2012年6月19日火曜日

「大エルミタージュ美術館展」

雨なので「大エルミタージュ美術館展」を見てきた。

6月の半ばの雨の土曜日、用事があって東京に出かけた。用事が済んだあと、展覧会でも見ようと思い国立新美術館に行ってきた。なぜ「雨なので」なのかというと、国立新美術館は地下鉄の乃木坂駅に直結しているので、濡れないで入れるからだ。まあそれだけのこと。

ところで今回はエルミタージュ美術館だが、これまで数々の有名無名の海外の美術館展が日本で開かれてきた。
一般論として、こういう美術館展というのは、内容的にはあまり期待できないというのが私の印象だ。
そもそもその美術館で持っている良い作品を、洗いざらい持ってくるはずがない。みんな持って来てしまったら、本家が空っぽになってしまう。それに大事な一級品を全部ではないにしろ、遠い日本に運ぶというのは、その美術館にとっては大変なリスクのはずだ。
だから、一握りの良いものと、あとは二級品以下の作品で埋めてお茶を濁すというのが、こういう展覧会の通例ではないだろうか。だいたい有名美術館の所蔵品が、すべて一級作品と考えるのが間違いだ。

エルミタージュ美術館展といえば、これまでにも国内で何回も開かれている。しかし、今回は国立の美術館で開いている展覧会なので、これまでとは違うのかなとちょっと期待はした。
展覧会名の頭に堂々と「大」をつけているのも、その辺の違いを強調したいせいではなかろうかとも思った。

それで見てみたわけだが…。結果、あまり面白くなかったというのが率直な感想。
展覧会は大評判だし、ネット上でも圧倒的に好評、そして実際に会場はたくさんの来場者であふれている。なので、一人くらい否定的な感想を言ったところで、何の影響もなかろう、ということで言わせてもらう。

あまり面白くなかったという理由の大半は私の側にある。が、展覧会の中身の方にも多少不満は感じる。それを順番に書き出してみよう。
まず私の側の問題。西欧の近代以前の絵画は、やっぱり私の体質には合わない感じがある。文化の違い、宗教観の違い、世界観の違い人間観の違い、生活の違いがどうしようもなく感じられて、見ていても共感できないのだ。
近代以降は、個人主義の時代ということもあり、もうちょっと身近な感じで見ることが出来るし共感もできる。

でもこの感じっていうのは、日本人に一般的なものなのではないのだろうか。
明治初期に日本に移入されたルネサンス以来の西欧の絵画は結局日本には定着しなかった。そして明治中期に黒田清輝らがもたらした印象派以降の西欧絵画が、結局は日本の洋画のスタンダードになったわけだ。
これを見ても、やっぱり日本人には、印象派以前の西欧絵画は体質的に合わないんじゃないかと思う。自分の感覚を正当化するわけではないのだが。

閑話休題。私がこの展覧会をあまり面白いと思わなかった理由は、展覧会の内容にもある。
第一には、作品の大半が、中型から小品ばかりだったこと。
大きければよいというものではないのだけれども。
第二には、作品が少ないこと。
「西欧絵画の400年」ということで、16世紀から世紀ごとに会場はコーナー分けしてある。しかし各世紀が約20点の中小作品では、あまりにも漠然として、焦点が合わない感じ。
第三には、なじみのある画家の名前があまりなかったこと(知らない私が悪いのかもしれないけど)。
第四には、なじみのある画家も、作品が少なく(1~2点)、しかも、それがあんまりぱっとした作品でなかったこと。
たとえばルーベンス、レンブラント、ドラクロワ、ルソーあたりの作品なんかどうでなんだろう。感銘したというような感想も見かけたけれども。私に見る眼がないのか。

しかしこの展覧会で最大の見所が、アンリ・マチスの大作「赤い部屋(赤のハーモニー)」だった。
この作品は文句なしに素晴らしかった。
装飾的な形態と、色彩によって強引に自分の美の世界を実現してしまうマチスの力技が堪能できた。
このクラスの作品があと4,5点もあれば、十分満足できたと思うのだが。

しかし、土曜日とはいえ会場がたくさんの人でにぎわっていたのには驚いた。
会場の最初のあたりだけ混んでいても、進んでいくうちに飽きて流れが速くなり、後半がすいているというのはよくあることだ。ところがこの展覧会は、最後までみんなていねいに見ていて混雑していた。
日本人というのはほんとに文化的なことに熱心だなと、これには素直に感心した

実食「一汁無菜」 梅干でご飯

私はもともと単品のメニューの食事が好きだ。麺類で言えば、もりそばとかもりうどん。ご飯だと、丼ものとかカレーのようなもの。ただしそれをたくさん食べる。こういう食事が栄養的には非常によくないということはわかっているのだが…。
この頃は歳をとってきたせいか、簡素な食事も好きになってきた(でも量は多い)。だから「一汁一菜」なんていう言葉には、がぜん興味がわく。

「一汁一菜」とは言うまでもなく、ご飯と味噌汁とおかず(菜)が一品の食事を指す。しかし、さらにこれに漬物もついている。漬物はこの場合「一菜」には数えないらしい。ご飯に当然付属しているものだからということなのか、あるいは、おかずとして一品に数えるほどのものでもないからなのか。
ただ、日本の食文化について説明する中などで「一汁三菜」という言葉が出てくるときは、漬物も「采」として数えているようだ。ここで言う「三菜」の内訳は、「主采」、「副采」、「副々菜」であり、漬物の類はこの「副々菜」に数えるらしい。

それはともかくとして、私はさらに「一汁無菜」というのを思い描く。おかずらしいおかず、つまり「一菜」はなし。いわゆる「ご飯のお供」だけで食べるご飯だ。
「ご飯のお供(友)」はひところ流行ったが、たぶん明確な定義はないだろう。「ご飯のお供」として名前が挙がるのは、たとえば、海苔、納豆、明太子、生卵、ふりかけ、漬物、たらこ、梅干、佃煮、いくら、塩辛などなど。書いているだけでよだれが出そうだ。
漬物が「一菜」に入らないのなら、これらもみな「一菜」未満ということになる。だからこういうものだけでご飯を食べるのが、すなわち「一汁無菜」というわけだ。

「一汁無菜」には何とも心を引き付けるものがある。以前この「一汁無菜」について以下のようなことを書いたことがある。

ご飯と味噌汁と、この中(上に挙げた「ご飯のお供」)からどれか一品があれば、ご飯1.5合、お茶碗で四杯くらいは、美味しく食べられそうだ。
ただし、「ご飯のお供」は、いずれか一種類でなければならない。二種以上を取り合わせると、お互いに邪魔しあってよろしくない。
海苔でも納豆でも明太子でもふりかけでも、とにかく一種類のものでご飯四杯。そうすれば、そのものの旨さを味わい尽くしたという満足感を得ることができる。
大事なのは満腹感ではなく、この満足感。満腹感も大事だが、私にとってはこの精神的な満足感が食事にはあって欲しい。

それで、いよいよこれを実践してみようと思いたったのだ。

ここで一応念のために言っておくと、これは「粗食」ということを楽しんでいるのではない。すなわち自らに禁欲を課して、精神的な満足感を得ようというのではないということだ。
そういうストイックな喜びではなくて、むしろ、徹底的に食事を楽しもうというエピキュリアン的な気持に従ってのことなのだ。いろいろなものを一緒に食べないのは、一つのものを味わい尽くすためには、他のものが邪魔になるからだ。
だいぶ大仰なことになってしまった。でも「ご飯のお供」を思い浮かべると、それだけでもうお腹が鳴る。ともかく「一汁無菜」を実践してみて、その感想を書いてみることにしよう。

で、その初回は、基本中の基本であるところの「梅干」。
まずひととおり、食材等の説明をしておく。使うのは特別なものではなくて、まったく普通の(普通以下の)ものばかりだ。
炊くご飯の量は、上にも書いたように1.5合。かなり多いかもしれないが、他におかずもないし、満腹になりたいので。これは、私のご飯茶碗でごく軽くよそって(約120g)四杯分になる。
お米は近所のスーパーで一番安い「あきたこまち」(茨城産)だ。これを炊く炊飯器は、圧力炊きのできるものだが、そんなに高級品ではない。ちなみにこの炊飯器は、お米の浸水時間が不要ということになっている。

肝心の梅干だが、これもスーパーで安売りしていたもの。器に移して、パッケージを捨ててしまったので国産のはずだが産地等は不明。安売りしているくらいだから無名のメーカーであることは間違いない。
 大きさは一粒が11~12g(種も込み)。そんなに大きくない。安物なのでけっこう塩分が強い(望むところだ)。カリカリ梅ではなくて、本来の果肉がぐだぐだのものだ。
 ご飯が四杯だから、一粒で二杯はいけるだろうと想定して、小皿に二粒のせる。

 味噌汁は、味噌がマルコメ君で、具材はたまたまキャベツとわかめ。
 と、だいたいこういう陣容だが、さらにいつもの習慣なので、ご飯に黒ごまを振るのは許してもらおう。
なお、当然のことながら栄養のバランスには、とりあえず目をつぶっている。

それではいよいよ実食。
味噌汁を汁椀につける。味噌汁はこの一杯きりで、お代わりなし。
ご飯をお茶碗によそう。四杯がだいたい均等(120g)になるよう心掛ける。よそったご飯に黒ごまをビンからぱらぱら振る。
おかずは小皿にのった梅干二粒のみ。
 日本人の食の原点まさにここにあり、といった景色だ。

まずは味噌汁を一口、二口と飲む。ついいつも本だしを多めに効かせてしまう。でもやっぱりその方がおいしい。ご飯四杯とこの味噌汁一杯がだいたい同時に食べ終わるように、配分を考えながら飲む。
その味噌汁の味で、ご飯を一口、二口、三口と口に運ぶ。味噌汁だけで三口食べられてしまった。考えてなかったけれど、味噌汁あと二,三回すすれば、このままご飯お茶碗一杯くらい簡単にいけてしまいそう。
ご飯を噛んでいると味噌汁の味が薄れていくにつれ、ご飯の旨みと甘みが口の中に広がる。

やがて、ご飯が口の中からなくなるのを見計らって、いよいよ梅干をほんの少しだけ小さくかじる。酸っぱさとしょっぱさがぱっと口中を満たす。唾液がどどっと出てくる。ご飯を箸で口に運ぶ。一口、二口、三口。
味噌汁のときもそうだが、私の場合、口に味があると三口ずつご飯が進むということがわかった。
そして噛んでいると梅干の味が薄れていき、それにつれてまたまたご飯の旨みと甘みが口の中に広がっていく。ご飯てこんなにおいしいものだったんだなあ。
もう一度、梅干をほんの少しかじる。また酸っぱい、しょっぱいからのサイクルが繰り返される。ご飯三口で、最後に旨みと甘みがじわっ。

梅干のサイクルを二回から三回繰り返した後、味噌汁のサイクル、つまり味噌汁をすすり、具を食べ、ご飯を三口。
これを繰り返し、お代わりをして、梅干一個で、お茶碗二杯食べられた。定食評論家の今柊二(こん・とうじ)の表現を借りて言えば、梅干の「おかず力」はかなり優れている。
三杯目のご飯で、もう一粒の梅干に手をつける。
舌が慣れてきて「美味しさ」度が低下するかと思いきや、そういうことはまったくなく、最初に感じた美味しさが持続し続けている。味噌汁、ご飯、梅干し、ご飯の繰り返しで、連続して口直しを行って、そのつど舌がリセットされている感じ。
梅干サイクルと味噌汁サイクルを繰り返しながら、ご飯をお代わりして、四杯目も無事食べ終える。味噌汁も梅干もほぼ同時に終了。これで完食だ。小皿の上には梅干の種が二個。

ごちそうさま。ああ、おいしかった。お腹もちょうどいい感じに満たされたし、何より心も満足。
梅干を食べるつもりだったが、結局一番美味しかったのはご飯そのものだった。梅干は、ご飯の美味しさを引き出す触媒という感じ。梅干の触媒力はすごいというのが今日の実感だ。

<関連記事>

2012年6月15日金曜日

勝手に大予想 「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」

今月のレコード・コレクターズ誌の予告によると次号(20012年8月号)の特集は、「ローリング・ストーンズ・ベスト・ソングズ 100」だとか。
ときどき同誌でやっているいろんなバンドの「ベスト・ソングズ 100」特集だけど、はっきり言って私はあんまり興味がわかない。
ロックはたいていアルバム単位で聴くものだと思うし、そんな風に聴いてきた。アルバムの中では、個々の曲だけでなく、アルバム全体の構成や、曲相互の関係にも意図があり意味がある。だから、個々の曲を取り出して順位をつけてもしょうがない気がするのだ。
ストーンズだって初期はともかく60年代半ば以降は、アルバム・アーティストではないの。

しかし、それはともかくとして、先日このブログで偉そうに「ローリング・ストーンズ入門」なんて書いた手前もあるし(誰も気にしてないか)、ここはひとつベスト・ソング上位10曲を大胆予想して楽しんでみよう。
特集は100位までだけど、私は10位まで。

 <ローリング・ストーンズ・ベスト・ソングズ10の予想>

第1位 「ブラウン・シュガー」
第2位 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
第3位 「ホンキー・トンク・ウィメン」
第4位 「ストリート・ファイティング・マン」
第5位 「サティスファクション」
第6位 「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」
第7位 「ギミー・シェルター」
第8位 「タンブリン・ダイス」
第9位 「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」
10位 「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」

この予想の考え方というか読みスジはこんな感じだ。

まず、初期のデッカ時代の前半、ストーンズがヒット・ソング・バンドだった頃のヒット曲の数々。
このへんは、100位以内にはたくさん入るだろう。しかし、10位以内に入りそうなのは、下の2曲くらいだと思う。あとは、票が分散して10位にはくい込めないのではないか。
「サティスファクション」
「ペイント・イット・ブラック(黒く塗れ)」

この2曲は、当時の不安と不満を反映していたわけだが、今現在の時代の気分にも、ぴったりシンクロしてしまっている。その点で、共感ないし再評価の票が集まるのではないだろうか。
この時代とのシンクロの度合いであんばいして、「サティスファクション」は5位、「黒く塗れ」が10位でどうだろう。

次にデッカ時代の後半から70年代にかけての米南部サウンド志向期。私はストーンズの「黄金の十年」(1968~78年)とこの時代を呼んでいる。
この時代のストーンズが、つまりは今に至るまでのストーンズのパブリック・イメージの元になっているわけだ。
したがってこの時期のイメージを典型的に表している曲が、10位までにずらりと並ぶというのが私の読み。
曲で言うと次のようになる。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」
「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル(悪魔を哀れむ歌)」
「ストリート・ファイティング・マン」
「ホンキー・トンク・ウィメン」
「ギミー・シェルター」
「ブラウン・シュガー」
「タンブリン・ダイス」
「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」

これで8曲、初期の2曲を加えたらもう10曲だ。
まあ、たぶんこんなところだろうな。

ちなみに「ワイルド・ホーシイズ」とか「アンジー」みたいなスローな曲は、いい曲ではあるけれど、ロックなストーンズのアナザーサイドということで10位以内には来ないんじゃないかな。
「ハッピー」やその他のキース・リチャーズがメイン・ヴォーカルの曲も、ストーンズの「代表曲」としては票を投じないのでは。       
80年代以降は、ストーンズという存在がより大衆化、一般化していく。ファンク、ディスコなどの都会派サウンド系ヒット曲もいくつかあるが、10位に入るほどたくさんの支持を集めるとはちょっと思えないような…。

ということで、選曲終了。さて問題はその順番だ。
ストーンズのイメージと勢いを象徴しているという観点で票が集まるだろうと想定してみた。
南部サウンド期を代表する勢いのある曲といえば、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」、「ホンキー・トンク・ウィメン」、「ブラウン・シュガー」あたり。
この3曲が、ベスト10の頂上付近に来るのではないか。というわけで、その「勢い」順に、「ブラウン・シュガー」を1位、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を2位、「ホンキー・トンク・ウィメン」を3位にしてみる。
「ブラウン・シュガー」は72,3年頃の絶頂期のライヴでオープニング・ナンバーにもなっていたし、ストーンズのイメージを決定付ける代表曲として、誰にも文句ないのでは。

続いてこの時期の名曲三曲をこの後に続けてみる。先に5位に「サティスファクション」を決めてあるから、これをはさむ形になる。
なかなか順位はつけがたいが、沈滞したこの時代にカツを入れたい人が多い(?)と読んで「ストリート・ファイティング・マン」を4位にし、「悪魔を哀れむ歌」を6位、「ギミー・シェルター」を7位ということにしよう。

ついで8位に「タングリン・ダイス」。この曲は、「黄金の十年」の中のさらに絶頂期に「ブラウン・シュガー」に続いてヒットしたが、やや引き気味の曲なので、まあこの辺が妥当か。
そして、先に10位は「ペイント・イット・ブラック」で決まっているから、残る9位の座は「イッツ・オンリー・ロックン・ロール」となる。
「たかがロックンロール。だけど俺はそいつが好きなんだ」という泣かせるフレーズのいわばストーンズのテーマソングだ。そういう意味あいがあるので10位以内には入ると思う。だが、飛び抜けて良い曲というわけでもないから9位くらいが順当だと思われる。

 というわけで、次号のレコ・コレ誌の結果ははたしてどうなるのか。当たるも八卦、当たらぬも八卦。どきどきしながら発表を待つことにする。

<これまでのローリング・ストーンズ関連記事>
ベスト・ソングズの結果は「レコ・コレ誌「ストーンズ・ベスト・ソングズ100」」

2012年6月14日木曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」 梅雨の晴れ間編

いよいよ梅雨入りして不順な天気が続いている。その晴れ間の一日、水戸に出かけたので、例によって坊主に寄ってみた。
 久しぶりなので、例によってわくわくしながら、そしてどきどきしながら(休みの可能性もあるので)店へ向って歩いていく。「超激辛」の赤いのぼりが見える。よかった、やっていた。

平日の11時10分入店。先客なし(後客は4人)。道々考えてみたら、前回の訪問からは3週間ぶり。間もあいたので、ここは当然、私の定番「特製らーめん」の食券ボタンを押す。そして、当然「白めし」と「ビール」のボタンも。これが私の黄金のトリオ。
さらに今日は何かトッピングを、と思ったので、これまで頼んだことのない「コーン」も。

「坊主」のトッピング・メニューはいくつかあるが、「生卵」の50円をのぞいて、あとは一律100円。いちいち端数は面倒だからざっくりと、という感じ。ついでに「白めし」も100円。
その中で、最高にリーズナブルなのは「白めし」だが(何しろ大盛りでも100円)、その次にお勧めは「ねぎ」だ。
茶碗大の器に別盛りで、刻みネギが山盛りで出てくる。これだけの量をラーメンと一緒に摂取し、しかも熱さと辛さで大汗をかけば、ちょっとした風邪なんかいっぱつで治ってしまいそうだ。ただし、半日は口がネギ臭いので、事情が許す人のみの限定だけど。
反対に「お得」度が薄いのは「のり」。他のラーメン店で、同じく100円の「のり」のトッピングを頼んだら、7~8枚ののりが丼のヘリにずらっと壁のように立ち並んでいてびっくりした。坊主はその半分くらいの枚数で、ちょっと物足りない。

カウンターの一番はじに座る。クーラーがかなり効いている。
ご主人に食券を渡しながら、いつもどおり「麺とめしは普通盛りで」とお願いする。
すぐでてきたビールをぐびりぐびりと飲みながら待つ。いつものように店内にはオールディーズが流れている。この「アット・ザ・ホップ」なんか何十回聴いたかしれない。
開店直後ということで、麺を鍋に投入し、スープの雪平を火にかけるご主人の動きにもまだだいぶ余裕がある。

程なく(何しろ客第一号だからね)「特製らーめん」と「白めし」がカウンターに登場。
丼の表面をほぼ覆っているもやしと豚バラの上に、コーンの黄色と刻みネギの白の二色の小山がこんもり。相変わらずいい景色だ。
丼の表面のふちに近いあたりに、具材をお箸で左右にかきわけてスープの池を作る。そこからスープをレンゲですくって、ふうふうと一口すする。あいかわらず旨いなあ。今日は、いつもよりほんの少し魚介系のダシが強い感じだ。ついつい二口、三口、四口と立て続けで口に運んでしまう。そして、一息ついたらご飯を一口。それから、ゆっくりと具材と麺をほぐし始める。結局いつもと同じ進行だ。

辛さもちょうどいい感じで、やっぱり辛い。
私が「辛さランキング」(店内に表示してある)の最上位のメニューを食べていると知って、知人たちはまず驚く。
「よく食べられますね。辛くないんですか」。さらに「あんなに辛くても味がわかるんですか」とも訊かれる。
もちろん辛い。辛いけれど、私にはちゃんと味がわかる辛さ。旨いよ。
というより、旨さと辛さはここでは別物ではないと思う。旨さを構成する一部分として、この辛さはあるのだ。そういうふうに坊主の味はできていると思う。
たとえばこの「特製らーめん」から、辛さのみを取り除いたら、旨さだけが残るものなのだろうか。全然辛くない旨いラーメンになるのだろうか。そうはならないだろう。旨さと辛さのバランスが、崩れてしまうからだ。
このお店にも辛くないメニューがいろいろある。私は全然食べたことがないけど、はたしてどんなものなんだろう。ここのご主人のことだから、それなりによく作ってあるのだろうけれど。
でもとにかく、このお店の本来の味は、ある程度辛さに強い人でないと味わえないということになる。あんまり大きな声で言っちゃいけないことだけど。

トッピングのコーンはなかなかよい。甘くてコクがあって歯応えがある。もやしを食べたり、バラ肉を食べたり、麺を食べたり、スープをすすったりするたびに少しずつ口に入ってきて、いい味のアクセントになる。
しかし、どんなにがんばっても、コーンの大半はスープの底のほうに残る運命だ。ところが…。
私は坊主では常にスープまで完食する。至福のときは最後の段階を迎えている。丼の中は、あらかた麺を食べ終え、具材のかけらが残っただけのスープになる。これを両手で持った丼のふちに口をつけて少しすすっては、残しておいたご飯を一口ずつ食べるのだ。今回は、残っていたコーンが、このとき再び力を発揮した。最後の最後までスープに御馳走感を感じさせてくれたのである。ありがとう。

今日はコーンのせいではないだろうが、いつになく満腹になった。「白めし」のかわりに「麻婆めし」にしなくてよかった。
ごちそうさまでした。体も心も満ち足りてお店を出た。

例によってここからは腹ごなしの散歩の報告。
いつものように千波湖方面に向かって歩き始めるが、今日は少し風が強いので、千波湖周辺ではなく「逆(さかさ)川緑地」を歩いてみることにする。
千波大橋を渡ってそのままさくら通りを進んでいく。逆川橋を越えると本郷橋のたもとに到着。ここからが「逆川緑地」の始まりだ。
「逆川緑地」は逆川という小さな川のほとりに細長く続く公園だ。今日は右岸(私から見ると左側)に沿って歩いていくことにする。
川の左右がところどころ湿地帯なのだが、その上は木道が続いていてなかなか良い風情だ。

この公園は左右を斜面に挟まれていて谷の底を歩いていくような感じだが、谷の斜面が樹木に覆われていて、その先の建物の姿がほとんど見えない。水戸の街の中心部のはずなのに、まるでここだけ別世界の空間にいるようだ。
上流の公園のはじまで緑と水のある風景の中を往復して約一時間。お腹も満ち足りていて、気持ちよく幸せな気分を味わった。よい散歩だった。

2012年6月12日火曜日

東京散歩「ステータスのある街(?)を歩く」 南青山から、西麻布、広尾を抜けて恵比寿へ

6月上旬のある日、ちょっとした用件があって久しぶりに東京に出かけた。
 近ごろは東京に出て時間があると、あちこち歩きまわっている。今回は、南青山、西麻布、広尾と「高級感」漂う街を歩いてみたので、その様子を紹介することにしよう。

以前は、東京で時間があくと、展覧会を見るか、あるいはCD屋をめぐって中古CDを漁(あさ)るのが常だった。しかし、この頃は、見たいと思う展覧会もめったにないし、CD屋めぐりの方も軍資金が乏しいためあまり熱が入らない。
そこで、以前から好きだった街歩きが復活したわけだ。「街歩き」とか「散歩」というと聴こえは良いが、実際はただ歩き回るだけというのが正しいかもしれない。

もともと東京のガイド・マップというのが好きで何種類も手元に持っている。新宿とか渋谷とか銀座といったエリアごとに地図があって、その街の概要と、ショッピングと食べ物の情報と、散歩ルートとかが載っているようなたぐいのものだ。
そういう情報を頭に入れて実際に歩いてみると、たいていはがっかりする。東京の街は、どこもたいていはごちゃごちゃした普通の通りだからだ。地方の街の風景とそんなに変わらない。期待し過ぎるこちらが悪いのだけれど。
それで、ここではなるべく見たまま思ったままを記してみることにする。

今回は渋谷の宮益坂で用を足して昼食を食べた。
それから、青山通りを表参道の方に向かって歩き、マックス・マーラの角を右に曲がって骨董通りに入る。この通りから一本路地を入ったところにある画廊で、知人が個展を開いているのだ。
作品を見せてもらった後、知人と1時間ばかり歓談して会場を後にした。これで、今日の用件はおしまい。時間は3時ちょっと過ぎ。これから散歩タイムだ。

今日考えているコースは、画廊がある南青山から、西麻布を通って広尾を抜け、恵比寿に至るコースだ。
南青山、西麻布、広尾と言えば、いずれおとらぬ「オシャレ」で「高級」な、「大人」の街ということになる。
かつて広尾で画廊を開いていた知り合いの画廊オーナーの言葉を思い出す。いわく「ステータスのある場所」。
彼は地方でやっていた画廊をたたんで、東京に店を移した。なぜ東京でも広尾を選んだのか尋ねたところ、彼はこう答えた。
「ともかくステータスのある場所でやりたかった。23区で言うと港区か千代田区か大田区。そしたらここにいい物件があってね」。
よく聞く話ではあるが「ステータスのある場所」という言い回しがちょっと印象に残った。
この言葉を借りると、南青山、西麻布、広尾はまさに「ステータスのある」街ということになる。さて実際に歩いてみると、どんなものなのか。

路地から骨董通りに出る。青山通りには戻らずそのまま南へ、六本木通りの方に歩いていく。
小原流会館や岡本太郎記念館の前を通り過ぎる。骨董通りというだけあって、古美術の店もちらほらあったが、あまり興味はわかない。あとは南青山といっても、ビルや事務所や飲食店が並ぶどこにでもありそうなごく普通の通りだ。同じ青山でも、高級ブランドのお店が並ぶ、表参道から根津美術館への道筋とはだいぶ違っている。

ほどなく六本木通りに斜めにぶつかって骨董通りは終わり。左に曲がり、今度は六本木通りに沿って歩いていく。
六本木通りは、その上の高架を首都高の渋谷線が走っている。しかも、道幅が狭いせいか、上り線と下り線が上下に重なって、地上も合わせると三階建て()の道路だ。その光景は、未来的と言えば言えるのかもしれないが、とにかく殺風景。
よっぽど右側の路地に入ろうかと思った。しかし何しろ西麻布初心者なので、ともかく少し先の西麻布の交差点まで歩いてみる。
六本木通りと外苑西通りが交差しているのが西麻布の交差点だ。左に曲がれば、青山霊園、まっすぐ行けば六本木、右に曲がると広尾がある。でもまあ普通のどこにでもある交差点だ。

ここを右に曲がって、今度は外苑西通りに沿って広尾方面に歩いていく。この辺も骨董通りと同様で、ビルが並ぶだけの普通の通り。外苑西通りは片側2車線で車がやたら多いが、歩道は狭い。狭い上に街路樹や電気設備のボックスなどが立っていて歩きにくいことこのうえない。六本木の歩道もこんな感じで歩きにくかった。
西麻布と言えば私には、クラブ(お酒を飲む高級なお店)やクラブ(踊る場所、昔のディスコ)がある街というイメージがある。
しかし昼間なので、クラブ(お酒の方)は全然目に付かない。表通りを歩いているせいもあるだろう。
クラブ(踊る方)はそれらしい建物がいくつかあったが、やっぱり昼間なので、ばっちりと閉まっていた。
ガイド・マップには、たしか西麻布は「隠れ家的な店が多いことで知られる」と書いてあったが、何しろ「隠れて」いるわけだから、やっぱり全然わからない。べつに入ってみようというわけじゃないんだから、どうでもいいんだけど。

歩いていると左側に少しばかりの緑が見えてきた。「笄(こうがい)公園」と書いてある。名前は由緒あり気だが、木立と遊具がある小さな普通の児童公園だ。しかし、ここが子供の声であふれている。
こういう公園は地方にもたくさんあるが、団地近くの場合を除いて、子供が遊んでいるのをあまり見かけない。田舎の子は、もともと少ないうえに塾と習い事で忙しいのだろう。やっぱり都会は違うなと思う

さらに歩いていくと広尾橋の交差点に到着。
ここには画廊を訪ねて何度も来たことがあるが、ぶらぶら歩くのは初めて。広尾というと、高級住宅地、また各国の大使館が集中するインターナショナルな街というイメージがあるが、見回したところあまりそんな感じはしない。
交差点の右奥に広尾プラザというビルがああって明治屋が入っている。明治屋というと京橋や日本橋の輸入食品のお店を思い浮かべるが、ここの明治屋は、ちょっとのぞいてみたところ高級なスーパーだった。なるほど高級住宅地なんだな。

広尾橋の交差点を右に曲がって広尾散歩通りに入る。いろいろなお店がごちゃごちゃ並んでいる。多少オシャレっぽいイタリアンの店なども目に付くが、そんなに高級感はない。東京近郊の中央線や私鉄沿線の駅前によくある商店街といった感じ。銭湯があったり、中華屋もあったりで、なかなか庶民的だ。
ぶらぶらしながら一本裏の狭い路地に入ってみる。
聖心女子大の高台を背にして、そのふもとに古そうな家がぎっしりと軒を連ねていた。お年寄りが家の前に椅子を出して休んでいる。まるで下町の風情で、ちょっといい。

広尾散歩通りは祥雲寺というお寺の入り口に突き当たって左に折れている。
道なりに曲がってそのまま恵比寿方面にまっすぐに進んでいく。フレンチやイタリアンのお店、カフェなどがちらほら目につくが中に入らなければやっぱり普通の通り。

広尾散歩通りは広尾五丁目の交差点で終わる。この交差点で明治通りを横切り渋谷川を渡って、道筋に沿って進んでいく。
社会教育館の交差点をさらにまっすぐ越えると恵比寿三丁目に入る。このあたりは昔から縁があって、じつはけっこう詳しい。少し行って最初の信号のある交差点を右に曲がる。

このあたりは住宅街だが、道の右側に「イニッシュ・モア」というちょっと有名なアイリッシュ・パブがある。前から一度入ってみたいと思っている。
私は、アイリッシュ・パブというものが好きで、フィッシュ・アンド・チップスを食べながらギネスを飲むのが何よりの楽しみなのだ。だが「イニッシュ・モア」は残念ながらまだ開店前だった。あきらめて先へ進む。
歩いていくと住宅の間から恵比寿ガーデン・プレイスのタワーが見えるそんなに広くないこの道は、ずっと行くとそのまま、ガーデン・プレイスの前のくすの木通りになるのだ。

4時半、ガーデン・プレイス到着。これで散歩は終了。南青山を出発してから1時間15分。まずまずの運動量だ。
「ステータスのある」高級な街を巡ったわけだけれども、表通りを通り過ぎただけではまったくそんな感じはしない。裏道を歩きまわり、それなりのレストランで食事をしたり、お店に入って買い物でもしないと、「高級感」は味わえないんだろうな(する気はないけど)、などとあらためて思った次第。

2012年6月11日月曜日

ポール・マッカートニーのアルバム5選

『レコード・コレクターズ』誌(2012年7月号)の『ラム』特集を記念して贈る()、ポール・マッカートニーのアルバムの私的5選。
というわけなのだが、ポールのソロから好きなアルバムを5枚選ぶのは正直ちょっときつい。いいアルバムがそんなに何枚もあったっけ。

好きか嫌いかと言われれば、ポール・マッカートニーはけっこう好きなアーティストだ。しかし、ソロになってからのポールの歩みは、ロッカーからポップ・ソング・メイカーへと変わっていった歩みに見える。
ビートルズ時代には、どんなにポップな曲でもこの人の曲にはロック魂が感じられたものだ。ところがソロになってからは、しだいにこのロック魂が希薄になっていったような感じがする。それとともに、私の興味はこの人からだんだん離れてしまったのだった。

そんなポールの最高傑作『ラム』には、まぎれもなくロック魂があふれている。しかし、その外にあと4枚も、この人に「ロッキン」なアルバムがあったか。いろいろ思い悩んで選んだ結果は以下の通り。

<ポール・マッカートニーのアルバム私的5選>

第1位 『ラム』(1971)
第2位 『バンド・オン・ザ・ラン』(1973)
第3位 『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』(1976)
第4位 『ロンドン・タウン』(1978)
第5位 『フレイミング・パイ』(1997)
次 点 『フラワーズ・イン・ザ・ダート』(1989)

 本当は第2位を「該当なし」にしたかった。『ラム』はダントツに良くて、『バンド・オン・ザ・ラン』以下との開きがあまりに大きかった。そこで『バンド・オン・ザ…』を第3位にし、以下、上記より一つずつ下にずらした形が最初の考えだった。
でも、それじゃあんまりへそ曲がりかなと思いなおして上記のように落ち着いた次第。

 <各アルバムについてのコメント>

ソロ初期のアルバムを中心に、上記の選出理由についてコメントしてみよう。

『マッカートニー』 

いろんな楽器を弾けてしまう器用な人が、全部自分で演奏してソロ・アルバムを作ると、たいていこのようなことになる。
他のメンバーに気兼ねしたり、口を出されたりせずに、好きなことを好きなようにやることができるわけだ。さぞかし才能と趣味をフルに発揮した素晴らしい傑作か生まれるかと思いきや、このアルバムのように、小さくまとまったつまらないアルバムになってしまうのだ。

他の例では、ジャパンのベーシスト、ミック・カーンのソロ第一作がやっぱりこんな感じだった。
つまり他人がいてそれが障害や制約になり、そこで初めて、その人の能力はぎりぎりまで引き出されるということなのだと思う。
とりわけポール・マッカートニーという人は、自分のやっていることに夢中になってしまって、自分を客観的に見ることが出来ないタイプの人なのだと思う。

世間をがっかりさせたポールのソロ第一作。発表から時間が経ち再評価の声もあるらしいが、やっぱりこのアルバムに見直すべき価値があるとは思われない。
他のメンバーのソロ第一弾、ジョージ・ハリソンの『オール・シングズ・マスト・パス』と、ジョン・レノンの『ジョンの魂』がそれぞれロックの歴史に残る超名盤だったというのにねえ。ポールの場合は、それは第2作だったというわけだ。

というわけで私のベスト5からは落選。でも「メイビー・アイム・アメイズド」というせつない名曲が入っていることと、全体にまだポールのロック心(ごころ)が感じられる点が救いだ。

『ラム』

これぞロック魂全開だ。
前作で少し反省したのだろう。それとも、やりたいようにやってすっきりしたのか。ともかくどれもすごくよい曲ばかり。しかも抑制の効いた、しまりのある的確な演奏。じわじわと聴く者の心に響いてくる。
以前ビートルズのメンバーたちのソロ・アルバムについてコメントしたことがある(「ビートルたちのソロ・アルバム」)。その中にも書いたが、このアルバムは本当に繰り返しよく聴いた。
高校一年生の私の頭の中では、このアルバムの「トゥー・メニー・ピープル」や「ラム・オン」や「ディア・ボーイ」や「ハート・オブ・ザ・カントリー」や「モンクベリー・ムーン・ディライト」が、いつもぐるぐるまわっていたものだ。

でも今回のデラックス・エディションは買わないつもり。今回に限らずボーナス曲って、やっぱりそれなりのものでしかなくて、オリジナル版の曲より良かったためしがない。当然と言えば当然の話。それで、よっぽどのことがないかぎり、手を出さないことに決めた、つい最近のことだけど。

『ワイルド・ライフ』

ライヴもしたかったのだろうが、やっぱりバンドをやりたかったんだろうな。で、ウイングス結成。
前作のかっちりした曲作りの反動か、セッション的な雰囲気のラフな作り。それはそれでべつにいいんだけれど、何せ曲がどれもつまらない。で、落選。

『レッド・ローズ・スピードウェイ』

三日間で録音した前作とは対照的に、録音に半年もかけたわりには、可もなく不可もない印象の薄い凡作。当然、落選。

『バンド・オン・ザ・ラン』

全然違う曲を強引にくっつけてしまったタイトル曲「バンド・オン・ザ・ラン」。この無理やりな展開が素敵だ。つづく「ジェット」の自信満々のヴォーカルとアレンジと演奏。たたみかけるようなテンションの高さから絶好調ぶりが伝わってくる。
「ブルー・バード」、「マムーニア」などとてもいい曲がある。「ミセス・ヴァンデビルト」みたいな、ヘンテコさが魅力の曲もある。その他の曲は、まあ、ふつう。で、第2位入選(本来は第3位くらいな感じだけど)。

『ヴィーナス・アンド・マース』

タイトル曲「ヴィーナス・アンド・マース」で静かに幕を開け、続く「ロック・ショー」でぐいぐいと盛り上がっていく展開。前作に続いて今回もやってくれたじゃないの。と、思わず期待は膨らんだのだったが…。
その後は、ずっとライトなポップ・ソングが続いて、最後まで煮え切らないまま終わってしまうのだった。
なので残念ながらベスト5からは、落選。

『アット・ザ・スピード・オブ・サウンド』

まずこれジャケットがダメでしょ。
そしてみごとにジャケットに見合った取り得のない内容。
ポール以外のウイングス・メンバーのヴォーカル曲が半数を占める。こっちはお金払ってんだから、素人に歌わせないでよ。当然、落選。

 『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』

「ヴィーナス・アンド・マース」~「ロック・ショー」~「ジェット」とたたみみかける怒涛の冒頭メドレー。勢いに乗ったポールのまさにロック・ショーがパッケージされたライヴ・アルバム。LP3枚組というのも、その勢いのなせる業。
スタジオ版では今ひとつだった曲目も、ライヴの演奏だとけっこう聴けてしまう。まあ、長いので途中ダレる部分もないではないけど。で、第3位入選。

 『ロンドン・タウン』

ジャケットも含めて、そこはかと漂う英国風味が好みのアルバムではある。だが、いかんせん曲がどれも小粒で、いまひとつぱっとしないアルバム。
しかしハードでトラッドなラスト曲「モース・ムース・アンド・ザ・グレイ・グース」に免じて第4位に入選ということにしよう。

私のポールとのお付き合いは、このあたりまでで終わる。なので、アルバム1枚ずつのコメントは、ここで終了。あとは中略。

『フレイミング・パイ』

ビートルズの『アンソロジー』プロジェクト直後のため、回顧モードの中で作られたと言われるアルバム。
安易なポップさに流れることなく、じつに内省的で落ち着いた渋いアルバム。スティーヴ・ミラーのギターも渋い。その分、かつてのような高いテンションや勢いはないものの、それなりによい。で、第5位。
2曲目「ワールド・トゥナイト」のジェフ・リンのハーモニー・ヴォーカルがジョン・レノンの声に聴こえてドッキリ。

『フラワーズ・イン・ザ・ダート』

エルヴィス・コステロと組んだことで話題になったアルバム。
コステロとの共作は4曲のみだが、それがだいぶ刺激になったようだ。どの曲がいいとかはないが、久しぶりに多少ともロック心を感じさせるアルバムになった。
コステロのアクはやっぱり強くて、共作曲はコステロ色濃し。で、コステロのアルバムを聴きたくなる。

2012年6月5日火曜日

ローリング・ストーンズ入門 「黄金の十年」を聴け

ここにローリング・ストーンズに、あらためて入門したいという若い人がいるとしよう。
ストーンズといえばロック界の超大物であり、来日時には音楽界のみならず社会をにぎわす大ニュースになる。
これまでところどころつまみ食いはしてきたけれど、そんなストーンズとは、そもそもいったいどんなバンドなのか。あらためてじっくり聴いてみたいと思うけれど、さて何から聴き始めたらいいのかわからない…。
もっともな話だ。何しろストーンズは結成50年を迎え、オリジナル・アルバムももう30枚を超えている。その間、音楽スタイルもそれなりに変遷を重ねてきた。
そんなストーンズのいちばん「おいしい」ところはどこなのか。いちばん「カッコいい」部分はどこなのか。できるだけ手っ取り早く知りたい…。なんてことを思っている若い人はたくさんいるんじゃないか(いないかな?)。
今回はそんな方々に送る「ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・ローリング・ストーンズ」だ。

ストーンズの黄金時代は、1968年のアルバム『ベガーズ・バンケット』と、シングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」から始まる米国南部サウンド志向期だろう。
代表的な曲調のイメージとしては、「ホンキー・トンク・ウィメン」とか「ブラウン・シュガー」から、『ブラック・アンド・ブルー』の「クレイジー・ママ」とか、『サム・ガールズ』の「ホエン・ザ・ウィップ・カムズ・ダウン」なんかに連なるラインだ。
ストーンズは、じょじょに南部サウンドに加えて、ファンク、ディスコといった都会的サウンドや、レゲエなど流行の音を取り込んでいくわけだが、ぎりぎり78年の『サム・ガールズ』くらいまでが、ストーンズの一番よかった(そして、カッコよかった)時期と言えるだろう。これがすなわち「黄金の十年」だ。
ストーンズのコアなファンのおよそ85パーセント(?)くらいは、この考えに賛同してくれるんじゃないかと思う。
ただしこの十年の間には『ゴート・ヘッド・スープ』とか『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』という凡作アルバム(ジャケット見りゃだいたいわかるよね)も作ってはいるのだが…。

ストーンズ入門者は、何をおいてもまずこの十年間のストーンズを聴くべきだ。
これ以前については何曲かの必聴曲を聴いておけば、まあ十分。「黄金の十年」以降、現在に至までのストーンズについては、とりあえず聴く必要なし。
実際これ以降の彼らのステージでつねに演奏されている曲の大半は、この「黄金の十年間」の曲なのだから。

ついでにライヴということで言っておくと、最近の彼らのライヴは、やっぱり70年代のライヴには全然かなわないと思う。
たとえば 2002,03年の演奏を収めた『ライヴ・リックス』や、2006年の『シャイン・ア・ライト』(OST)などを聴くと、音はクリアで演奏は全体にタイトで引き締まってはいる。サポート・メンバーが優秀なのと、録音やPAといったシステム面での進歩のせいなのかもしれない。
しかし私の印象としては、スリル感のない手馴れた演奏であり、音色も硬質に聴こえてしまう。70年代のルーズなノリやグルーヴ感による、ニュアンス豊かなふくらみのある演奏の魅力にはまったく及ばない。最近のライヴを聴くのなら75年の『ラヴ・ユー・ライヴ』を聴いた方が何倍もいいよ。

では「黄金の十年」(1968~78年)以前の初期の必聴曲とは何か。先ほどは後先考えずに言ってしまったけれども。あらためて考えてみると、あれあれ、結局 「サティスファクション」と「ペイント・イット・ブラック」の2曲ということになっちゃうかな。
「サティスファクション」のパンキッシュな魅力と、「ペイント・イット・ブラック」の得体の知れないまがまがしさ。これらは時代を超越して今も輝きを放っていると思う。
けれど、「ハート・オブ・ストーン」とか「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トギャザー」など初期のポップ・チューンは、入門者が今聴いてはたして面白いのかな。ましてや「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」とか「ルビー・チューズデイ」みたいな甘々の曲は、われわれにはノスタルジックでも、世間的にはとうにカビがはえているのかも。

でとにかく初期のストーンズを聴くためには、とりあえずベスト盤で事足りる。いろいろ考えたが、やっぱりここは『ホット・ロックス』だろうか。これが2枚組でなく1枚ものならもっとよかったのだが(『ビッグ・ヒッツ』と『スルー・ザ・パスト・ダークリー』は今ひとつ)。
『ホット・ロックス』は71年に出たので、この時点までの曲から選ばれているのがよい。それから曲順がクロノジカルなのもマル。『フォーティ・リックス』は、いろいろよけいな曲が入っているのでお勧めしない。
また『ホット・ロックス』には、南部サウンド期のシングル 「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」や「ホンキー・トンク・ウィメン」が入っているのもよい。

さて本題の「黄金の十年」のアルバムについては、私が以前書いた「ローリング・ストーンズのベスト・アルバム5選」も参照して欲しい。これを選んだ時点では、「黄金の十年」というくくり方をはっきりとは意識していなかったが、結局選んだアルバムはこの時期のものだけになった。
私のストーンズのベスト5アルバムはこんな具合だ。

① 『ベガーズ・バンケット』(1968)
② 『スティッキー・フィンガーズ』(1971)
③ 『エグザイル・オン・メインストリート』(1972)
④ 『ラヴ・ユー・ライヴ』(1977、中身は75、76のライヴ)
⑤ 『レディース&ジェントルマン』(DVD、中身は72のライヴ) 
次点(同順で)
⑥ 『ブラック・アンド・ブルー』(1976)
〃 『サム・ガールズ』(1978)

この時期のベスト盤なんかにお金を使うなら、悪いことは言わないからこの①から④までのオリジナル・アルバムを買って繰り返し聴くことをお勧めする。ストーズというバンドの本質的な部分、多様性、そして猥雑なカッコよさのすべてがここにある。

ここで上のベスト5選出の補足を。
上のベスト5には、『レット・イット・ブリード』(1969)の姿が見えない。
『レット・イット・ブリード』といえば、しばしばストーンズの代表作として名前の挙がる傑作アルバムのはずだ。それがなぜ?
ストーンズの「黄金の十年」の内、60年代の英デッカ時代に作られた2枚のオリジナル・アルバム、すなわち『ベガーズ・バンケット』と『レット・イット・ブリード』は、対をなす内容を持つ作品だ。
たとえば冒頭にストーズ・スタイルの名曲「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」と「ギミー・シェルター」がある。2曲目にスローな「ノー・エルスペクテーションズ」と「ラヴ・イン・ヴェイン」がきて、その後にカントリーぽい曲やブルースが挟まって、ラストがどちらもコーラス隊が加わる壮大な曲「ソルト・オブ・ジ・アース」と「ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット…」で終わるといった具合だ。
当然両方のアルバムを比較してしまうが、そうすると私は断然『ベガーズ・バンケット』の方を選んでしまう。
なぜなら『レット・イット・ブリード』は、曲の出来が今ひとつだからだ。「リヴ・ウィズ・ミー」とか「モンキー・マン」なんかはやや単調。「ミッドナイト・ランブラー」はやや冗長で、「ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット…」はやや大仰。
それに「カントリー・ホンク」を入れるなら「ホンキー・トンク・ウィメン」を入れてほしかった。
というわけで、『ベガーズ・バンケット』が、この2枚を代表していると思ってほしい。

「黄金の十年」のコア中のコアは、言うまでもなく『スティッキー・フィンガーズ』と『エグザイル・オン・メインストリート』ということになる。
しかし、実際のところこの2枚は入門者には、多少のとっつきにくさがあるかもしれない。全然ポップではないし、多少クセのあるアルバムだからだ。そこで、この2作の聴き所についてひとこと。

『スティッキー・フィンガーズ』は、あらためて聴いてみると、曲の出来がすべてよいというわけでもない。というか、完璧なのは、「ブラウン・シュガー」と「ビッチ」くらいか。あとは、あっちにも、こっちにも隙がある。
たとえば「キャント・ユー・ヒア・ミー・ノッキン」の後半のセッション風展開などは、ちょっと間が抜けていて無駄に長い。
次の「ユー・ガッタ・ムーブ」なんか、これではまるで冗談ソング。ライヴのときのように(『ラヴ・ユー・ライヴ』で聴ける)粘っこくやってくれれば、超カッコいいブルースなんだけど。
それに前のセッションからひっぱり出してきた「シスター・モーフィン」。わざわざここに持ってくるほどの良い曲か。
 そしてラストの「ムーンライト・マイル」の意味不明の東洋風アレンジ…などなど。
このようにイマイチの部分はたくさんある。しかし、そうした隙やバランスの悪さもそのままに、ぐいぐいと押し切っていく勢いがこの時期のストーンズにはあった。
たとえば「スウエイ」。完璧なストンーズ・チューンである「ブラウン・シュガー」の余韻の中で、もたもたと始まるこの曲。ぱっとしないと思われたメロディーを、ミック(ジャガー)が強引に歌い回す。バックのギターとピアノによる音の壁が、しだいしだいにストリングスまで加わって厚みを増していく。その前でミック(テイラー)のギターがうねるように上昇。やがて怒涛のような音の大波が押し寄せてきて、圧倒的な幕切れとなる。やられた。
こういうのがぐいぐいと何でも押し切ってしまうこの時期のストーンズの勢いなのだ。
このマジカルな「勢い」は、前作の『レット・イット・ブリード』にはそれほど感じなかったし、次々作の『ゴート・ヘッド・スープ』ではもう失われている。まさにこの時期限定のものなのだ。

次作の『エグザイル・オン・メインストリート』も、今はストーンズの最高傑作という声もあるが、出たときは不評だった。だから白紙で聴き始める入門者にも聴きづらいかもしれない。
全体にモコモコとしたダンゴ状の音色で、ねっとりとした粘り気があり、またときに呪術的でもある曲調。その後の彼らの都会的サウンドとはだいぶ様子が違っている。やっぱりとつきやすいはずはないかな。
だがこのアルバムは、この混沌としていて、どろどろしたエネルギーに身を浸して味わうべきアルバムだ。
何だか難しそうなことになってしまった。まあ四の五の言わずにまずは聴いてみることだ。何がしか感じるものがあれば、繰り返し聴き込めばよい。もし万一、なんにもピンと来るものがなかった人は、無理をせずにあきらめ、今後はストーンズには近寄らない方がいいと思うよ。
これじゃあんまりガイドになってなかったかな。

この時期のストーンズのマジカルな「勢い」は、72年のライヴを収めたDVD『レディース&ジェントルマン』で目の当たりにすることができる。
『スティッキー・フィンガーズ』と『エグザイル・オン・メインストリート』を聴いてその気になった人は、ぜひ自分の目で確認して欲しい。