頭へ

 梅雨の晴れ間の一日、六本木の国立新美術館に展覧会(「具体」―ニッポンの前衛 18年の軌跡)を観に出かけた。一時半頃に観終えてロビーで休憩する。
例によって今日もこれから街歩きの予定だ。今日はここから東へ東へと歩いていって東京湾に到り、海を見ようと考えている。
今日のコースは公園・庭園めぐりコースでもある。じつは私は公園・庭園の愛好家なのだ。途中で公園・庭園を四つほど巡る予定。

<六本木から麻布台>

美術館を出て東京ミッドタウンに向う。今日は天祖神社の前を通るショートカットの道を通る。まだ梅雨だというのに日差しが強い。持ってきた帽子を出してかぶった。
ミッドタウンの前を通っているのが外苑東通り。この通りを渡って、ミッドタウン・イーストのわきを通り、その裏手に向う。
ミッドタウンの裏は、ミッドタウン・ガーデンという公園になっている。その一画にあるという檜町公園が、今回、手始めに向っている場所だ。
ミッドタウンにはこれまでにも何回か来たことがある。裏手の公園も一度歩いてみたことがあった。起伏のある芝生が中心で、ところどころに遊具と木立が配置されている。その一画に檜町公園があることを後で知ったのだが、どこなのか思い当たらなかった。そこで、今回はあらためて確認してみようというわけだ。

檜町公園はミッドタウン・イーストの後ろのレジデンス棟の裏にあった。さほど大きくない池を囲む一画だ。ミッドタウン・ガーデンとの境界はよくわからない。
檜町公園は、元は長州藩の下屋敷があったところだという。この池がたぶんその名残なのだろう。周回する道があり、岸辺には木立や石が配され起伏も作ってある。しかし、かなり最近(ミッドタウン建設時?)にきれいに整備されたようで、どの程度昔の面影を伝えているかは疑問だ。
しかしとにかくうまく日陰が作ってあって快適ではある。岸辺の木陰にあるベンチや、水辺に面した建屋の中に、本を読んでいる人がたくさん目についた。静かな都会のひと時だ。
ところで、その人たちが読んでいるのは、タブレットではなく一人残らず紙の本だった。都会でも紙の本は今だ健在のようだ。

再び外苑東通りに戻り、六本木交差点方面に向かって歩いていく。
このへんは六本木の中心に当たるはずだが、道が狭くて歩きにくく、ごみごみしていて場末っぽい。渋谷もそうだが、東京のいわゆる盛り場というのは、私のような地方の人間には、どこもかしこも「場末」に見えてしまう。どこにも中心がない。でもこの街の常連達には、楽しいスポットがいっぱいあるんだろうな。

外苑東通りと六本木通りが交差する六本木の交差点を渡って、そのまままっすぐ歩いていく。
通りの左側には、ドンキホーテの手前まで、タイ、トルコ、インドなどのエスニック料理の店が軒を連ねている。どれもテイクアウト用のカウンターがあって、チープで開放的な雰囲気。スパイスの強い香りがミックスされてあたり一帯に漂っている。こういうのも「六本木的」なのかな。
どれか食べてみたい気持もあったのだが、何だか勝手がわからないのでパスする。

気がつくと歩いている正面の方向に東京タワーが見える。今日はこのまままっすぐ進んで、あの下を通る予定だ。
しばらく行くと通りの右側にアクシス・ビルがある。この中にあるアクシス・ギャラリーには、何回か来る機会があった。このビルの地階から2階にかけて続く生活雑貨のお店は、デザイン・ビルの中のお店だけあってセンスがよくて見ていてとても楽しい。

アクシス・ビルの前を通り過ぎると、すぐ飯倉片町の交差点だ。ここを渡って、さらにまっすぐ進んでいく。このへんは麻布台で、街の感じも少し変わる。ごちゃごちゃした感じがなくなって、大きな建物が多くなる。
交差点を渡った角が麻布小学校、その先が外務省の公館と外交資料館、そして結構大きい建物の麻布郵便局と続いている。通りの向かい側には、ロシア大使館がある。そういう建物を外側から眺めながら通り過ぎる。
そして程なく道は桜田通りにぶつかり、ずっと歩いてきた外苑東通りはここで終わりだ。

<芝公園と増上寺>

桜田通りを渡って、聖アンデレ教会の前を歩いていくともうそこは東京タワーのある一画だ。
東京タワーの前まで来て下から見上げる。とにかくでかい。しかし、富士山がそうであるように、きれいに見えるのはやっぱり遠くから見たときだ。こんなにま近に寄って見上げると、即物的で何だかこれが東京タワーだという実感がわかない。
昇ってみようかなという気持もあったが、入り口付近がけっこう混んでいるように見えたのでやめることにした。スカイ・ツリーによるタワー・ブームの影響なのだろうか。

東京タワーのすぐ前の樹木に覆われた緑地帯の中に入る。ここは芝公園の一部で、もみじ谷というらしい。木陰の中に入ると、これまで歩いて来た炎天下の都会とはまったくの別世界だ。
人工的に作られた渓谷に沿って散策路がある。樹陰も深く、お地蔵さんがあったり、せせらぎを飛び石で渡る箇所や小さな滝まであってとてもよくできている。
せせらぎに沿って端まで歩き、そこから通りの向かい側の宝珠院側に道を渡る。

芝公園はとにかく広い公園だ。しかも、まん中に増上寺の広い境内と、それからなぜかホテルがふたつもあり、それを囲むようにリング状に続いているので、何だか取りとめがない。
とりあえず伊能忠敬の記念碑とか東照宮のある南側の部分に行ってみる。
表示にしたがって小山を登っていくと小高い開けた場所に伊能忠敬の記念碑があった。あの脅威の全国徒歩測量の基点がここ(厳密にはこの近く)なのだとか。その偉業にあやかりたいと手を合わせて拝むつもりでやって来たのだが、その碑はわりと新しくて安っぽいものだった。後で調べたところ、明治時代に建てられた碑が戦災で失われたため、昭和40年に新しいデザインで再建されたとのこと。このデザインじゃあ拝む気にもなれません。
隣の芝東照宮にお参りし、その南の梅林の中をしばらく散策する。地図で見るとたしか、このあたりに丸山古墳というのがあるはず。表示にしたがってそちらの方に歩いていくと、その先にはさっきの伊能忠敬の小山が…。なんと、さっき知らないで登ったあの山が、丸山古墳だったのだ。

だいたい芝公園の様子もわかったので、今度は増上寺の境内をのぞいてみることにする。
しかし、何か相当大きなお葬式があるらしく、本殿の前には大きなテントが設営中で、関係者があちこちにいてあわただしい雰囲気。落ち着かないので、境内をぐるっと巡って早々に退散する。
しかし、徳川家の菩提寺だけあって、とにかくその広いことと大きいことには感心する。増上寺で思い出すのは、落語「芝浜」に出てくる時を知らせる鐘の音だ。それから、昨年、江戸東京博物館で見た、この寺所蔵の狩野一信の五百羅漢図も印象深い。やっぱりたいしたお寺なんだなあと感じ入る。

<芝離宮庭園から竹芝ふ頭公園へ>

増上寺の正面の大きな門(なるほど「大門」だ)をくぐって、大門通りをふたたび東へ向って歩き始める。
世界貿易センタービルの前を通り、山手線の浜松町駅を通り過ぎる、大門通りはここから名前が変わって竹芝通りとなるらしい。
浜松町の駅を越えるとすぐ右側に旧芝離宮恩賜庭園の入り口がある。
じつは庭園愛好家としては、本日のコース中でここがいちばんだいじな目的地なのだ。ここはもともと小田原藩の上屋敷として作られ、明治になって宮内省が買い上げて離宮となったところだ。「江戸最古の大名庭園」というのが、運営する都のつけたキャッチ・フレーズだ。

受付を通って園内に足を踏み入れる。どうしても至近にある広大な浜離宮庭園が思い浮かび比較してしまう。あちらに比べれば、こぢんまりとした印象だ。しかしゆっくりと中央の池の周りを巡っていくと、変化に富んだとてもよくできた庭園であることがわかる。
堤を通って渡る島があったり、園内を一望できる小山が築かれていたりと、狭いながら起伏が豊か。また四本の石柱に囲まれた不可思議な空間(茶室の跡)や、奇岩をあしらった小山など見所も多い。しかもこれは多少思い込みかあるせいかもしれないが、全体に奇を衒い過ぎない抑制の効いた上品な感じがある。
これはここだけに限らないのだが、公園の周囲を見回すと高層ビルがいくつも立ち並んでいる。このビルの狭間にある緑の空間という取り合わせも、私にはとても面白く感じられる。
江戸の風情を満喫して、庭園を後にする。

竹芝通りに戻り、東に向う。すぐ首都高の下をくぐり、ゆりかもめの下をくぐると、そこは竹芝ふ頭だ。
半円の広場の真ん中に帆船のマストが立つエントランスを抜けて、階段を上がると東京港を見渡せるデッキ・スペースがある。これが竹芝ふ頭公園だ。
水平線は残念ながら見えない。正面には海を挟んで、豊海の埋立地。ずっと右の方にレインボーブリッジが見える。
時間は午後四時、歩き始めてから約二時間半だ。めいっぱい歩いたわけではないからへとへとというほどではないが、さすがにちょっと疲れている。
日陰のベンチに座って、港の風景を眺めながら、コンビニで買ってきた缶ビールをゆっくりと飲んだ。海を渡る風が、くたびれた体に心地よかった。

今日の巡ってきた場所を思い返してみる。檜町公園、芝公園、芝離宮庭園、そしてこの竹芝ふ頭公園。みんなそれぞれに違った個性を持っている。盛りだくさんのいい散歩ができたと満足。
しばらく休憩した後、すぐ近くの竹芝駅からゆりかもめに乗って新橋まで行き、山手線に乗って帰った。

〔関連記事〕
東京散歩「ステータスのある街()を歩く」 南青山から、西麻布、広尾
を抜けて恵比寿へ

2012年7月5日木曜日

手打ちラーメン自作に到る長い道のり

自分でラーメンを作って食べるようになって約一年になる。
最近、麺の作り方に大きな進歩があって、やっとわれながらそこそこ満足のいくものが食べられるようになった。
今回はここまでの工夫の数々や苦労話を振り返ってみることにする。

なお、その途中で考えついたいくつかのラーメンのレシピや、最近たどり着いた手打ち麺のレシピは、それぞれ別ページで紹介しているので、この文中では省略してある。レシピに興味のある方は、まずそちらを参照されたい。

勤め人をしていた頃、足しげく通っていたラーメン屋があった。激辛ラーメンが売りのこの店の味に、私は完全にハマってしまった。ひところは、二日に一度はここのラーメンを食べていたほどだ。しかし仕事を辞めて隠居の身となってからは、めったに行けなくなってしまった。
でもやっぱり舌がなじんだあのラーメンが食べたい。そこであの店の味を何とか自宅で再現してみようと思い立ったのだった。こうして長くて楽しい道のりが始まった。

自分用のためだけだから、あの店のように鶏がらを大きな寸胴で何時間も煮込むというわけにもいかない。そこで、多少(というか、かなり)妥協して、各種スープの素や魚介系のダシの粉末、それに中華系の調味料などをいろいろ調合し、その他にんにくや野菜も加えて、何とかそれなりのものを作ろうと試みた。
その頃から試行錯誤をしながら毎日毎日飽きることなく、お昼にラーメンを作って食べ続けることとなる。

例のラーメン屋には1,2か月に一度くらいの頻度で立寄る機会があった。そのたびにやっぱり「本家本元」は旨いなあと感じいり(当然だ)、自作ラーメンの味の、「本物」との大きな落差にがっかりしたものだ。
しかし、そのつど自分の作った味のどの辺が足りないのかチェックして、微調整を繰り返していた。まあこちらは略式レシピだから出来ることと出来ないことがあるわけだが。
その成果である私なりのラーメンのレシピは、このブログ上でそのつど何度か紹介している。

 この間、麺はずっと、スーパーで買ってきた市販のものを使っていた。つけ麺のブームは家庭にまで及んでいるらしく、つけ麺用の太い麺がスーパーでも容易に入手できる。この麺が例の店で使っている中太麺に近い太さなので、だいたいこれを買ってきて食べていた。
ところが今年になって、スープだけではなく、麺も自分で作ることを思いついた。べつに市販のものに大きな不満があるわけではなかった。ただ自分でときどきうどんを打っていたので、道具もあることだし同じ要領でラーメンの麺も出来ないものかと考えたのだ。

さてラーメンの麺の材料として「かん水」というものがある。調べてみると「かん水」はラーメンの麺に特有の添加物で、麺に弾力と滑らかさをだすという。ラーメンの麺独特の黄色い色もこの「かん水」によるものらしい。しかし、これをスーパーなどで見かけたことはない。
ネットで調べてみると、「かん水」は入手が難しいものらしい。
それからまた、「かん水」は食品添加物の一種なので、あえてこれを使わない「無かん水」のラーメンというものがあることもネットで知った。つまり「かん水」は無くてもよい、あるいはむしろ無い方がよいという考え方もあるようなのだ。
そうした時、「かん水」の代わりに玉子を使う玉子麺のレシピというのを見つけた。

「かん水」が無くても、玉子がこれに代わるならと、さっそく作ってみることにした。しかし、やはり自分なりの試行錯誤が必要だった。
小麦粉は中力粉を使い、これに塩と玉子と水をあわせてこねて生地を作る。これらの材料は玉子を除けばうどんとまったく同じだ。
作り方も、うどんのときと同じように、こねた生地をビニールの袋に入れて足で踏む。平らに伸ばしては折り畳み、また足で踏んで平らに伸ばす。これを数回くりかえすのだ。
その後1,2時間放置して熟成させるのもうどんと同様。
ちなみにこの材料の小麦粉をデュラムセモリナ粉に置き換え、オリーブ・オイルを加えるとパスタそのものである。

それから麺棒で薄く延ばして包丁で細く切ることになる。これがかなり難しい。まずなかなか思うように薄くならない。どうしても厚さ2ミリくらいまでしか薄くできないのだ。
さらにそれを折り畳み、こま板を当ててそば包丁で切るのだが、細くしようとすると、うまくそろった太さにできない。
麺は茹でると生の状態よりかなり太くなるので、茹で上がりはラーメンというよりうどんに近いもの、というかほとんどうどんそのものだった。

生地の伸びをよくして薄くするために、水分の量を加減したり、中力粉の一部を薄力粉に置き換えたりといろいろ工夫をした。
しかし、色こそ玉子の色がそのまま残ってラーメンらしい黄色だが、コシはあっても滑らかさが足りない。やっぱりどうしても、うどんに近い麺になってしまう。
しかし玉子麺には、それなりのやさしい食感と美味しさがある。それに私の作るスープとの相性も悪くはなかった。まあとりあえずこれでもいいことにしようと思った。
麺を手作りし始めてから、だいたい一ヶ月くらいかかって、材料の配合の割合と作り方の手順がほぼかたまった。そのレシピもブログ上で紹介している。

それからは、朝、生地をこねては寝かせ、昼前に延ばして切って麺を作る毎日。しだいに生地のこね方や延ばし方の要領もよくなり、麺を切る技術もそれなりに上達して、以前よりは細く切れるようになっていった。
美味しい毎日が続いた。

さて、ラーメンを自作し始めて約一年、麺を手打ちで作り始めて半年くらい経った今年の6月、いよいよ私のラーメン作りは次の段階に入ることになる。「かん水」を使った本格的な麺作りを試みるようになったのだ。
きっかけは「かん水」の代用として重曹が使えることを知ったことだった。
かねてから「かん水」を使って麺を打ってみたいとは思っていた。しかし、ラーメンの麺を手作りするのは、蕎麦やうどんほど一般的ではないようで、材料の「かん水」も、ネットでは業務用の比較的容量の大きいものしか売っていなかった。少量の入手は難しいようだ。そのためなかなか思い切れなかったというわけだ。

ところが、重曹がこの「かん水」とほぼ同じ成分なので、「かん水」の代わりになるという記事を見つけた。重曹ならスーパーで容易に手に入る。そこで、さっそく重曹を買ってきて試してみた。しかしすぐにはうまくいかなかった。
そこで、あらためてじっくりと重曹を代用にした麺の造り方について調べてみたのである。ほんとにネットってありがたい。
数は少ないが、いくつかのブログで作り方が紹介されていた。それらを見比べながら整理してみて、だいたい次のようなことがわかった。
・重曹を「かん水」の代用にすることができる。
・その際、重曹を水で溶き、いったん65度以上で加熱する必要がある。炭酸水素ナトリウム(重曹)を分解して、炭酸ナトリウム(「かん水」の主成分)にするためだ。
・成分的には「かん水」1gは、重曹だと1.6gに相当する。
「かん水」の使用量は、小麦粉の1~2パーセントなので、重曹で代用する場合は、その1.6倍を使用する必要がある。
・「かん水」は使い過ぎると、麺の味をそこなってしまう。

しかし、人によってまちまちの点もいくつかあった。
たとえば麺の主原料は強力粉なのだが、これにつなぎとして少し薄力粉を入れるという人もいた。また、うどんのときは必ず加えるのだが、塩を入れる人と入れない人がいる。
それから、ラーメンの麺特有の黄色い色は、本来「かん水」によるものなのだが、重曹で作ると、そのせいかどうか定かでないが、色が若干薄い。そこで鮮やかな黄色になるように、着色料(くちなし)を加えるという人もいた(市販の麺も加えているらしい)。

 結局このような疑問点は自分でいろいろ試してみて、何とかやっと自分なりの配合と手順に辿りついたところだ。
作業上でこれまでとの違いは、「かん水」を入れると生地の段階でかなり弾力があるので、麺棒で延ばすときに手間がかかることだ。麺棒を押し付けて平らにしても、また元に戻ろうとして少し縮んでしまう。だからこれまで以上に何度も根気よく延ばす必要がある。

こうして「かん水」入りの麺を作って食べてみると、やっぱりラーメンの麺とうどんとは、まったく別物であることがわかる。
うどんは塩を入れることによって強いコシが生まれる。しかし、滑らかさはなかなかでない。プロの職人は技術で滑らかさをだしているのだろう。素人には難しい。
ところが「かん水」を使うと、麺はコシと同時に弾力もあってしなやかになる。素人でも比較的容易に、弾力としなやかを得ることができるのだ。
思えば玉子麺を食べていると、汁がしょっちゅう丼の外にはねたものだ。麺を箸ではさみ、持ち上げて口に運ぼうとすると、麺が暴れて汁を飛ばすのだ。ところが、かん水を使った麺は、そのような時でも、しなやかなので箸からすっと下に流れ、注意していれば玉子麺ほど汁ははねたりしないのだ。こんなところでも違いを実感した。

というわけで何とか一応満足できる麺が打てるようになった。
今は、毎日、美味しいラーメンを食べている。しなやかで弾力のある歯応えがうれしい。
ここまでの道のりをあらためて振り返ってみると、やっぱり手作りというのは楽しいものだ。最終的な完成形を食べるのはもちろんだが、そこに到るまでの改良の過程もまた楽しい。
ラーメンは一日一回お昼に食べるだけだ。だから、つまり実験は一日に一回しか出来ない。今度はここをこうしよう、あそこをああしようと思っても、試せるのは一日一回きり。試行錯誤は遅々としてなかなか進まない。しかしこののんびりさ加減を、今は逆に楽しんでやろうという気持になった。
何といっても食べに行くよりお金もかからないし、こんなことを毎日していられるのは最高のぜいたくかもしれない。
では、今日もいただきます。

 <関連記事>

2012年7月3日火曜日

ラーメンの手打ち麺のレシピ

〔概 要〕

ラーメンの麺を手打ちで自作するレシピ。
以前玉子麺のレシピを紹介したが(2012年3月「「極辛麻婆らーめん」の自作レシピ」)、ラーメンの麺としては今回のレシピの方が本格的だ。
中華麺を作るときの添加物であるかん水の代わりに、重曹で代用する。かん水は少量の入手が難しいのに対し、重曹は手軽に入手できるからだ。
麺は手で切る切り麺。パスタ・マシンではなく、麺棒で生地を薄く延ばして包丁で切る方式。したがって、そのための道具(のし板、麺棒、駒板、蕎麦切り庖丁)が必要。

〔材 料〕 (一人分 できあがりの生麺で約180グラム)

強力粉 120グラム
水     60グラム (小麦粉の50%)
重曹    3グラム (小麦粉の2~3%)
塩      1グラム (小麦粉の1~2%)

〔手 順〕

手順1 重曹で代用かん水を作る
  
① 計量した水と重曹を鍋に入れて火にかける。
② 温度が上がると気泡(二酸化炭素)が出てくるので、出なくなるまで加熱し続ける(65度以上で1~2分くらい)。
③ 気泡が出なくなったら、火を止めて冷ませば出来上がり。
④ 再度計量し、蒸発して減った分の水を足す。

手順2 生地を作る

① 大きいボールに材料を全部入れて手で混ぜ合わせる。
*最初かなり粘るので、最初だけスプーンを使ってもよい。
*湿っている部分と粉のままの部分ができるので、なるべく水分が均等にいきわたるように混ぜる。
② ある程度混じったら、ひとつにまとめる。
③ まとまったら手のひらでボールの底に押し付け、平らに延ばす。これを二つに折り、また平らに延ばす。
折る方向を変えながらこれを4~5分間繰り返す。
④ 最後に丸くにまとめて、乾かないようにビニールの袋に入れる。このまま2~3時間おいて熟成させる。
*しばらくおいておくと、水分が全体にまわって滑らかな感じになる。

手順3 麺を切る

① 片栗粉を打ち粉にして、のし板と麺棒で生地を薄く延ばす。ある程度平らになったら、麺棒に巻きつけて転がし、さらに延ばす。
生地がだいたい30センチ四方になれば終了。
② 生地を二つに折る。間に打ち粉をたっぷり振っておく。
それをまな板に移し、さらに上から打ち粉を振る。
③ 駒板を当て、蕎麦切り庖丁でできるだけ細く切っていく。
*私は慣れてきたので、けっこう細く切れるようになったつもりだが、それでもまだ太麺~中太麺くらい。
④ 切り終わったら切断面に粉がまわるように手でよくほぐす。
*切断面がくっついたままの部分があれば、ていねいにほぐしておく。
⑤ 好みで縮れ麺にしたい場合は、いったんほぐした後また少し力を入れてひとつにまとめる。こうしてからほぐすと、縮れができる。

手順4 麺を茹でて盛り付ける

① 並行してスープを作り温めておく
*他ページにいくつかスープのレシピを掲載しているのでご参照を。
② 鍋に麺を茹でるためのお湯(1500cc以上)を沸かす。
③ 沸騰したらほぐしながら麺と投入する。
茹で時間は2分前後。麺の太さによって変わる。
④ 茹で上がりを見計らって、丼を温めておく。
⑤ 茹で上がったら麺をザルにあけ手早く湯きりをして丼に入れる。
⑥ 麺の上からスープをかけて出来上がり。

〔おまけ〕

切った直後の麺の断面は切り麺なので四角だが、茹でると円に近くなる。
また、茹でているうちに色も黄色になり、ラーメンの麺らしくなる。市販の麺ほど鮮やかな黄色ではないが、市販のものは着色料を使用しているものもあるらしい。
食感もかん水を使わないうどんや玉子麺と違って、コシに加えて滑らかさがありかなりいい感じだ。

2012年6月29日金曜日

ポール・サイモンのいちばん良かった頃

ポール・サイモンのアルバムで、いちばん好きなのは1973年の『ゼア・ゴーズ・ライミン・サイモン(ひとりごと)』と、75年の『スティル・クレイジー・アフター・オール・ジィーズ・イヤーズ(時の流れに)』だ。ポール・サイモンがいちばん良かったのは、やっぱりこの頃だろう。
1986年の『グレイスランド』以降が良いという人(本当にそんな人がいるのか)を除いて、残りのファンの99.9パーセントは、この2枚の内のどちらかを、ポール・サイモンの最高傑作に挙げるに違いない。

1970年頃のロック少年(私もその一人)にとって、サイモン&ガーファンクルは、ビーチ・ボーイズやモンキーズやカーペンターズと同様、ロックではなくてポップスのグループだった。
だからまともに聴くような音楽とは思っていなかった。でも、まあ根がポップス育ちなので、彼らのヒット曲はそれなりに好きだった。とくに「アメリカ」とか「スカボロー・フェア」なんかはね。
だから当時のロック少年たちが持っていたサイモン&ガーファンクルのアルバムは、たいていベスト盤と『明日に架ける橋』の2枚ぐらいだったはずだ。

それにしても名曲と言われている「明日に架ける橋」は、その大仰な歌い上げぶりに、やっぱりシラけてしまったものだ。これじゃあ第二の「マイ・ウェイ」じゃないの。
後年になってポール・サイモンの3枚組のベスト盤『1964/1993』に収録されている「明日に架ける橋」のデモ・テイクを聴いた。弾き語りのギターのみを伴奏にポールがとつとつと歌うこの曲は、とてもデリケートで好ましい曲に聴こえた。
アルバム『明日に架ける橋』の中で、私が好きなのは、リズムがヘンな「セシリア」とか、歌詞がヘンな「フランク・ロイド・ライト」とか、コーラスがヘンな「ボクサー」あたりかな。
ロック的な「キープ・ザ・カスタマー・サティスファイド」、「ベイビー・ドライバー」、「バイバイ・ラブ」なんかは、かえってそのロック具合がなんとも中途半端で、ロック少年(私)にはひどくつまらないものに聴こえたものだ。

そんなわけで、サイモン&ガーファンクルが1970年に解散してからのポール・サイモンのソロ活動にも、私はほとんど興味を持っていなかった。
「母と子の絆」とか、「僕のコダクローム」とかヒット曲はリアルタイムで聴こえてきて、よい曲だなとは思っていたけれど。

そんな私があらためてポール・サイモンに向き合うことになったのは、もう80年代に入ってからのことだ。
たしか『時の流れに』を聴いたのがきっかけだった。
いいアルバムだと思った。控えめで穏やかでクールなポール・サイモンの歌い方にまずひかれた。
当時世の中には、AORなどオシャレでセンスの良い音楽があふれていた。ポール・サイモンの曲もソフィスティケイトされていたが、うわべだけでない切なさと孤独感があった。

しかも、曲の内容が良くできている。内省的で自分に対してシニカルなところが魅力的だった。
とくに一曲目のタイトル曲「スティル・クレイジー・アフター・オール・ジィーズ・イヤーズ」。
昔の恋人に街でばったり出会う。大人の二人だから一緒にビールを飲みながら、かつてつき合っていた頃の思い出話をする。なつかしく思い出される日々、そしてあの頃の自分自身。あれからずいぶんいろいろな事があって、時間が経ったというのに自分がちっとも変わっていないことにあらためて気づく。
時は流れたのに、僕は相変わらずあの頃のようにクレイジーなままさ。ちょっと変わり者で、世間とうまく折り合いがつけられない。都市生活者の孤独と哀愁がじわじわと伝わってくる。まるで短編小説のように。

それからシングル・ヒットした「50ウェイズ・トゥー・リーヴズ・ユア・ラヴァー(恋人と別れる50の方法)」なども、もうタイトルからして気が利いている。こんな具合にこのアルバムは、一冊の良くできた短編小説集のようだ。昔読んだ『ニューヨーカー短編集』を思い出した。
この本は、都会派雑誌として知られるアメリカの『ニューヨーカー』誌に掲載された小説から編んだ短編集。都市生活者の哀歓が、ウィットに富んだ洒落た筆致で描かれている。『時の流れに』は、ちょうど『ニューヨーカー短編集』の音楽版といった感じだった。

 そこで、ライヴ盤をはさんで、その一つ前のアルバム『ゼア・ゴーズ・ライミン・サイモン(ひとりごと)』も聴いてみた。これもまたよかった。そのよさは『時の流れに』とは、ちょっと違っていたけれども。
このアルバムは、S&G解散後のポール・サイモンのソロ2作目に当たる。『時の流れに』のようないかにもニューヨーカー的な感じはない。もっとカラフルで軽快でポップな面が強く出ている。しかし、醒めていてクールなヴォーカルと、哀感は共通している。「サムシング・ソー・ライト」とか「アメリカン・チューン」は本当によい曲だと思う。

この2枚を聴いて、これは大変だと思った。こんなよいものを知らないで過ごしてきたとは。そこで、あわててこの2枚の前後のアルバムも聴いてみたのだ。
しかし結論から言うとよいのはこの2枚だけ。魔法はこの2枚にしか起こらなかったのだ。

『ひとりごと』の前作、解散後のソロ一作目『ポール・サイモン』は、ヒット曲「母と子の絆」と「僕とフリオと校庭で」を含むが、弾き語りの静かで地味な曲が多い印象だ。アルバム・ジャケットの印象どおりというか。
『時の流れに』の後の『ワン・トリック・ポニー』、『ハーツ・アンド・ボーンズ』もまた、ジャケットの雑なアート・ワークどおりのやっぱり雑で地味過ぎるアルバムだった。まったく売れなかったのもよくわかる。
そしてその次の『グレイスランド』。現在では、名盤と言われているらしいのだが、私にはまったくつまらなかった。これ以降のアルバムはもう聴く気が起きなかった。

『グライスランド』の25周年記念盤というのが出るらしい(2012年7月発売予定)。オリジナルは1986年発売だから、「25周年」というのは去年のはずだけど?
『グレイスランド』は、ポール・サイモンが南アフリカに赴いて現地の黒人ミュージシャンを起用して作ったことで話題になったアルバムだ。
ポール・サイモンは、このアルバムを作ることによって南アのアパルトヘイト(黒人差別)政策に加担したとして大変な非難を浴びた。当時、南ア政府のアパルトヘイト政策に抗議して、世界各国は南アとの文化交流をボイコットしていた。そのさなかに彼はのこのこと南アへ出かけて行って「文化交流」をしてしまったからだ。
この批判は当然だと思う。時が経ち、評論家やファンは、ポール・サイモンを擁護している。いわく、彼が起用した現地の黒人ミュージシャンが広く知られるきっかけを作ったとか、このアルバムがアフリカの音楽を広く世界に紹介するきっかけになったとか…。
でも彼の行動が、結果的にアパルトヘイト政策をいくらかではあるが助長したことに変わりはない。ポール・サイモンはこれらの批判にこう答えている。「僕はただいいアルバムを作りたかっただけなんだ」。
あくまで自分の意図だけを語る姿は哀れだ。自分にそんなつもりはまったくなくても、自分の行動が客観的にどういう結果をもたらしてしまうのか。それこそが問われているというのに。

それと音楽とは別だと言うかもしれない。しかし、そういう自己本位主義は何より『グレイスランド』の音そのものに表れているような気がする。
『グライスランド』は躍動感のあるアルバムだ。しかし、そんな現地のミュージシャンの奏でるアフリカ的な要素と、ポール・サイモンの世界とに、どうしてもとってつけたような違和感を感じてしまう。
ここで念のために言っておくと、私はアフリカのポップスもそこそこ聴いてきた。何しろ、長く『ミュージック・マガジン』を愛読してきたので。シェブ・ハレッド、キング・サニー・アデ、フェラ・クティ、サリフ・ケイタ、ユッスー・ンドゥールなどなど、いずれも一時期ずいぶん愛聴したものだ。だから、このアルバムのアフリカ的要素そのものに違和感を感じているのではない。

ポール・サイモンは、自分とアフリカの音楽との間に距離をとっている。あくまで、自分の歌の世界を表現するための一要素としてアフリカ音楽を使っている感じがする。
たとえばタイトル曲「グライスランド」。歌の内容はメンフィスのエルヴィスの家(グライスランド)が出てくるアメリカのお話。その音的アクセントとして、アフリカン・ビートがあしらわれているように聴こえる。
この人の第三世界の他の音楽(ペルーやジャマイカ)の取り入れ方も基本的には同じなのだろう。「音楽植民地主義者」と揶揄される所以が、たぶんそのへんにある。

誤解しないでほしいが、『グライスランド』が私にとってつまらないのは、これを作ったときのポール・サイモンの行動に問題があるからでは決してない。それは周辺の事情であって音楽の価値には直接関係ない。そうではなくて、このアルバムの内容そのものに何だかちぐはぐなものを感じ、その結果、さほどの魅力を感じないということなのだ。

さて悪口のようなことを書いていてもしょうがない。私はあの素晴らしい2枚をまた聴くことにしよう。

2012年6月27日水曜日

実食「一汁無菜」 塩辛でご飯

「一汁無菜」を実践するシリーズも快調に3回目。今回は、塩辛だ。
そもそも何でこんなことをしているのか。あらためてその目的とルールを確認しておこう。

〔目 的〕  ご飯と味噌汁と、そしておかずは、いわゆる「ご飯のお供」と呼ばれるものをひと品のみ。この究極のシンプル・メニューをたらふく食べることによって、その美味しさをとことん味わい尽くしてやろうということだ。そうすることによって、お腹だけでなく心までも満足させたい。
この場合のおかずは「一汁一菜」の「一菜」(つまり、ちゃんとした料理)とはとても言えないようなささやかなものばかりだ。「一菜」とは数えられないおかずだから、題して「一汁無菜」というわけ。

〔ルール〕  ① 食べるのは、ご飯と味噌汁と「ご飯のお供」を一品。それ以外のおかずはなし。
しかも、「ご飯のお供」は一回に一種類のみ。二種類以上を取り合わせたりしない(お互いの味が邪魔をし合うので)。
② (当面のルールとして) ご飯は1.5合(私がおいしく食べられる限界の量)。味噌汁は一杯のみで、お代わりはなし。
以上。

塩辛は私の大好物だ。しかし、ご飯のおかずというよりは、お酒の肴として食べることの方が多いかな。でも最近はしばらく食べていない。やっぱりちょっと塩分が気になるということもある。
塩辛は酵素(自己消化酵素、微生物、麹などの酵素)で発酵、熟成させたものだ。りっぱな発酵食品なのだが、健康志向のこの時代に、たとえば納豆のように脚光を浴びるということはけっしてない。やはり、塩分とそれから比較的多く含まれるコレステロールのせいなのだろう。

さて酒の肴のときは、塩辛だけを単独で食べるわけだ。これをご飯のおかずにする場合、ご飯と一緒に口に入れることになる。このとき、ご飯と塩辛との触感というか固さの差かかなり大きいことが、若干、事前の心配ではある。
塩辛は何といってもイカだから、噛んでも口の中に長く残っている。まあこのとき旨さが広がるわけだ。片やご飯は比較的早々に口から胃のほうへと去っていく。そのへんうまく美味しさの点で折り合いがつくのだろうか。

今回食べる塩辛は、いただき物の瓶詰めのもの。詰め合わせの中の一つで、かわいい小瓶入り。内容量は45グラム。北海道のメーカーのものだ。
イカの塩辛に使われるイカはスルメイカが普通だが、この瓶の原材料表示を見ると「真いか」となっている。さすが北海道、珍しいものを使っているなと思ったら、「真いか」というのはスルメイカの別名とのことだった。

さて今回のメニュー紹介(というほどのものを食べるわけでもないのだが)。
ご飯はいつもどおり、安い茨城産の「あきたこまち」1.5合。あつあつの炊きたてだ。1.5合は、私のお茶碗で軽く四杯分に相当。
大好きな塩辛なら、ご飯2合は食べられる自信はある。しかし、その後で、お腹が重くなってちょっと苦しい思いをする心配もある。で、ここはぐっと自重することにする(それでも1.5合じゃ自重したことにならないか)。
 塩辛はいったんご飯の上にのせて食べる予定もあるので、いつもご飯に振っている黒ごまは今回もお休みだ。
 味噌汁は、味噌がいつものマルコメ君。今日の具材は小松菜とあぶらげ(別に塩辛を食べることとは関係ない)。

なお、気になる塩辛の塩分について調べてみた。
塩辛の塩分濃度は昔は腐敗防止のためにかなり高かったという。だいたい8~12%くらい。ちなみに桃屋の瓶詰の塩辛は現在でも17%もあるとのことだ。しかし、一般的には低塩化が進み、現在では5%あたりが平均値らしい。そのため冷蔵庫での保存の必要が生じたわけだ。
今回の瓶詰めは内容量が45グラムだから、仮に全部食べたとして、その塩分量は約2.3グラム。味噌汁の塩分が一杯で約1グラムだから、これを合計すると3.3グラム。
一日の塩分摂取量の基準は男性だと10g未満とされている。一食当たりだと3.3グラム。何とぴったり一致で、ぎりぎりセーフだ。もっとも、一瓶全部は食べないつもりだけれど。

それではいよいよ実食。
味噌汁を汁椀につける。今回も味噌汁はこの一杯きりで、お代わりはない。ご飯をお茶碗によそう。かなり軽め(120g)で、ちょうど四杯分になる。
塩辛は、一応瓶の半量くらいを、小皿に出しておくことにした。塩辛を見ているだけで、口の中にはもう唾液が…。見ているだけで、ご飯何口かは食べられそう。
食卓の上にはご飯のお茶碗と味噌汁のお椀と塩辛の小皿のみが、ひっそりと肩を寄せ合っている。「粗食」を絵に描いたらこうなるだろうというような景色だ。しかしその先には、奥深い世界が待っているはず。わくわくするなあ。

味噌汁を一口、二口、三口と飲む。そしてご飯を一口、二口。味噌汁の味で三口食べられる。
そしていよいよ塩辛だ。小皿から箸であつあつのご飯の上にのせる。少なめに小片を四、五片くらい。そして、ご飯と一緒に口の中へ。
塩辛のしょっぱくてねっとりとした独特の味が口中に広がる。久しぶりだ。思ったよりも甘口。これなら塩分は5パーセントより低いだろう。麹も入っているらしいが、形は見えない。

例によってさらに二口、三口と白いご飯を口へ運ぶ。塩辛の熟成した濃厚な旨みと、ご飯の甘い旨さが混じり合う。こんな美味しいものなかなかない。
もぐもぐと噛んでいると、ご飯のかさが少しずつ減っていく。が、イカは噛まれながらいつまでもイカの旨みを放出し続けている。そこで、さらにご飯を四口、五口と追加。ご飯の旨みもどんどん引き出され広がっていく。ご飯てこんなに甘かったんだなあ、とあらためて思う。
一段落すると、また最初に戻って塩辛をご飯にのせて一口。たちまち白いご飯を三口、四口、五口。塩辛の「おかず力」(定食評論家 今柊二の表現)は予想通りやっぱり相当のものだ。

ここで、ちょっと手を変えて、塩辛をご飯にのせずにそのまま少し食べてみる。当然ご飯と一緒に食べるより、濃い味が味わえる。しかし、量が少なくて、食べ応えという点で物足りない。
しかもそこに後追いでご飯を入れても、今度は塩辛の味が散ってしまっていて「手遅れ」といった感じ。やっぱりご飯と一緒の方が、いろいろな点で手応えがあるな。しかもその方が塩辛単独で食べるより、かえって塩辛本来の味のデリケートなところまでちゃんと感じられるような気がする。

これは塩辛の場合に限らないが、食べるおかずの分量はなるべく少なくしようと思っている。そうしないとその味を、じっくり味わえないと思うからだ。
たとえば塩辛の場合、一度にたくさん口に入れては、塩味が強すぎて、かえって十分に本来の味を楽しむことができないだろう。もちろん、塩分の点でもその方がよいにこしたことはないわけで。

梅干のときもそうだったけど、ご飯はおかずの強い味のあとの口直しの働きもしている。塩辛のしょっぱくて濃厚な味が、甘いご飯の旨みを引き出し、それが交じり合いながらしだいに入れ替わって、最後は口の中がさっぱりとリセットされるのだ。そこで、また新鮮な気持で塩辛を食べることなる。
そういうわけで、ご飯がどんどん進むこと、進むこと。

ときどき思い出して味噌汁をすすり、その味でご飯を食べる。が、あとは何だか無心になってご飯を口に運び、お代わりしているうちに、気がついたら四杯食べ終えていた。しばし呆然。そして、じわじわと満足感。

食べる前に瓶ごと重さを量っておいた塩辛は。食べ終えたときに30グラムほど減っていた。これがつまり食べた量で、小瓶の約三分の二を食べてしまったことになる。この瓶は本来一食分だったのかな。食べた分の塩分は1,8グラム、カロリーは約30キロ・カロリーだ。なかなかヘルシーではないの(もっとも、ご飯の量を考えなければだけど)。

濃厚な味のものを食べたわりには、すっきりと気持ちよい満腹感が残る。美味しいものを堪能したことで精神的にも十分に満ち足りた気分。
今回の結論は、えーと…。強いて言うなら、やっぱり旨みの強いおかずは、同時にご飯の旨みも強力に引き出すということかな。
それともうひとつ。塩辛の本当の美味しさは、お酒の肴としてではなく、ご飯のおかずとして食べたときに味わえるということだな。

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2012年6月23日土曜日

実食「一汁無菜」 ふりかけでご飯

 「一汁無菜」を実践するシリーズの2回目は、ふりかけだ。

ダイエットの時代である。そしてまた、健康志向の時代でもある。つまり、現代人は、カロリーの高い炭水化物であるお米を、なるべく食べないよう食べないように毎日生活しているのだ。食事のとき、おかずだけ食べ、ご飯は食べないなんていう人もたくさんいる。
そんな時代に、はたしてふりかけというものは居場所があるのか。だって、ふりかけって、ただひたすらご飯をたくさん食べるためのものでしょ。おかずはなくなっちゃったけど、もう少しご飯を食べたいな、なんていうときに登場するものではないですか。

今回私が食べようとしているのは永谷園の「おとなのふりかけ」である。「おとなのふりかけ」はこんな時代なのに、ロング・セラーの大ヒット商品なのだという。不思議だ。
私の場合、今回のためにわざわざ買ってきたのではなく、じつは賞味期限の切れてしまったものが手元にあったのだ。これを何とか消費しなくちゃ、と思って今回の試みとなったのである。
何で賞味期限が切れるまでほうっておくようなものを、そもそも買ってくるのか。やっぱり、ふりかけって魅力あるんだよね。
スーパーで見かけると美味しそうで、つい買ってしまう。でもいざ買っても、なかなか出番はない。なるべくご飯を食べないで、その分おかずをいろいろ食べるように心掛けているわけだからね。
他のお宅はどのようにふりかけを消費しているのだろうか。

さて今回のメニュー紹介。
ご飯は前回同様、茨城産の「あきたこまち」1.5合を炊飯器で炊く。お米は安物だが、何といってもあつあつの炊きたてだ。1.5合は、私のお茶碗で軽く四杯分に相当する。
 私はご飯には日常的に黒ごまを振っている。前回の梅干のときもこれだけは振らせてもらった。しかし、今回はふりかけを味わうという趣旨だから、当然黒ごまはお休みだ。
 味噌汁は、味噌がいつものマルコメ君。今日の具材はたまたまとうふとわかめだ。

ふりかけは永谷園の「おとなのふりかけミニその2」。これは、五種類のふりかけの小袋の詰め合わせだ。五種類とは、梅ゆかり、かつおみりん、明太子、鮭青菜、鶏たまごそぼろ(現行品は肉味噌にんにくにチェンジ)。ネーミングだけでもおいしそうだ(それでつい買ってしまったわけだが)。
これとぜんぜん違う内容組み合わせの「おとなのふりかけミニその1」というのもある。いずれの味も通常タイプ、つまり単品で販売しているものにはない種類なのはちょっと不思議。
それぞれの味が四袋ずつ、計20袋入っている(もう手をつけたので、減っているけど)。小袋は縦8センチ、横6.5センチの大きさ。たぶん一袋でご飯一杯分ということなのだろう。今回ご飯が四杯だから、小袋四袋で足りるだろうと想定。

なお、当然のことながら栄養のバランスには、今回もとりあえず目をつぶっている。ただものがふりかけなので塩分はちょっと気になる。
栄養成分を見てみると小袋一袋の塩分は0,3グラム。四袋だと1.2グラムということだ。味噌汁の塩分は一杯で約1グラムだから合計すると2.2グラム。
一日の塩分摂取量の基準は男性だと10g未満とされている。ということは一食3.3グラム。何とかクリアーだけど、これで別におかずがあったらかなりきびしい。でも実際は、おかずがちゃんとあれば、ふりかけの出番はないんじゃないの。

それではいよいよ実食。
味噌汁を汁椀につける。今回も味噌汁はこの一杯きりで、お代わりはない。
ご飯をお茶碗によそう。今回は一杯にふりかけ一袋だから、前回以上に、四杯が均等(120g)になるよう心掛ける。
ふりかけは残っていたものの中から「明太子」を選んだ。
袋の口をあける。ここで、袋から少しずつご飯にかけながら食べるか、それとも最初に全部かけてしまうかちょっと迷う。ご飯に満遍なくなく行き渡らせるにはどちらがよいか。で、結局勢いでいっきに全部ご飯の上にかけてしまう。少し多い感じがする。
ふりかけの粒は、海苔を除いてかなり細かい粉末状だ。もうちょっと粒が大きい方が美味しそうだと思うのだが。この細かい粉末が、ご飯のまん中に小さな赤い山になる。これをご飯の表面の全体にお箸で散らそうとするが、ご飯の粒にくっつくのでなかなか均等にはできない。だがまずこれで、準備完了だ。
食卓の上にはふりかけのかかったご飯のお茶碗と味噌汁のお椀とお箸だけ。傍らには、出番を待つふりかけの小袋がいくつか。「一汁無菜」感が全開である。

味噌汁を一口、二口、三口と飲む。そしてご飯。しまった、味噌汁の味で食べるために、ふりかけを全面に広げないで、白いご飯を残しておけばよかった。ふりかけのついたご飯を口に運ぶ。明太子のかすかな風味とかすかな辛さ。本物の明太子を食べているのではないのだからそもそも無理な話だが、明太子の味が物足りない。
ご飯を箸ですくうと、そこに下の白いご飯が顔を出す。その部分を周辺のふりかけのついたご飯と小さく混ぜる。口に入るご飯にはなるべくふりかけがついているようにしたい。
三口くらいふりかけのついたご飯を口に入れ噛んでいると、ご飯の旨みに負けて、ふりかけの味が薄く感じられてしまう。これでは物足りない。

そこで、そこからはふりかけの多めについた部分とついていない白い部分を交互に食べることにした。こうするとある程度ふりかけの味を味わうことができる。しかし、十分に堪能するためにはかなり多めにかける必要があるようだ。
そうこうしているうちにご飯が少なくなる。もうふりかけのついていない白いご飯が大半だ。そこで、味噌汁の力を借りて、一杯目を食べ終える。意外にもふりかけの「おかず力」はさほどでもないことがわかった。
二杯目をよそい、次のふりかけの封を切る。ふたつめもまた「明太子」にする。反省して、袋から少しずつご飯にかけることにした。あるところに集中的にかけ、その部分のご飯を口に入れて味わう。その後、白いご飯を一口、二口と口に運んで口直ししつつ今度はご飯の旨さを味わうといった具合だ。

この方式で食べていると、ふりかけ小袋二袋(三袋目は鮭青菜にした)で残りのご飯三杯が食べられた。
お腹は程よくいっぱいになったが、美味しいものを食べたという満足感は今ひとつ。やはりふりかけは、そのものの味も弱いし、その分、ご飯の旨さを引き出す力も弱いのではないかと思った。
ふりかけは所詮「添え物」。「主菜」があってこそ存在意義があるのでは…というのが今回の結論。

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