2014年1月31日金曜日

ザ・バンド 『ニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート』


私はザ・バンドの最高傑作は、『ミュージック・フロム・ビッグピンク』でも『ザ・バンド』でもなくて、断然『ロック・オブ・エイジズ』だと思っている。そして結局はこのライヴ・アルバムが、ザ・バンドというグループの到達点であり、また終着点であったとも思う。
1968年のデヴュー・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』と69年のセカンド『ザ・バンド』は、まさに神がかっていた。続く70年の『ステージ・フライト』と71年の『カフーツ』は、最初の2枚ほどではないにしても、このバンドならではの良さがあるアルバムだったと思う。
これらのアルバムの総集編であると同時に、さらにそれを越えるものとして『ロック・オブ・エイジズ』(72年)は作られている。

『ロック・オブ・エイジズ』以降に出たザ・バンドのアルバムは、御承知のとおり、どれも気が抜けたものばかりだ。73年の『ムーンドック・マチネー』、75年の『南十字星』(名盤と言う人もいる)、77年の『アイランズ』など。
また、ザ・バンドのライヴ演奏が聴けるアルバムとしては、他にディランとの『偉大なる復活』(74年)や、解散ライヴの『ラスト・ワルツ』(78年)などがあるが、いずれも『ロック・オブ・エイジズ』には遠く及ばない。
だから私の中で、ザ・バンドはまさに『ロックオブ・エイジズ』で頂点に達し、そしてそこで終わっているのだ。


<『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック 1971』について>

その『ロック・オブ・エイジズ』の拡大版が、『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック 1971』として昨年(2013年)の11月に発売された。CD4枚とDVD1枚の5枚組セット。『ロック・オブ・エイジズ』ファンの私としては、当然、注目せざるをえない。

『ロック・オブ・エイジズ』のもとになったのは、1971年の1228日から31日まで、ニューヨークのアカデミー・オブ・ミュージックで開かれた4夜連続のコンサートだ。
セット・リストは4夜ともほぼ同じ。2曲のアンコールも含めて毎夜2324曲が演奏された。一日だけアンコールが1曲多かった日があるのと、最終日にボブ・ディランが飛び入りして4曲共演したので、つごうこの一連のコンサートで演奏された曲目は29曲ということになる。

今回の『ライヴ・アット・アカデミー・オブ・ミュージック 1971』は、「ロック・オブ・エイジズ 完全版」(ディスク1&2)と1231日の演奏を丸ごと収録した「ニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート(完全収録盤)」(ディスク3&4)とからなっている(DVDも1枚あるけどこれは無視)。
この内「ロック・オブ・エイジズ 完全版」は、この4夜に演奏された全29曲のベスト・テイクを収録したものだ。しかし、これが何とも中途半端な内容で、魅力が薄い。
その理由は大きく三つ。
① 29曲のうち28曲が既出音源であり、純粋にこれまで未発表だったのは「ストロベリー・ワイン」1曲のみだったこと。
② しかも、その29曲の配列が、セット・リストどおりの曲順ならまだしも、意図不明のランダムなものだったこと。
③ そして何より29曲の内、何と11曲が31日のニュー・イヤーズ・イヴ・コンサートからの音源だったこと。つまり、同じセットのディスク3&4と、11曲が同一音源でダブっているのだ。何だか間が抜けているでしょ。

というわけで、私はこのセットを買うのをパスした。
しかし、「ニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート」の方は、やっぱり気になる。そこで、例によって友人に頼んで、ディスク3と4だけコピーしてもらったのだった。
ということで今回は、これを聴いての感想である。


<『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』を聴いて>

ディスク3&4のタイトルは、英文標記では「New Year's Eve At The Academy Of Music 1971 (The Soundboard Mix)」、そしてこの邦題は「ニュー・イヤーズ イヴ コンサート(完全収録盤)」となっている。ここでは以下、『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』と呼ぶことにする。
『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』を通して聴いて一番驚いたのは、『ロック・オブ・エイジズ』とは、受ける印象が全然違うことだ。『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』によって、『ロック・オブ・エイジズ』の全貌が明らかになると思いきや、この二つはまったくの別ものだったことがわかったのだ。

『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』の音は、わざわざタイトルにサウンドボード・ミックスと添えてあるくらいだから、会場で実際に聴いている音に近いのだろう。とすると、『ロック・オブ・エイジズ』というのは、ライヴの記録ではなくて、ライヴの音源を素材にして作り上げた新たな作品だったということだ。このことについては、また後の方で触れることにする。
とはいえ『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』を聴いていると、どうしても『ロック・オブ・エイジズ』との違いに耳がいってしまう。そこで両者を比較しながら『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』の感想を述べていくことにしよう。

まず、これは中身とはまったく関係ないことなのだが、『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』は、収録時間が長い。ディスク3が約50;分、ディスク4が約1時間18分で、トータル約2時間8分。私も歳をとったせいか、聴いていてなかなか集中力が続かない。『ロック・オブ・エイジズ』は、LP2枚組で、トータル1時間20分(現在ではこれがCD1枚に収められている)。このくらいが、やはりちょうどいいなあ。
ちなみにオールマンズのフィルモア・ライヴや、ツェッペリンのマジソン・スクェア・ガーデンのライヴなどでも、完全版が出たとき同じようなことを感じたものだ。

さてコンサート全体の印象としては、かなりゆったりとした感じを受ける。
激しい音響や、シャウトするヴォーカルや、聴衆を煽ったりすることなどは、もともとザ・バンドのライヴには無縁だ。しかし『ロック・オブ・エイジズ』には、ホーン・セクションの音も加わって、躍動感あふれるタイトな音という印象があった。だが、実際のステージは、ゆったりした印象で、曲によって緩やかに起伏をつけながら進行していくのだった。

『ロック・オブ・エイジズ』と『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』とのこの印象の違いは、ホーン・セクションの強調の仕方の違いと、それから曲目の選び方による。
『ロック・オブ・エイジズ』からは、コンサートの全体にホーン・セクションが参加しているイメージを受けたものだ。しかし実際のコンサートでは、ホーン・セクションが加わっているのは、全体の約半分だけ。
コンサートは第1部と第2部に分かれており、第1部はザ・バンドのみの演奏、そして第2部がホーン・セクションが参加しての演奏になっている。
『ロック・オブ・エイジズ』は、このうちホーンが参加した曲を中心に構成されていたのだ。第2部とアンコールの計12曲は全て収録されているのに対し、ザ・バンドのみの第1部からは12曲中(31日は11曲だった)5曲しか選ばれていない。

さらにまた、『ニュー・イャーズ・イヴ・コンサート』で聴けるホーンの音は、かなり控えめだ。というかそれが実際にライヴの場で聴いているときの印象に近い。
つまり『ロック・オブ・エイジズ』では、ホーンの音を強調していたわけだ。その結果ホーンが主導して躍動感を生み出しているように聴こえた。たしかに、そういう曲もある。しかし、実際のコンサートでは、ザ・バンドの曲にあくまでホーンが彩を添えているという感じだつたのだろう。
たしかに、すでに完成している曲に後から加えたアレンジだから、本来ホーンが前面に出てくるはずはないのかもしれない。その意味で、岡田拓郎の次のような描写は、その辺の感じをうまく言い当てていることになる。
「バンドの演奏に乗ってあちこちから現れるホーンが互いに呼応し合い、ファンキーに場を熱くする。」(岡田「アラン・トゥーサンがガンボ風味で彩るホーン・セクション」 『レコード・コレクターズ』誌201312月号「ロック・オブ・エイジズ」特集)

ところで『ロック・オブ・エイジズ』の収録曲は全部で17曲。これまで、このうちの大半は31日のニュー・イヤーズ・イヴの演奏と言われてきた。しかし、実際には31日のテイクは7曲のみだった(それでも他の日のテイクよりは多いわけだが)。残りの10曲は、他の日のテイクが使用されたわけだ。31日に演奏されたこの10曲の演奏は、採用されなかったのだ。つまり他の日のテイクより出来が劣っていたことになる。でははたして、それはどのくらいダメなのか。

そんなことを事前に考えながら聴き始めたのだった。しかし、結果から言うと、それほど大きな違いはないと思う。
『ロック・オブ・エイジズ』でさんざん耳になじんだ曲が流れてくると、たしかにほっとする。収録されなかったヴァージョンだと、ギター・ソロの違いや、ヴォーカルの歌い回しの微妙な差などが、やはり耳につく。しかし、それでもそれほどの違和感はない。そして何より聴いているうちに、コンサートそのものにどんどん引き込まれてしまうのだった。結局、問題なし。

ただ、萩原健太が『レコード・コレクターズ』誌の「ロック・オブ・エイジズ」特集(201312月号)の記事中で指摘していたように、『ロック・オブ・エイジズ』に使用されていることになっている31日の演奏でも、『ロック・オブ・エイジズ』のヴァージョンと、微妙に違っているところがあったりする。
たとえば「ラグ・ママ・ラグ」。『ロック・オブ・エイジズ』収録のヴァージョンは、31日のテイクのはずなのだが、ヴォーカルも、ギターも、ホーンもみんな聴きなじんだ『ロック・オブ・エイジズ』と微妙に違っている。そして何よりガース・ハドソンのピアノ・ソロが決定的に違っている。何とも不思議&不可解。

以下、コンサートのパートごとに、感想や気がついたことなど。


■コンサート第1部(ディスク3)

『ロック・オブ・エイジズ』冒頭のあのおなじみのアナウンス(ホーン・セクションのメンバー紹介など)はなしで、いきなり「クリプル・クリーク(Up On Cripple Creek)」がスタート。あのアナウンスは、何と実際は第2部の冒頭だったのだった。

第1部は、ホーンなしのザ・バンドのみによる演奏。全11曲だが、他の日はもう1曲「ストロベリー・ワイン」が加わって、12曲だったらしい(『ロック・オブ・エイジズ』2004年版CDの宇田和弘のライナー)。
このうち『ロック・オブ・エイジズ』には、5曲が収録されている。

この第1部、とにかくゆったり、のんびりした印象だ。
たとえば「うわさ(The Rumor)」、とか「ロッキン・チェアー(Rockin' Chair)」みたいなスローな曲が、その印象を強くしている。
オープニングの「クリプル・クリーク」、2曲目「ザ・シェイプ・アイム・イン(The Shape I'm In)」に続く3曲目が、何とこの「うわさ」。
この曲は、『ステージ・フライト』のクロージング曲だ。アルバムのエンディングにまさにふさわしい哀愁あふれる、じつにまったりとした曲調だ。こんな曲を、いきなり幕開けの3曲目にもってくるとは、ふつうなら早過ぎる。
ちなみにこういうスローなタイプの曲は、『ロック・オブ・エイジズ』には収録されなかった。

しかし、それでも8曲目、タイトなリズムの「スモーク・シグナル(Smoke Signal)」あたりからステージはゆっくりと盛り上がりはじめる。つづくリチャード・マニュエルのヴォーカルが切ないディラン作の「アイ・シャル・ビー・リリースト(I Shall Be Released)」、そして、ゴスペル風な「ザ・ウェイト(The Weight)」で、第1部はハイライトを迎えるのだ。

その次の「ステージ・フライト(Stage Fright)」で第1部は幕となる。『ロック・オブ・エイジズ』に採用されているおなじみのテイクだ。
ところで、31日のこの「ステージ・フライト」には、御承知のとおり途中でピーピーとハウリング音が入っている。そういういわばキズがあるのに、なぜこの日のテイクをわざわざあのアルバムに採用したのだろう。それでもなお他の日よりも出来が良かったということなのだろうか。


■コンサート第2部+アンコール(ディスク4)

第2部は5人のホーン・セクションが加わっての演奏だ。ここで初めて、『ロック・オブ・エイジズ』冒頭のおなじみのアナウンスメントが聴ける。
曲は第2部本編が10曲と、アンコールが2曲。本編ラスト近くのガース・ハドソンのオルガン・ソロ曲「ジェネティック・メソッド」を除いて、あとはすべてホーン・セクションが参加している。この計12曲は、全て『ロック・オブ・エイジズ』に収録されている。

第2部の一発目は、「カーニヴァル(Life Is A Carnival)」。ホーンが大活躍の曲だ。『カフーツ』収録のザ・バンドとアラン・トゥーサンとの初コラボ曲。ホーン・セクションが存在感を強烈にアピールしている。
その後、「キング・ハーヴェスト(King Harvest (Has Surely Come))」、「カレドニア・ミッション(Caledonia Mission)」と演奏は続いていくのだが、上にも書いたように、ホーン・セクションの印象が『ロック・オブ・エイジズ』とかなり違う。音が控えめで弱い。その分、ザ・バンドの演奏が前面に出ている。ホーンはあくまでその後にいる感じ。

やがてホーン・セクションによる短いけれど哀切なイントロが付け加えられた「オールド・ディキシー・ダウン(The Night They Drove Old Dixie Down)」から「ロッキー越えて(Across The Great Divide)」のメドレー、そして続く「アンフェイスフル・サーヴァント(Unfaithful Servant)」へ。ちょうどヴォーカルがリヴォン・ヘルムから、リチャード・マニュエル、そしてリック・ダンコへとリレーするこのあたりで、コンサートは最高潮に達する。

会場がしみじみとした雰囲気になったところで、曲調は一転、次は、マーヴィン・ゲイのファンキーなカヴァー・ナンバー「ドント・ドゥ・イット(Don't Do It)」だ。
『ロック・オブ・エイジズ』の印象的なオープニング曲であり、再びホーン・セクションが躍動的なウネリを作り出している。
そして年越しチューン「ジェネティック・メソッド(The Genetic Method)」から、ラストの「チェスト・フィーヴァー(Chest Fever)」へとなだれ込んで、第2部の本編は終了となる。
それにしても、この大詰めの連続する2曲のうち、まさか後の「チェスト・フィーヴァー」だけが、他の日(1228日)の演奏だったとは、これまで誰も想像していなかったことだ。 
ここで聴ける31日の「チェスト・フィーヴァー」は、『ロック・オブ・エイジズ』のヴァージョンよりもややスローだ。途中のガース・ハドソンのオルガンのソロも、『ロック・オブ・エイジズ』収録のテイクのようなシャープな感じはないが、なかなか熱っぽい演奏で、これはこれなりによい。

ここでいったん幕となりその後、アンコールが2曲。『ロック・オブ・エイジズ』では、「チェスト・フィーヴァー」の後に、「ハング・アップ・マイ・ロックン・ロール・シューズ((I Don't Want To) Hang Up My Rock And Roll Shoes)」が来て終わっていた。が、実際にはその2曲の間にアンコール1曲目として「ラグ・ママ・ラグ(Rag Mama Rag)」が入っていたわけだ。

上にも書いたが、『ロック・オブ・エイジズ』の「ラグ・ママ・ラグ」は、31日のテイクのはずなのだがだいぶ違っている。
それはともかくこの曲は、テンポもよくてかなり盛り上がる。アルバム『ザ・バンド』収録曲だが、フィドルに回ったリック・ダンコの換わりにベース・パートを、もともとチューバが引き受けていた曲だ(『ザ・バンド』ではプロデューサーのジョン・サイモンが吹いていた)。31日の演奏でも、チューバがリズムをリードして、じつに軽快で気持のよい演奏になっている。


■ボブ・ディランとの共演(ディスク4)

31日のコンサートは、アンコールの後、サプライズ・ゲストのボブ・ディランが登場してザ・バンドと4曲共演している。
ザ・バンドとディランが共演するのは、2年前の69年のワイト島フェス以来のことだった。しかも、サプライズでの登場なわけだから、ステージにディランが姿を現したときに、盛大な拍手と歓声があったのでは、と想像するのだが、その瞬間はどういうわけかこのCDには記録されていない。いきなり曲が始まるのだ。

このときのディランとの4曲は、『ロック・オブ・エイジズ』の2001年リマスター盤のボーナス・ディスクで聴いていたので、あらためてここで聴けたという感慨はない。

曲はいずれもディラン作で、ベースメント・テープス・セッションから2曲(「ダウン・イン・ザ・フラッド(Down In The Flood)」、「ヘンリーには言うな(Don't Ya Tell Henry)」)と、ザ・バンドが『カフーツ』でカヴァーした「傑作をかく時(When I Paint My Masterpiece)」、そして、ディランの代表曲「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)」という内訳だ。

ディランのヴォーカルはやや甲高くて、あんまりよく声が出ていない感じ。「ヘンリーには言うな」は、リヴォン・ヘルムとのデュオで歌っているが、完全にディランの声は負けている。
だからこの共演は、それほど珍重するような出来ではないと思う。たださすがに「ライク・ア・ローリング・ストーン」のザ・バンドも加わったコーラスの部分を聴いていると、やっぱり胸が熱くなる。


<『ロック・オブ・エイジズ』再発見>

上にも書いたように『ニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート』は、サウンドボード・ミックスということなので、実際に会場で聴いている音に近いと思われる。だとすると、これまで意識していなかったが『ロック・オブ・エイジズ』が、単なるライヴの記録ではなく、かなり意図的に作り込まれたアルバムだということが見えてくる。
その意図とは、ホーン入りのアンサンブルの躍動感に焦点を当てるということだ。コンサート第2部のホーン入りの曲を中心に選曲していることと、ホーンの音を前面に打ち出しているミックスの仕方が、そのことを示している。
ホーン・セクションを紹介するMCを冒頭に持ってきたのも、そのような意図によるものだろう。またこの意図のためにアルバムの曲順もうまく工夫されている。
まず、オープニングの「ドント・ドゥ・イット」は、ホーン・セクションによって躍動感を増幅させたファンキーなマーヴィン・ゲイのカヴァー曲だ。
そして、LP2枚の各サイドそれぞれの締めくくりは、とくにホーンが大活躍する弾けた曲ばかりだ。サイド1が「W.S.ウォルコット・メディシン・ショー」、サイド2が「ラグ・ママ・ラグ」、サイド3が「カーニヴァル」、そしてサイド4が「ハング・アップ・マイ・ロックン・ロール・シューズ」といったぐあいである。 

「ドント・ドゥ・イット」、「ハング・アップ・マイ・ロックン・ロール・シューズ」は、今回のコンサートのために、バンドの演奏と一体でホーンをアレンジしたと思われる。また「W.S.ウォルコット・メディシン・ショー」、「ラグ・ママ・ラグ」、「カーニヴァル」はオリジナル録音時からホーンが加わっていた曲。つまり、これらの曲は第2部の曲の中でも、とりわけホーンの活躍する余地が大きいものばかりなのだ。これらの曲を各サイドのラストに持ってくることによって、ホーンとのアンサンブルの印象は、より強められているのだと思う。


<おわりに>

『ロック・オブ・エイジズ』の密度やホーン・セクションとの強力なアンサンブルと比較してしまうと、『ニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート』は、どうしてもやや散漫な感じがしてしまう。とくに、アンコールのあとに、ディランとのパートがあったりするのも、いかにも蛇足で散漫な印象をより強くしている。だからこそのセット売りだったのかもしれない。

しかし、絶頂期にあったこのバンドの音楽の深くて重厚で渋い魅力は十分に伝わってくる。彼らの音楽の底に流れる強靭でしぶというねりが、ホーン・セクションによって顕在化されている感じもする。その意味で、やはり『ニュー・イヤーズ・イヴ・コンサート』はいいアルバムと言えるだろう。


〔関連記事〕


2014年1月21日火曜日

ボブ・ディラン&ザ・バンド 『ワイト島ライヴ』


昨年ボブ・ディランのブートレッグ・シリーズVol.10として『アナザー・セルフ・ポートレイト』が発売された。オリジナル・アルバム『セルフ・ポートレイト』の関連音源を集めたものだが、これのデラックス・エディション(4枚組)のディスク3は、1969年の第1回ワイト島フェスティヴァルでのディランの演奏をコンプリート収録したものである。
このデラックス・エディションを、私は思うところあってあえて買わなかった。しかしディスク3のワイト島のライヴには、正直そそられた。長年ずっと聴きたいと思っていた音源だからだ。

ディランの69年ワイト島ライヴの音源は、周知のようにこれまでその内の4曲が『セルフ・ポートレイト』に収録されて聴くことができた。これがなかなかよいのだ。とりわけ「マイティー・クイン」は素晴らしい。
だから私は、このワイト島のディランをもっと聴きたいと思っていた。ブートレッグが出ていると聞いて、それなりに探していたのだが、とうとう見つからなかった。
それが今回ついにオフィシャルな形でリリースされたというわけだ。ただ、4枚セットの中の1枚として、というのは気に入らない。このセットが、4枚組で18000円也という、ファンの足元を見たべらぼうな値段だったからだ。

やっと最近になって、友人にディスク3だけコピーしてもらうことができた。というわけで今回は、これを聴いての感想を記してみよう。

ところでディラン史的に見れば、この時期のライヴは貴重ではあるけれど、内容にはあまり期待できそうもないというのが大方の見方だろう。なぜなら1966年のバイク事故による隠遁後、なんとか活動を再開したディランだったが、1967年の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』、1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』、そして1970年の『セルフ・ポートレイト』と、傍目(はため)には迷走を続けているようにしか見えない時期だからだ。

デモ・テイク集のような『ジョン・ウェズリー・ハーディング』はまだ許せるとしても、それまでのダミ声から澄んで滑らかな声に「変身」して、お気楽にカントリーを歌った『ナッシュヴィル・スカイライン』は、誰もがディランの悪い冗談だと思った。そして、とどめは美声ディランによる意味不明、意図不明のポップス・アルバム『セルフ・ポートレイト』だった。
最初評論家に「クソ」と言われた『セルフ・ポートレイト』の評価も、その後、少しは上昇しているのだろうか。
『レコード・コレクターズ』誌201310月号の『セルフ・ポートレイト』特集は、何とかこのアルバムを持ち上げようとしていた。しかし、この特集に文章を寄せた何人もの執筆者の中で、結局このアルバムを手放しで絶賛しているのは、唯一鈴木カツだけだったのも事実だ。

ワイト島のライヴは、まさにそんな混迷のさなか、『ナッシュヴィル…』と『セルフ…』の狭間に行われたのだった。こんな時期のライヴに期待しろと言う方が無理というものだ。実際ワイト島のライヴについて、当時のマスコミはこぞって酷評したという。
しかし、『セルフ・ポートレイト』で聴くことの出来る、このときのライヴの一部は、意外にもなかなか良かったのだった。中でも「マイティー・クイン」には、荒っぽくてワイルドな不思議な魅力があった。
果たして、このライヴは、実際のところどうだったのか。


<アルバム『ワイト島ライヴ』について>

『アナザー・セルフ・ポートレイト』〔デラックス・エディション〕のディスク3のタイトルは、日本盤では「ワイト島フェスティヴァルLIVE完全版(Bob Dylan & The Band)」で、海外盤では「Bob Dylan & The Band Isle of Wight - August 31, 1969」となっている(らしい)。この文章では、以下このディスク3を『ワイト島ライヴ』と呼ぶことにする。

曲目は以下の17曲。

1. イントロ
2. シー・ビロングズ・トゥ・ミー(She Belongs To Me
3. アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ(I Threw It All Away
4. マギーズ・ファーム(Maggie's Farm
5. ワイルド・マウンテン・タイム(Wild Mountain Thyme
6. 悲しきベイブ(It Ain't Me, Babe
7. ラモーナに(To Ramona
8. ミスター・タンブリン・マン(Mr. Tambourine Man
9. 聖オーガスティンを夢で見た(I Dreamed I Saw St. Augustine
10. レイ・レディ・レイ(Lay Lady Lay
11. 追憶のハイウェイ61Highway 61 Revisited
12. いつもの朝に(One Too Many Mornings
13. あわれな移民(I Pity The Poor Immigrant
14. ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone
15. アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(I'll Be Your Baby Tonight
16. マイティー・クイン((Quinn The Eskimo) The Mighty Quinn
17. ミンストレル・ボーイ(Minstrel Boy
18. 雨の日の女(Rainy Day Women #12 & 35

ライヴの当日は、ディランの登場の前にザ・バンドのみの演奏パートがあったとのことだ。ザ・バンドはそこで、45分間にわたり9曲を演奏している。その後に、ボブ・ディランが登場して、ザ・バンドはそのままバックをつとめた。
ディランは1時間にわたって17曲を歌った。この『ワイト島ライヴ』には、それがセット・リストどおりにコンプリートに収録されている。
3曲目の「マギーズ・ファーム」まで演奏したところで、いったんザ・バンドはステージからおり、以下次の4曲は、ディランの弾き語りによるアコースティック・セットとなる。その4曲とは、「ワイルド・マウンテン・タイム」、「悲しきベイブ」、「ラモーナに」、「ミスター・タンブリン・マン」だ。
そこから再びザ・バンドがバックに入って8曲演奏。「マイティー・クイン」で一応ライヴの本編が終了となる。そしてアンコールが「ミンストレル・ボーイ」と「雨の日の女」の2曲だった。

これのライヴ録音のうち『セルフ・ポートレイト』に収録されていたのは、「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」、「ライク・ア・ローリング・ストーン」、「マイティー・クイン」、「ミンストレル・ボーイ」の4曲。他の曲は、これまで未発表のままだった。

このライヴの時点で最新作だった問題の『ナッシュヴィル・スカイライン』からの曲は、「アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ」と「レイ・レディ・レイ」の2曲。
その前作『ジョン・ウェズリー・ハーディング』からは、「聖オーガスティンを夢で見た」、「あわれな移民」、「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」の3曲がここで歌われている。
17曲中この5曲を除く残りの12曲は、フォーク期、フォーク・ロック期そしてベースメント・テープ・セッションからの曲など旧作なのだが、いずれもダミ声ではなく美声ディランが「ナッシュヴィル・スカイライン唱法」(青山陽一の命名)で歌っている。
しかし、意外にもそれほど強い違和感はない。それは「マイティー・クイン」などいくつかのハードな曲では、ディランの声から鼻にかかった甘さがとれて、エッジの効いたシャウトを聴かせているからだろう。

この69年の『ワイト島ライヴ』で聴けるディラン&ザ・バンドのサウンドは、その3年前、同じくザ・バンド(当時はまだザ・ホウクスだったが)がバッキングしていた66年のワールド・ツアーのときのそれとはまったく異なるものだ。
その音楽性の違いは、この二つのライヴの両方で演奏された曲目を比較すれば一目瞭然だ。たとえば「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」だ。

『ワイト島ライヴ』のオープニング曲は「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」だ。『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』(ブートレッグ・シリーズVol.4)で聴ける66年ツアーのときのオープニングも同じこの曲だった。
だが、この二つの演奏は、まったく違う曲調だ。
66年の演奏がアコースティックによる弾き語りだったのに対し、69年のワイト島の演奏が、バンド演奏だからというだけではない。
66年ツアーのディランは、まさにカミソリの刃のようなアブナい鋭さで、この曲を歌っていた。それに対し、69年のディランはあくまでルーズで軽快な歌い方だ。

また『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』のラストで聴ける66年の「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、思いを込めたヒリヒリとするような歌い方だった。エレクトリック・キギターに持ち替えたディランに、ブーイングを浴びせた聴衆達を、まさにねじ伏せるような演奏だ。
69年の『ワイト島ライヴ』でも、「ライク・ア・ローリング・ストーン」は終盤近くで歌われる。しかしここでの演奏は、角が取れてアグレッシヴな感じやシニカルな感じはあまりない。こなれた演奏で、 くねくねとうねるヴォーカルの歌いまわしと、ザ・バンドのラフな演奏が絶妙にマッチしている。そこから生まれるふくらみのあるグルーヴ感が味わい深い。

これら二つの曲の曲調が『ワイト島ライヴ』の全体のサウンドを象徴していると言えるだろう。先に引き合いに出した『レコ・コレ』誌の「セルフ・ポートレイト」特集で、このライヴを「リラックス&タイト」と評していた方がいたが、私はむしろラフ、ルーズ&ワイルドと形容したい。

特徴的なのはザ・バンドの音楽性が、前面に打ち出されていることだ。
ザ・バンドをバックにしたライヴの演奏は、今、紹介した66年ワールド・ツアーの『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』と、74年の全米ツアーを収録した『偉大なる復活(Before the Flood)』などで聴くことができる。
しかし、『ワイト島ライヴ』でのザ・バンドのサウンドは、このどちらのライヴ・アルバムとも違っている。
『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール…』では、スタジオ・アルバムで聴けるディラン流フォーク・ロック・サウンドにそのまま準じた演奏。一方、『偉大なる復活』では、異様に力んで一本調子なディランのヴォーカルに対応してか、ザ・バンドの演奏も硬直気味だ。
いずれにしても、この二つのライヴにおいては、ザ・バンドはあくまでディランに従い、そのバッキングに徹していると言えるだろう。

これに対し『ワイト島ライヴ』では、ディランとザ・バンドの本当の意味での対等なコラボ・サウンドが聴ける。ザ・バンドの生み出すルーズなグルーヴと一体となって、ディランが歌っている。隙間が多いが、豊かでニュアンスに富んだ音だ。ディランがザ・バンドと吹き込んだスタジオ・アルバム『プラネット・ウェイヴズ』にちょっと近い感じだ。
その点で、私は少なくとも『偉大なる復活』の硬直した感じより、『ワイト島ライヴ』の音の方がずっと好きだ。

それからもうひとつ注目したいのは、アコースティック・セットでのディランの弾き語り。バンドをバックにしたときのルーズな歌いぶりから一転して、ディランはここでじつに丁寧に真摯に歌っている。ザ・バンド色の強いエレクトリック・セットの曲と、好ましいコントラストを作り出しているのだ。


全体としてよい内容のライヴなのだから、単独で発売されないのは何とも惜しい。『アナザー・セルフ・ポートレイト』は限定版らしいから、それを売り切ったあたりで別売を考えてもらうわけにはいかないのだろうか。2枚組にして、ディスク1を当日のザ・バンドの演奏、ディスク2がディランなんて内容ならなおうれしいのだが。


<各曲についてのコメント>

以下各曲についてコメントしてみる。

なお『レコード・コレクターズ』誌201310月号の「セルフ・ポートレイト」特集で、佐野ひろしが「ワイト島フェスティヴァルLIVE徹底検証」と題して全曲解説を行っている。要領よく各曲についての情報がまとめられている記事だ。
私のコメントも、これと重複する部分があるが、なるべく自分の言葉で述べてみようと思うので御了承を願いたい。

1. イントロ

「皆さん、皆さん、皆さん…、どうかお座りください」という冒頭のアナウンスメント。3回も繰り返すなよ。アルバム聴くたびに、これを聴かなくてはならないかと思うと、ちょっとウザい。

2. シー・ビロングズ・トゥ・ミー(She Belongs To Me

『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール・コンサート』(ブートレッグ・シリーズVol.4)で聴ける66年ツアーのときのオープニングもこの曲だった。前述したように、そのときの鬼気迫るような歌い方とは、まったく違うここでの曲調。ディランはあくまでルーズで軽快だ。
冒頭の一曲のこの違いが、そのまま66年ツアーと、その3年後に当たる69年のこのワイト島での演奏との違いを端的に表していると言えるだろう。

ディランのヴォーカルは滑らかでルーズ。そして、ザ・バンドの演奏は、軽快でかつタイト。何とも快調なオープニングだ。
オリジナルのスタジオ版は、フォ-ク・ロック期だったが、このまま『ナッシュヴィル・スカイライン』に入っていてもおかしくないようなポップな曲調に生まれ変わっている。
最後に聴かれるザ・バンドのバック・コーラスの微妙なずれ具合がじつにいい味だ。

3. アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ(I Threw It All Away

『ナッシュヴィル・スカイライン』からの曲。愛の後悔を歌った翳りのある曲で、お気楽な曲の多い『ナッシュヴィル・スカイライン』(ジャケットからしてそんな感じでしょ)の中では、わりと好きな曲だ。
このライヴでは、せつせつと歌い上げるメロウでポップな曲になっていて、それなりに泣かせる。
これまで私としては後の『激しい雨(Hard Rain)』(1976年)でのシリアスかつハードなアレンジが一番好きだったのだが、それ以上にこのワイト島の穏やかなヴァージョンが気に入ってしまった。

4. マギーズ・ファーム(Maggie's Farm

このワイト島でのライヴの中では、かなりハードでワイルドな演奏。ディランは、ダミ声ではないが、エッジの効いた声で歌っている。
短いブレイクを効かせたリフをたたみかけるところが強引な感じでカッコいい。ザ・バンドによるバック・コーラスのバラけた感じが渋い。

5. ワイルド・マウンテン・タイム(Wild Mountain Thyme
6. 悲しきベイブ(It Ain't Me, Babe
7. ラモーナに(To Ramona
8. ミスター・タンブリン・マン(Mr. Tambourine Man

この4曲は、ザ・バンドがステージからおり、ディラン一人の弾き語りで歌われる。
ディランは、それまでのラフでルーズなヴォーカル・スタイルから一転して、丁寧で落ち着いた歌い方になる。オリジナルはどれもダミ声で歌っていた曲を、ここでは滑らかな声で歌うのだが、それほど違和感はない。

「ワイルド・マウンテン・タイム」は、デヴュー前の古いレパートリーとのこと。「悲しきベイブ」は、原曲のメロディーをかなり崩していたり、「ラモーナに」は、原曲どおりのメロディーだったり、「ミスター・タンブリン・マン」は、途中を省いた短縮版だったり…。
しかし、どれも浮ついたところのない淡々とした歌い方だ。しみじみと聴かせるが、どれも3分前後と短いので、トン、トン、トンッと終わってしまう感じ。

9. 聖オーガスティンを夢で見た(I Dreamed I Saw St. Augustine

ここから再びザ・バンドが加わってのステージとなる、
『ジョン・ウェズリー・ハーディング』収録のあっさりとしたオリジナル版にも、それなりにせつせつとした良さはあった。しかしザ・バンドの個性を強く感じさせるここでの演奏は、オリジナルよりもずっと良い。
ディランのヴォーカルは、前曲までのアコースティック・セットから連続して丁寧な歌い方のままだ。その歌が、ゴスペル・タッチの演奏に乗ってひたひたと胸に迫ってくる。

10. レイ・レディ・レイ(Lay Lady Lay

『ナッシュヴィル・スカイライン』収録曲で、そのオリジナルのアレンジに近い演奏だ。このアレンジで聴くこの曲は、本当につまらない。
しかしこの曲については、74年の『偉大なる復活(Before the Flood)』での途中でむやみに声を張り上げるロック・アレンジや
76年の『激しい雨(Hard Rain)』でのブレイクとハードなコーラスを強調したアレンジにしても、どれもこれもみんなちぐはぐな感じがする。そんなふうに手を変え品を変えていじくるほど、たいそうな内容の曲とは思えないのだが…。

11. 追憶のハイウェイ61Highway 61 Revisited

オリジナルの狂騒的な演奏とは打って変わって、ここでは重心を落としたヘヴィーなロックンロールになっている。ヴォーカルは再びエッジの効いた声でシャウトしている。
この曲は『偉大なる復活』でも演奏されているが、あのアルバムではヴォーカルが力んでいて、全体に硬直化したもたもたした演奏だった。それよりも、このワイト島の方がずっといい。弾んだ演奏とヴォーカルが一体となって疾走感がある。

12. いつもの朝に(One Too Many Mornings

いかにもザ・バンドっぽい曲調にアレンジされている。が、出来は、可もなく不可もないといった感じの演奏。
やはりこの曲は、『激しい雨』(76年)で聴ける、ローリング・サンダー・レヴューでのヴァージョンが最高だ。このときの神経の張りつめた演奏は、まさに名演だと思う。それに比べると…。

13. あわれな移民(I Pity The Poor Immigrant

オリジナル収録の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』で聴いたときも、いい曲だとは思った。が、そこでのバックの演奏がシンプル過ぎてあまりに味も素っ気もなかった。それに対し、ここでは、ゆったりとしたザ・バンドの演奏が素晴らしい。陰りがありながら、滋味にあふれていて豊かなふくらみを感じさせる。
とくにガース・ハドソンのアコーディオンは、癒し感に満ちている。

14. ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone

この演奏は『セルフ・ポートレイト』に収録されたときから酷評されてきたらしい。が、私はなかなかよい演奏だと思う。
ディランのエッジの効いた声質で歌うヴォーカルは、くねくねとうねるがシニカルで投げつけるような感じはない。このヴォーカルの歌いまわしと、ザ・バンドのラフな演奏が良くマッチしている。厚みのあるグルーヴ感が心地よい。

15. アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト(I'll Be Your Baby Tonight

しかし、何も「ライク・ア・ローリング・ストーン」の後に、こんな能天気でユルい曲を持ってこなくても…。
『ジョン・ウェズリー・ハーディング』でオリジナルを聴いたときからそう思っていたが、シンプルでポップなだけの魅力のない曲だ。

16. マイティー・クイン((Quinn The Eskimo) The Mighty Quinn

マンフレッド・マンがカヴァーしてビッグ・ヒットした曲と紹介して始まる。マンフレッド・マンのヴァージョンは整ったポップ・アレンジだが、本家ディランの演奏は。当然(?)、ポップとは無縁のラフでゴツゴツしたものだ。
ディランのヴォーカルは、ここでもくねくねとうねっていて、勢いにまかせて引っ張りまわしているように聴こえる。これに重なるザ・バンドの面々によるバック・コーラスも、またかなりバラけている。だがまさにそんなところが生気に満ちた印象を与えるのだ。
ロビー・ロバートソンのギター・ソロも短いが渋い。
このライヴでは最高に好きな曲だ

17. ミンストレル・ボーイ(Minstrel Boy

ここからはアンコール。
イントロの印象的なアカペラのコーラスからザ・バンドっぽい。ベースメント・テープス・セッション時の曲との事だが、たしかにルーツ・ミュージック的な響きのある曲だ。

18. 雨の日の女(Rainy Day Women #12 & 35

『偉大なる復活』で聴ける74年全米ツアーでのこの曲のブギー・アレンジは、このワイト島でのアレンジにつながるものだったことがわかる。
『ブロンド・オン・ブロンド』収録のオリジナルでは、マーチング・バンド・アレンジで、この曲のサイケで、アナーキーな雰囲気をうまく表現していた。しかし、ワイト島でのブギー・アレンジというのも、この曲のサイケな雰囲気を表現するという点では、なかなか秀逸なアイデアだと思う。ディランのポップ声も、この曲ではねじれて聴こえてしまうのがいい。
ロバートソンのギターが、この曲でもやっぱりよい。

こうしてディランとザ・バンドのステージは、前曲「ミンストレル・ボーイ」でしんみりとした雰囲気を醸した後、「祭りの終わり」感がいっぱいのこの曲でにぎやかに幕を閉じたのだった。

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2014年1月15日水曜日

追悼 大瀧詠一


昨年(2013年)の末に大瀧詠一が亡くなった。
死因は、最初リンゴをのどに詰まらせたためと報じられた。
それを聞いた私は、不謹慎な話だが、いかにも大瀧詠一らしいなと思ってしまった。もちでもなく、こんにゃくゼリーでもなく、リンゴをのどに詰まらせるなんて…。
そして彼の最初のソロ・アルバムに収められている曲「それはぼくぢゃないよ」の一節を思い出した。

うす紫に湯気がゆれるコーヒーポットに
つぶやき声が かすかに かすかに
きみの髪がゆっくりと 翻ったら
僕は林檎のにおいでいっぱいさ

(「それはぼくぢゃないよ」詞:松本隆 曲:大瀧詠一) 

この曲「それはぼくぢゃないよ」は、はっぴいえんどのファ-スト・アルバム通称『ゆでめん』の中の「朝」の続編みたいな曲だ。陽だまりのようにピュアな幸福感に満ちている。「救済」をも感じさせるこの曲の中で、「林檎」はその幸福感を象徴するイメージとして使われている。他ならぬそのリンゴによって天に登っていったとは、なんて大瀧らしいんだろう。
その後病院で確認されて、本当の死因はリンゴではなくて解離性動脈瘤であることがわかった。訃報が訂正されたのは、翌日のことだった。

大瀧詠一は、今となっては私にはずいぶんと遠い存在になっていた。近年の彼があまり目立った活動をしていなかったからというわけではない。そうではなくて、私にとっての大瀧詠一、私の好きな大瀧詠一は、もう40年近くも昔のはっぴいえんど時代の彼だったからだ。あの頃の大瀧は、まだロックの人だった。熱くてトンガッていた。
当時の彼の曲と、そしてクセのあるヴォーカルは、ウエットでシリアスだった。社会に対して斜めに視線を向けていて、しかも細野晴臣のように生硬になり過ぎることなく、しなやかさを失わなかった。

はっぴいえんど時代の大瀧の曲の数々、たとえば「春よ来い」、「かくれんぼ」、「いらいら」、そして「はいからはくち」等々。どの曲もあの頃のわれわれが抱えていた、形にならないもやもやとした気分(それは社会に対する反発や閉塞感や不安などから生じたものだった)を見事に代弁し、発散してくれていた。ロックとはそういうものであり、だからこそロック少年たちは熱い思いを寄せていたのだった。

しかし、ソロになった大瀧詠一は、ポップスの人になってしまった。社会に背を向けて、アメリカン・ポップスという趣味の世界、彼の曲のタイトルをそのまま借りれば「趣味趣味音楽」(『ゴー!ゴー!ナイアガラ』)の世界に閉じこもってしまったのである。
オールド・アメリカン・ポップスを下敷きにした大瀧の趣味趣味音楽の世界は、どうにも能天気で、あまりにも現実離れしていた。何しろ社会に対して怒りのこぶしを振り上げたパンクの嵐が吹き荒れ始めていた時代である。大瀧の音楽は、私にはまったく感情移入不能で、自分には縁のないものに見えたのだ。
こうして大瀧詠一は、私にとってどんどん遠い世界の人になっていったのだった。

しかし、その後1981年のアルバム『ロング・バケイション』で、私は再び大瀧詠一に出会うことになる。世間的にも大ヒットを記録し、それまでほとんど無名だった大瀧詠一の存在を大きく世に知らしめることになったアルバムだ。
私的には、このアルバムの曲のどこまでも乾いた感じにひかれたのだった。演歌からフォーク、ニュー・ミュージックへと形は変わっても、じめじめとしたウエットな感覚はちっとも変わらない日本のポップス。そんな中で『ロング・バケイション』の世界は、カラッと乾いていて何とも日本離れしていた(ただしラストの「さらばシペリア鉄道」だけは例外だが)。そこに、日本のポップスへの批評性をも感じたのだった。

 それがきっかけで、あらためてそこまでの大瀧のソロ・アルバムもさかのぼって買った。結局あんまり聴かなかったのだが…。
今回あらためてCD棚から私の持っている大瀧詠一のアルバムを引っ張り出してきた。出てきたのは次の5枚。自分でもすっかり忘れていた。

『大焼詠一』(1972年)
『ナイアガラ・ムーン』(1975年)
『ゴー!ゴー!ナイアガラ』(1976年)
『ナイアガラ・カレンダー』(1977年)
『ロング・バケイション』(1981年)

彼の主宰したナイアガラ・レーベルからは、大瀧が関係したたくさんのアルバムが出ている。しかし、『ナイアガラ・トライアングル』とか、『CMスペシャル』とか、『多羅尾伴内楽團』のような変則的なシリーズ企画物をのぞくと、大瀧詠一のソロ・アルバムと言えるのは上の5枚だけだ。
この他、大瀧詠一名義のアルバムとしては『デヴュー』というのもあるが、これはベスト盤。また『ロン・バケ』の後には『イーチ・タイム』というのが出ているが、私は持っていない。
ちなみに大瀧が亡くなって、このところこれらのアルバムがかなり売れているとのことだ。

大瀧詠一の追悼ということで、手元にあったこれらのソロ・アルバムを久しぶりに聴いた。以前聴いたときとはだいぶ印象が違ったし、いろいろな感慨もわいてきた。これらのアルバムの詳しいレヴューは、あちこちで語られるだろうから、ここでは私の印象を簡単にメモ的に記しておくことにする。

□ 『大瀧詠一』1972年)

はっぴいえんど時代に出た大瀧のファースト・ソロ。アメリカン・ポップのテイストがきつ過ぎて、私は気にいらなかった。アメリカン・ポップスは商業主義音楽だと思っていたし、私には感情移入し難いものだった。
しかし、今聴くと、この後の大瀧趣味全開のソロ・アルバム群に比べれば、むしろかなりはっぴいえんど色を強く感じるアルバムだ。そして何より曲も良いし、ところどころ何とも言えない哀愁があってなかなかの名盤だと思った。
もし、はっぴいえんどが解散しないで存続し続けていたとしたら、ラスト・アルバムのHAPPY END』みたいなヘンな方向ではなくて、この大瀧のソロ・アルバムの方で聴ける音楽性へと展開していく可能性もあったのではなかろうか。

□ 『ナイアガラ・ムーン』(1975年)
□ 『ゴー!ゴー!ナイアガラ』(1976年)
□ 『ナイアガラ・カレンダー』(1977年)

エレック/コロムビア期ナイアガラ時代の3枚。このうちとりわけ『…ムーン』と『…カレンダー』は名盤だと思う。『…カレンダー』については、大瀧自身も96年の時点で、自分の最高傑作と述べていた。
この時期、一説によるとナイアガラ・レーベルは、コロムビアと年間3枚のアルバムを制作するというハードな契約を交わしていたらしい。そのためもあってか、これらの3枚には、『ロング・バケイション』のように、じっくり作り込んだ感じはない。
しかし、逆に怒涛のような勢いと、思い切りの良さがあって、そこが何とも言えない魅力になっている。

またアメリカン・ポップスを中心にしつつも、ニューオーリンズ・サウンドなど、さまざまなワールド・ミュージック的リズム・アプローチが過激に試みられており、大瀧のミュージシャンとしての胃袋の大きさを感じさせる。
その辺の感じは、意外にも、大瀧とはまったくテイストが違うと思っていた細野晴臣のソロ世界とかなり通じているような印象だ。細野は同じ趣味世界でも、ノスタルジックでオリエンタル、大瀧とは全然方向が違うと思っていたのだが。
いずれにせよ、自分の趣味に閉じこもっているように私には見えた大瀧の音楽は、広く世界に向って開かれていたということになる。

そしてちょっと驚いたのは、70年代のこの3枚のアルバムの中で、81年の『ロング・バケイション』の世界はすでに十分に提示されていたということだ。
この時点では、ほんのひとにぎりの人にしか認められなかった大瀧詠一の音楽の世界(だからこそこの後2年間の沈黙があり、ソニーへの移籍があったわけだろう)。それが、80年代になって『ロング・バケイション』で、いきなり圧倒的なポピュラリティを得ることになったわけだ。
どうしてそんな事が起きたのだろう。
もしかしたら、大瀧のマニアックな音楽のあり方に、時代がやっと追いついたということなのだろうか。たしかに時代はどんどん趣味の方へ、マニアの方へと向ってきた。大瀧のマニアックな姿勢は、ある意味で時代を先取りしていたと見えなくもない。

□ 『ロング・バケイション』(1981年)

この乾ききったドライな空気感が、じつに気持ちよい(「シベリア鉄道」を除く)。
曲や演奏が練り込まれているのはもちろんとしても、それまでのエレック/コロムビア期のアルバムで展開してきた自分の音楽の世界を、パッケージ化して、誰にもわかりやすく提示したのが大ヒットの要因のひとつかもしれない。ジャケットのイラストの変化が、まさにそれを象徴している。
これは言い方を変えれば、自分の音楽的な個性を、ひとつの「芸」として確立したとも言える。この点は、80年代に入ってからのユーミンのブレイクの仕方と同じだ。

リンゴとともに逝った大瀧詠一。最後にもう一度、彼の曲「それはぼくぢゃないよ」の一節を引いて、御冥福を祈りたい。


茜色の朝焼け雲 ひとつ千切れて
ほころんだ空に 夢が紡がれる
(中略)
まぶしい光のなかから のぞきこんでいるのは
それはぼくじゃないよ それはただの風さ

(「それはぼくぢゃないよ」) 


2014年1月9日木曜日

続々・炒めスパ日記 鍋汁あんかけスパゲッティの巻


■■ ○月○日 キムチあんかけスパゲッティを作る

昨夜はキムチ鍋を食べた。鍋の汁と具材がけっこう残った。
翌朝、残り汁の一部を小鍋にとり、そこにご飯と玉子を入れて雑炊を作って食べた。鍋の翌日の朝ごはんは、いつもこんな雑炊だ。
しかし、それでもまだ汁が残っている。
そこでこれにとろみをつけてあんにし、炒めスパゲッティにかけてみることにする。キムチあんかけスパゲッティというわけだ。

例によってためしにネットで、キムチ味のパスタのレシピを調べてみた。そうしたら、やっぱりいっぱい紹介されていて、またまたびっくりする。いろんなこと考える人がいるもんだなあ。

きのうのキムチ鍋の具材は、ニラ、バラ肉、白菜、しめじ等々。それぞれ汁の中にけっこう残っている。追加の必要は取りあえずなさそうだ。
鍋汁自体は、煮詰まってけっこう味が濃くなっている。スパゲッティにからめるあんは、少し味が濃いめの必要があるので、これでちょうどよいと思われる。
そこで、これを火にかけ、水溶き片栗粉でとろみをつける。簡単だ。とろみは、麺によくからむようにやや濃いめ。
スパゲッティは、いつものように茹でてから炒める。今回は炒め合わせる具材はなし。味は塩とコショウ少々。炒めた麺をお皿に盛り、その上にキムチあんをドローリとかけて出来上がり。いかにも旨そうなものができた。

では、いただきます。
あんも麺もアツアツだ。ふうふうしながら食べる。
美味しい。思っていた以上に美味しい。
鍋の汁は、エバラのキムチ鍋の素を使っている。鍋のときはあまり意識しなかったが、こうして食べてみると、辛いだけでなくかなり甘いことがわかる。この甘さが、あんの旨さにつながっている。
また作ってみようっと。


■■ ○月◎日 和風トマトあんかけスパゲッティを作る

昨夜はトマト鍋を食べた。ベースの汁は、前々日に作ったおでんの残り汁とカット・トマトの缶詰を合体させ、麺つゆなどで味をととのえたもの。とっても美味しくできた。
で、その鍋の汁がけっこう残った。
翌朝、その一部でトマトのリゾットを作って朝ごはんにした。
それでも、まだ汁が残っている。そこで、またこれにとろみをつけて炒めスパゲッティにかけて食べることにする。和風トマトあんかけスパゲッティというわけだ。

キムチのときと違って、今回は具材があまり残っていなかったので、ブロッコリー、魚肉ソーセージなどを新たに具材として加えてみた。
汁の量もやや少なめだ。そこで、水を足し、追加の味を麺つゆとケチャップでととのえた。我ながらいい思いつきと自画自賛。
火にかけて、水溶き片栗粉でとろみを強めにつける。これを、いつものように茹でて炒めたスパゲッティにかけて完成。

トマト味のあんといえば、本家は名古屋名物のあんかけスパゲッティだ。あちらは、あんの濃度がやや弱く、麺にかけたあんが、そのまま皿一面に広がって、トマトの海の中に麺の島があるような見た目になる。私のものは、あんの濃度が強いので、ミート・ソースのように麺の上にあんが留まっている。そのくらいのほうが、麺に良く絡んで具合がいいと思う。

では、いただきます。
美味しい。今回も大成功。
それにしてもトマトに、和風だしとしょう油味は意外によく合う。トマト鍋を発明した人はエラいと思う。


■■ ○月△日 寄せ鍋あんかけスパゲッティを作る

昨夜は、寄せ鍋を食べた。市販のしょう油味の寄せ鍋のつゆで汁を作り、あり合せの材料を入れた。鮭、大根、長ネギ、シメジ、ニラ、豆腐、油あげ、はんぺんなど。ちゃんこ鍋と呼んだ方がいいのかな。

で、汁が残った。具材はあまり入っていない。いつものようにこれで翌朝の雑炊は作らずに、取っておいた。今回は、最初から、これであんかけスパゲッティを作ろうと思ったのだ。

具材として、きのう使わなかったニラと、長ネギを追加した。長ネギは、刻んだものをかなり大量に入れた。
しょう油味の汁に、砂糖を加えようかとも思ったが、それだとただの甘辛あんになってしまう。それでは鍋の汁を使った意味がない。そこで、味はあえてそのまま何も加えないことにする。

鍋を火にかけて、水溶き片栗粉でとろみをつけ、茹でてから炒めたスパゲッティにかける。刻みネギの比率がかなり多いので、ネギあんかけという感じ。B級グルメ感満載だ。

いただきます。見た目より美味しい。ネギがいい。
しかし、それでも食べていると、だんだん飽きてくる。しょう油味のあんに、めりはりがないせいだ。やはり、甘辛にしたり、甘酢あんにしたり、あるいは油を多目に使うなどして、味にふくらみを出さないと物足りなくなってしまうのかもしれない。
もうちょっと検討が必要だな。