2012年10月30日火曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」 馬肥ゆる…編

10月の末の一日、用件があって水戸に出かけた。用向きは午前中に片付いたので、当然のことながら「坊主」さんへ。前回から2週間ぶり。今月はこれで2回目の訪問。まあまあのペースかな。

平日の午前11時45分に入店。昼時が近いので混んでいるかもしれないから、1時過ぎに寄ろうかとも思った。しかしまあ12時前だし何とか大丈夫だろうと踏んでのれんをくぐる。すると、なんと先客はなし(後客は6人)。
今日は何も考えずに定番の「特製らーめん」にする。ただし、トッピングに久しぶりの「ネギ」のボタンを押す。そして「白めし」と「ビール」と。

カウンターの一番奥のいつもの「指定席」に座る。いつものように麺とめしは普通盛りでお願いする。
すぐにスーパードライの中瓶とコップが出てくる。御主人はすぐに私のラーメンを作り始める。ビールをコップに注いでグビリグビリと飲む。何しろのんびり飲んでいるとすぐラーメンがでてきてしまうので…。私はラーメンを食べながらビールを飲むというのがいやなのだ。ぽかぽかと暖かい日差しの中を歩いてきたのでビールがうまい。

相変わらずの清潔な店内。厨房の金属の壁はピカピカだ。
まもなく先にまず「ネギ」登場。刻みネギが、ご飯を盛るのと同じ器に別盛りでたっぷりと入って出てくる。これで100円。
このお店のトッピングのメニューは生卵(50円)を除いてすべて100円だ。この100円メニューの中で、いちばんお得なのはなんと言っても「白めし」だが、その次がこの「ネギ」だろう。もういやというほど「ネギ」を満喫できる。
ただし、この「ネギ」はラーメン系のメニューのときのみお勧めだ。つけ麺系のときは、つけ汁の量がラーメンのスープの分量より少ない上に、もともと冷めやすいから、これだけのネギを入れるとうんと冷めて美味しさを損なってしまうのだ。

程なく「特製らーめん」と「白めし」登場。
今日もカウンター上のツボから唐辛子を少しすくってラーメンに振りかけて辛さを増量。
 例によって具材のもやしと豚肉の山がどんぶりの上で壮観だ。その上にちゃんと刻みネギものっている。とりあえずその周囲のわずかにのぞく水面からあぶらの浮かぶスープをレンゲですくって飲む。
もちろん辛いけど、甘さと旨さとコクがちょうどよいバランス。前回訪問のときと同じだ。ずっと以前はもうちょっと甘さが強かったような…。ついでに塩気がちょっと弱めなのも前回と同じ感じ。
例によって立て続けに何回もレンゲですくってスープを味わう。その合間にご飯を二口、三口。これが一段落してからおもむろに具材の山を崩してどんぶり上に広げる。どんぶりの表面にスープが見えなくなる。
さて別盛りのネギをどうするか。以前はここでネギの全量をどんぶりの全面に投入して、スープに沈めるように混ぜるのが常だった。ネギのエキスが熱いスープに溶けだして美味しくなるような気がしたからだ。しかし、今日は逆にできるだけ少しずつ加えていくことにする。

ここの麺はかなり絡み合っている。これをどんぶりの上に高々と引っ張り出したりして(たいてい汁がはねる)、一生懸命ほぐしつつ食べる。ここの中太のストレート麺は、もちもちとした歯応えとコシがあって天下一品だ。
麺をひとすくいして食べると、すくったあとのどんぶり上に少しだけスープの水面が出てくる。そのあいた穴に、ネギを箸でひとつまみしては入れる。そんなふうにして食べ続けた。
ネギの強い香りとしゃりしゃり感が何とも言えないうまさ。この食感はかなり強力で、いつもの「特製らーめん」が全然別のメニューと化す。そういえば、「ネギ・ラーメン」なんていうメニューを掲げている店もけっこうある。

いつものようにだんだん無我の境地になって食べ続けている。いつも以上に鼻水が出てきて忙しくティッシュで鼻をかみ続ける。さらに今日は、顔面からけっこうな量の汗も噴き出す。ここで食べながらこんなに汗をかくのは久しぶり。いつもよりとくに辛いわけではない。もしかするとこれはネギの薬効なのだろうか。

全体の四分の三ほど食べ終える。先ほどのやり方どおり麺を食べてはそのつどネギを加えてきたが、まだ別盛りの器にかなりのネギが残っている。そこで、ここで方針を変更して残りのネギの全量をどんぶりに投入。ネギの方が麺よりも多いくらいのネギ・ラーメンの出現だ。これがまた美味しい。
これで弾みがついて残りを食べ続け、ご飯と同時にスープまで完食。いつになく満腹だ。
じつは最初、麺かご飯のどちらかを大盛にしようかという気持もなくはなかったのだが、そうしなくてよかった。

というわけで今日も身も心も満足。ごちそうさまでした。汗を拭きつつ昼時で混み始めた店内を後にした。
口の中のネギ臭は当分取れそうもない。まあしょうがないか。

2012年10月25日木曜日

公園日記 「ひたち海浜公園」

このところ公園をよく歩いている。隠居の身なので、たいていは平日に出かけて行く。地方の平日の昼間だから、ぶらぶら歩いているような暇な人はあんまりいない。ちらほら見かけるのは、お年寄りか中年の御婦人方ばかり。
そんな閑散とした場所を一人で歩いていると、やっぱりちょっと寂しい気持になる。しかし、そんなささやかな孤独を抱えながら、緑の中を歩いていくのもなかなかいいものだ。自分は本当に自由だということを実感する。

べつに植物や花に特別の興味があるわけではない。だから木や花の名前には、あまり詳しくない。虫が好きなわけでもないし、鳥に興味があるわけでもない。
歩いているときの楽しみと言えば、いい景色を眺めること。どちらかというと、広い空間や小高いところから眺める風景が好きだ。また、深い林の中にわけ行っていくときのちょっとどきどきするような怖い感じもそれはそれで悪くない。
こんな「散歩者」である私の目から見た公園の紹介を、これからしてみたい。

10月半ばのある日、ひたち海浜公園を散策してきた。目的の一つは、園内のコキアの紅葉を見ること。
園内の「みはらしの丘」という小高い丘を一面におおうコキアが、真っ赤に色づいている風景は、この公園の秋の最大の見所となっている。
一度、この時期に訪れて、この風景を見てみたいと思っていた。テレビのローカル・ニュースで、ちょうど今が見頃と紹介していたので、さっそく出かけてみたわけだった。

ひたち海浜公園は国営の公園で、茨城県ひたちなか市にある海に面した広大な公園だ。戦前は日本陸軍の水戸東飛行場があり、戦後は米軍の射爆撃場として使用されていた場所の跡地に作られた。私が若い頃は、延々と続く有刺鉄線に囲まれた得体の知れないエリアと思っていた。
それが今は見違えるような風景になっている。ウィキペディアによると公園の総面積は350haで、東京ディズニーランドの5倍の広さ。このうち現時点で実際に公園として利用されているのはまだ全体の555%とのこと。[
それでもとにかく十分に広い。私にとってのこの公園の魅力は、やはりこの広大さだ。

勝田駅からバスに乗った。いつもならがらがらのこのバスが、すでに混んでいた。お年寄りに加えて、中国人のグループなんかもいる。みんなコキアを見に行くらしい。
約20分(390円)で、公園の西口に到着。バスはこのあと終点の南口まで行くのだが、全員ここで下車する。
西口周辺もいつになく混んでいる。なるほどコキア人気は思ったよりもすごいようだ。

入り口から入った人たちは、三々五々、コキアのある「みはらしの丘」に向って歩いていく。やはり、広いのでさすがに行列にはならない。
木々の間から赤い「みはらしの丘」が見えてくると、歩いている人々が小さな歓声をあげている。15分くらいで「みはらしの丘」のふもとに到着。

「みはらしの丘」は、園内の海に面したところに人工的に作られた小山だ。この頂上がひたちなか市で一番高い場所だという。この丘を春は青いネモフィラが、秋は赤いコキアが一面をおおい、その風景がこの公園の呼び物になっている。
秋のコキアは、ホウキグサともいう背の低い植物で、箒のような細かいが特徴的。茎を乾燥して実際に箒として利用される。そして秋になると葉はもちろん茎まで真っ赤に紅葉する。

さて、コキアはもう紅葉の時期になっているのだろうけど、去年の写真などで見るより赤さが今ひとつ薄かった。たぶん今年の夏の暑さのせいなのじゃないだろうか。
赤い丘の頂上につづくジグザクの道に人の行列が続く。その様子が、そのまま絵になる風景になっているところが面白い。めったにしないのだが思わずケータイで写真を撮ってしまった。

さて時刻は12時過ぎ。何か食べたいなと思っていたら、丘のふもとに簡単なフード・コートができていた。たぶんこの時期限定なのだろうけど、プレハブ造りながらいくつかのお店が「長屋」のように入っている。
焼きハムのお店に長い行列ができていた。長い串に厚く切ったハムをいくつも刺して、煙を上げながら焼いている。いかにも美味しそうだったが、行列に並ぶのがいやなのであきらめる。
結局、「長屋」の一番左はじのカレーのお店で、「カレー屋の焼そば」と「ナン・ドーナツ」というのを買う。合計500円。
焼そばは、ふつうのソース味ではなくエスニック味。量もたっぷりだし、イカ、エビや野菜もいろいろ入っていて大当たりだった。ドーナツは、ナンの生地を丸くまとめて揚げたゲンコツ状のドーナツで、これもなかなか美味しかった。

お腹か満たされるとまた歩き始める。じつはここからが、今日の本当の目的。「みはらしの丘」の北側に広がる森の中を歩く予定なのだ。
丘の海側を回り込むように北へ歩いていく。丘のふもとはあんなににぎわっていたというのに、こちらへ来るといきなり人影がなくなる。
「みはらしの丘」の頂上に登ると丘の北側に森が広がっているのが見える。そこには何の建物もない。前からあの中を歩いてみたいと思っていたのだ。園内マップで見ると、その一帯は「樹林エリア」と名付けられていて道も通じているようだ。

森の中の道は園内の他のエリアの道と同じくけっこう幅が広くてちゃんと舗装されている。自然の中に、ちょっと場違いな感じだ。ここもいずれシーサイド・トレインが走る予定なのだろうか。
このあたりは公園が出来る以前の植生をそのまま残してあるようだ。ひとっこ一人いない森の中の道を歩いていく。これが楽しいのだ。

しばらく歩いていくと道端に簡易トイレがあり、その左右に森の中に入っていく入り口があった。「散策路」の看板がある。
深い森の中に入っていっても大丈夫かな、とちょっと心配になる。多少ためらいながらも踏み入っていく。木々の間を小道が通っている、両側に低く紐が張ってあって、ちゃんと道が示してあるので安心だ。もし、この紐の外に出たら方向もわからなくなって、もう森の外に出られなくなるだろうな、などと想像する。
小道は大きな円のコースになっていて、けっこうな距離を歩いてもとの場所に戻った。面白い散策だった。森の空気を満喫した感じ。

再び、舗装された道を歩いていくと、西口わきの駐車場に出る。少し柵に沿って歩くとまた森の中に続く道。
ここを入っていくと、池を中心とした「ひたちなか自然の森」というエリアになっている。ここも人の気配はまったくなくて、深閑としている。池のほとりには、うち捨てられたように木製のデッキや橋があってなかなか風情のある空間だ。

ここからはすぐ西口前の池のステージがある広場に出る。約1時間の森の中の楽しい散歩だった。
池のわきのレイクサイド・カフェで、生ビールとたこ焼きを買って池を見ながら休憩する。たこ焼きはたぶん冷凍物だと思うけれど、外側がパリッとしてものすごく美味しい。今日は、ジャンク・フード三昧のおいしい散歩でもあった。

2012年10月22日月曜日

レッド・ツェッペリンのアルバム5選(後編)

前編では私のレッド・ツェッペリンのアルバム5選を発表した。そしてツェッペリンの10枚のアルバムのうち、このベスト5に入らなかった残りのアルバムについて、その落選理由を述べた。
この後編では、ベスト5に選んだアルバムについて、私なりにコメントしてみたい。

 一応、私の選んだベスト5を再度ここに紹介しておこう。

<レッド・ツェッペリンのアルバム極私的5選>

第1位 『レッド・ツェッペリン ILED ZEPPELIN)』
第2位 『レッド・ツェッペリン III (LED ZEPPELIN III)
第3位 『聖なる館 (Houses of the Holy)
第4位 『レッド・ツェッペリン II (LED ZEPPELIN II)
第5位 『永遠の詩(The Song Remains the Same)』
次 点 『プレゼンス (Presence)

<ベスト5アルバムについてのコメント>

第1位 『レッド・ツェッペリン I (LED ZEPPELIN)

歪んだギターの音色とカッコよくて印象的なリフ。そして悪夢の中で聴こえるような濃密で熱っぽいヴォーカル。さらに、グルーヴ感のない重く人工的なビート。初期ツェッペリンの魅力のすべてがここに詰まっている。
思えばハード・ロックの歴史は、クリームでもなくジミ・ヘンでもなく、まさにここから始まったのだった。もうちょっと細かく見れば、この前年のジェフ・ベック・グループの『トゥルース』と、ツェッペリンのこのアルバムの間あたりに、ハードなブルースとハード・ロックの境界線があると言える。

ジミー・ペイジはかなりベックの『トゥルース』の音作りを参考にしたと思われるが、両方のアルバムに入っているブルース「ユー・シュック・ミー」を聴けば、ペイジの独創性は明らかだ。
ツェッペリンのこのアルバムは、いろいろ元ネタの曲が指摘されていて、流用とか盗用とかいう批判も多い。しかいジャズと同じで、そのアレンジと演奏は完全に独創的。その自信があるからこそ、元ネタのある曲にも自分たちの名前をクレジットしたのではないか、とさえ想像したくなる。

A面の冒頭は「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ (Good Times Bad Times)」。ユニゾンの分厚いリフ。邪悪に歪むギター・ソロ。いきなり衝撃的なツェッペリン・サウンドで、アルバムの幕が開く。
2曲目は一転してアコースティカルなサウンドの「ゴナ・リーヴ・ユー (Babe I'm Gonna Leave You)」。微熱に浮かされているような熱っぽいヴォーカル。サビがアコースティックながらヘヴィーで、ちゃんとハード・ロックになっている。
続く3曲目がダークでダウナーなツェッペリン流ブルース「ユー・シュック・ミー (You Shook Me)」。濃密で浮遊感のある音空間は、悪夢にうなされているよう。
曲間なしで始まる次の「幻惑されて (Dazed And Confused)」はさらに悪夢の世界に踏み込んでいく感じだ。
 こうしてA面が終わる。曲のヴァラエティが豊かなことにあらためて驚く。

この後B面でもさらに多彩な曲が展開される。
インド風味のサイケなアコースティック・ギター・ソロ「ブラック・マウンテン・サイド (Black Mountain Side)」。
硬直したたてノリビートが炸裂する「コミュニケイション・ブレイクダウン (Communication Breakdown)」。
そして再びひしゃげた暗黒ブルース「君から離れられない (I Can't Quit You Baby)」。そこに再び連続する悪夢「ハウ・メニー・モア・タイムズ (How Many More Times)」。

このバンドのその後の展開を予感させる幅広い音楽性がすでにこのデヴュー・アルバムには意欲的に盛り込まれている。同時にそれらが、重く歪んだサウンドの感触と、人工的な硬直ビートによって統一感を持ってまとめられているところが見事だ。
この感触こそが当時の世界の若者達の、そしてロック少年だった私自身の心を、しっかりと捉えたのだった。

第2位 『レッド・ツェッペリン III (LED ZEPPELIN III)

このアルバムには、ミステリアスで不穏で不安を掻き立てるようなところがある。そして、それこそが聴く者の心を引きつける不思議な魅力になっているのだ。
このアルバムの曲は、ウェールズのコテジ、ブロン・イ・アーに滞在しながら、リラックスした状態で作られたという。しかしながら、穏やかで健全な感じはあんまりしない。

1曲目は「移民の歌 (Immigrant Song)」。デヴィッド・フィンチャーの映画『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)で使用されたことも記憶に新しい。昔、リアル・タイムでこの曲がラジオから流れてきたときは、相当にヘンテコな曲だと思った。今聴いても、ギター・ソロのないリフ一本やりの作りで、やっぱりちょっとヘンな曲だ。
10世紀にアメリカ大陸に渡ったヴァイキングの伝説を歌ったということだが、その異様な野性味が印象的で、ちょっとコワい。
そして続く「フlレンズ(Friends)」。アコースティック・ギターの不安な響きと落ち着かないボンゴの音。そこにTレックスのような不穏なストリングスがからむ。
曲が終わっても怪しいシンセの音が鳴り続け、そのまま次の曲「祭典の日(Celebration Day)」へとつながっていく。せわしないスライド・ギターのリフ。明るいというより狂騒的な感じの曲だ。
この冒頭3曲の不穏な雰囲気が何とも強烈。で、かつ魅力的。この印象は、ラスト曲の「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー (Hats off to Roy Harper)」で、リプライズのようによみがえる。

ところでこれに続く4曲目の「貴方を愛しつづけて (Since I've Been Loving You)」は、ツェッペリン流ブルースの傑作だ。ヴォーカルもギターもニュアンスに富む演奏。中間のペイジのソロは珍しく叙情味にあふれている。またジョン・ポール・ジョーンズのオルガンがいい味を添えている。

発表当時は評判の悪かったアコースティック・サウンドのB面だが、ボーナムの重いドラムスとプラントのハイ・テンションのかん高いヴォーカルがある限り、どう転んでもやっぱりヘヴィーなロックになってしまう。
B面1曲目の「ギャロウズ・ポウル (Gallows Pole)」がその典型。内容はブリチィッシュ・トラッド的だが、ビートが強烈でアコースティックなハード・ロックだ。
ペイジとプラントは二人ともCSNYが好きらしいが、プラントの濃い歌唱では、CSNYのようなさわやかさは出るはずもない。唯一ウエスト・コースト風なのが「ザッツ・ザ・ウェイ (That's The Way)」だ。ドラムスが入ってないせいもある。

ドラムスの入っていないもう一つの曲がラストの「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」。異様にスライドし続けるアコースティック・ギターと過剰にイコライジングされたヴォーカルだけのシュールで、まるで妄想と狂気にとらわれたような曲。先に触れたように、ここでアルバム冒頭の不穏な雰囲気がよみがえる。
こんな後味のすっきりしないラスト曲も珍しい。で、また頭から聴きたくなるのだ。

ところで、1作目、2作目でハード・ロック路線を切り開いた彼らが、この3作目ではソフトなアコースティック・サウンドに振れ、4作目の「天国への階段」で両方の要素が統合された、という言い方がされる。
けれど、これはいかにも紋切り型の見方だ。1作目にも2作目にも印象的なアコースティック・サウンドはあった。また一方、この3作目には全体として十分にハードな感触がある。つまり、このアルバムがハード・ロック路線の例外というわけではけっしてないということだ。

第3位 『聖なる館 (Houses of the Holy)

密室的で陰湿で不健全で、それがこの上ない魅力だったそれまでのツェッペリンだったが、ここで「更正」して、一応、前向きな音作りに転換したアルバムと言えるだろうか。

そんな転換を象徴するのが1曲目の「永遠の詩 (The Song Remains the Same)」だ。とにかく冒頭からいきなりやる気満々、元気一杯だ。肯定的でポジティヴなエネルギーを感じさせる確信に満ちた演奏が展開される。
ギターの音が幾重にも重ねられ絡み合ういくつかのパートが、めまぐるしく入れ替わるプログレ的構成。肯定的であることもあわせて、そのめまぐるしい展開はイエスの曲に近い感じがある。

続く「レイン・ソング (The Rain Song)」は、曲調的に1曲目と対になっているような感じ。ちょうどクラプトンの「レイラ」の前半部と後半部のように。
しっとりとした叙情味にあふれたメロウな曲だ。ジョン・ポール・ジョーンズのピアノとメロトロンが印象的。こんなふうに、ノーマルでストレートな叙情を感じさせる曲は、これまでのツェッペリンにはなかった。以前の彼らなら、もっと閉鎖的で病的な感じがしたはずだ。

「丘のむこうに(Over the Hills and Far Away)」は、ちょっとした口直し。その後、A面最後の「クランジ」からB面の全体(「ノー・クォーター」を除いて)にかけて耳に残るのは、メタリックでソリッドな音色と変拍子、そして凝ったクセのあるリフだ。

「クランジ (The Crunge)」は変拍子のソリッドなファンク。[更正]したわりにはかなり異常。で、やっぱりそこがカッコいい。トーキング・ブルース的なエンディングもグッド。
「ダンシング・デイズ (Dancing Days)」は、何となくノスタルジックな歌の内容に対し、延々と繰り返される重くてメタリックなリフがミスマッチで、そこがヘンに印象的。
「デジャ・メイク・ハー (D'yer Mak'er)」。これはたぶん半分冗談なんだろうけど、50年代のロックン・ロール風なレゲエ、あるいはその逆。いずれにしても、その軽くてアメリカン・ポップな雰囲気が、ドッスン、ドッスンの重たいビートとこれもまたミスマッチ。で、やっぱりヘンに印象に残る。

[クランジ]から「デジャ・メイク・ハー」までの3曲は、何だか調子が外れている。
このアルバムのためのセッションでは、他に「流浪の民」とかタイトル・ソングの「聖なる館」など、もっとちゃんとした曲も録音されている。にもかかわらず、それらをアウト・テイクにして(結局、次作の『フィジカル・グラフィティ』に収録)この3曲をあえて選んだことになる。
 ストレートに前向きな「永遠の詩」や「レイン・ソング」とバランスをとるために、ちょっとお遊びを入れてみたたかったということなのか。

そして、格調高く神秘的な「ノー・クォーター (No Quarter)」がきて、さらに締めが変拍子リフの強力な「オーシャン (The Ocean)」だ。この曲のラスト、締めの締めはいきなりリズムが変わってドゥーワップで終わる。なるほど、これで全体が丸く収まったという感じ。恐れ入りました。

一応おさらい。このアルバムの聴き所は結局、二つ。
アルバム冒頭のメドレーのようにつながる2曲、「永遠の詩」と「レイン・ソング」における肯定的で確信に満ちた演奏がひとつ。
ふたつめが、アルバム全体の随所で光るメタリックなリフ、それと変拍子に特徴的な非黒人的で人工的なノリの冴えだ。
このツェッペリン・サウンドの最大の特徴が、究極の形でここに展開されていると言ってよいのではないか。

第4位 『レッド・ツェッペリン II (LED ZEPPELIN II)

初期のツェッペリンのアルバムの中では、一般的には最も評価の高いアルバム。つまり1作目よりも、3作目よりも良いアルバムとされている。
じつは私が初めて買ったツェッペリンのアルバムがこれだった。ずいぶん何回も聴いたから、それなりに愛着のあるアルバムではあるのだが、結局、私にとってはこのくらいの順位ということになる。

このアルバムのハイライトは、何といってもB面1曲目の「ハートブレイカー(Heartbreaker)」だ。
重低音サウンド、ひねったリフ、歪んだギターの音。初期のツェッペリン・サウンドの魅力を集約したような曲だ。
そして何といってもペイジの必殺の「無伴奏」ソロのカッコよさ。あまりたいしたことをしているようでもないのだが、大見得がぴったりと決まったという感じ。
 
 しかし、他の曲がわりと地味なのだ。
シングル・カットされてツェッペリンの最初のヒット曲となった「胸いっぱいの愛を(Whole Lotta Love)」。ツェッペリンの代表曲のように言われているけど、私はこの曲の中間部のフリー・フォームになるところが気に入らない。約1分半にもわたって、初期ピンク・フロイドのようなサイケ風のパートが展開される。聴いていると、ここでいつも手持ち無沙汰になってしまうのだ。

この曲もそうだが、このアルバムでペイジが重視したのは、「極端な強弱のめりはり」ではないかと思われる。
「強き二人の愛(What Is And What Should Never Be)」、「レモン・ソング(The Lemon Song)」、「ランブル・オン(Ramble on)」、「ブリング・イット・オン・ホーム(Bring It on Home)」など、みんなそういう作りだ。
 その「弱」の部分のせいで」何となく全体としてすっきりとした爽快感がない。もっとも「レモン・ソング」で聴かれるようなジョン・ポール・ジョーンズのベース・ラインの上で、ギターとヴォーカルがねちっこく絡むところなんかは、なかなか素敵なんだけど。

このアルバムの聴き所は、曲単位でどうこうというよりも、アルバム全体でのギターの音の歪み具合と、あちこちでキラリと光るリフの魅力だろう。「モビー・ディック(Moby Dick)」のリフなんか、ツェッペリンの曲の中でも一二を争うカッコよさだと思う。それに続くドラム・ソロは最悪だけど。

第5位 『永遠の詩(The Song Remains the Same)』

私はこのアルバムを、映画のサウンド・トラックとしてではなく、また彼らのライヴの迫力を伝える記録としてでもなく、どちらかと言えばもうひとつのオリジナル・アルバムとして聴いてきた。
ここで聴ける曲の多くが、オリジナルのスタジオ・ヴァージョンよりも優れているような気がする。
たとえば「ロックン・ロール」。オリジナルでは単調でめりはりのなかったこの曲が、ここでは勢いのあるめりはりを効かせた演奏で、こんなに良かったっけ、と思わせるような曲になっている。
その他「ノー・クォーター」なんかも、オリジナルよりずっと魅力的な曲に生まれ変わっている。
さらに、「幻惑されて」や「胸いっぱいの愛を」なんかは、元とは全然別の曲と言った方がいい。
LPの片面全部を使って30分近く続く「幻惑されて」は、映像なしではつらいなんて言われている。しかし私には、このゆるやかなプログレ的展開がけっこう楽しめてしまう。映画だと、この曲のところでペイジの魔法使いの映像がでてくるけど、そんなの別に見たくないよね。

そしてこのいアルバムは、全体としての作りもよく出来ている。曲数は2枚組で9曲と多くはないが、配列もよくてまとまりがある。
後年このアルバムの内容に、未収録曲6曲を追加し、曲順も実際のコンサートにあわせた「最強盤」というのが出た。もちろんこちらの方が当日のコンサートに近いことは間違いない。しかし、長くオリジナルの9曲収録盤に親しんできた耳には、何だか違和感を感じてしまう。それに時間が長過ぎて集中力を持続できない。

それにしてもギター多重録音の曲の数々、たとえば「永遠の詩」なんかを、ライヴだとギター一本で演奏してしまうところが何とも凄い。テクニックはもちろんとして、演奏しきってしまうその勢いがアッパレだ。

というわけで、以上がベスト5アルバムについてのコメント。

ところで、近々2007年のツェッペリン再結成ライヴの映像とCDが発売されるとかで、今、大きな話題になっている。でも私にはまったく興味なし。
何年か前のクリームの再結成ライヴで、がっかりさせられたということもある。結局どんなにがんばってみても、またテクニック的に上達したとしても、脂ののった往年のオーラに満ちた演奏にかなうはずもない。
このベスト5アルバムをはじめとして、昔のアルバムさえあれば、それで私は十分満足なのだ。

2012年10月14日日曜日

レッド・ツェッペリンのアルバム5選(前編)

いよいよレッド・ツェッペリンのアルバム5選をやってみることにした。
何で「いよいよ」なのか。ツェッペリンは私の大好きなバンドだ。このブログを始めてすぐの今年の1月に、さっそく2回ほどこのバンドについての話題を書いた。そのときツェッペリンについてはまだまだ書きたいことがある、と書いたのにそれっきりになってしまっていた。それで今回が「いよいよ」というわけだ。

ツェッペリンのアルバムは、後年の発掘ライヴ(BBCライヴ (BBC Sessions)』と『伝説のライヴ(How the West Was Won)』)を除けば、たった10枚しかない。
これまでにアルバム・ベスト5を選んできたストーンズやディランやクラプトンのように、何十枚もあるアルバムの中から5枚を選ぶというのなら、それなりの意味があるような気もする。しかし、そもそも10枚しかないアルバムから5枚を選ぶことにどれほどの意味があるのか、という疑問はある。
結局これは、私にとっての「おさらい」なのだ。ツェッペリンとは私にとって何だったのかを考えるための「おさらい」。だから、ツェッペリン入門者(そんな人いるのか?)のためのディスク・ガイドにはならないと思うので、あらかじめ御了承を。ツェッペリン入門者は、四の五の言わず10枚のアルバムを端から全部聴くべきだろう。

10枚から5枚を選ぶのはなかなか大変だ。5枚を選ぶというより、選ばない5枚を切り捨てることがつらい。
もっともこのバンドの場合、10枚の内の発表順で最後の2枚は、即、捨てても問題はないだろう。10作目のラスト・アルバム『最終楽章 (コーダ)』は、旧録のアウト・テイク集だし、9作目の『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は誰もが認める(?)駄作だから。
で、残りが8枚。この8枚からどの3枚を捨てるか。
結果を先に言うと、私のベスト5アルバムは次のとおりになった。

<レッド・ツェッペリンのアルバム極私的5選>

第1位 『レッド・ツェッペリン ILED ZEPPELIN)』
第2位 『レッド・ツェッペリン III (LED ZEPPELIN III)
第3位 『聖なる館 (Houses of the Holy)
第4位 『レッド・ツェッペリン II (LED ZEPPELIN II)
第5位 『永遠の詩(The Song Remains the Same)』
次 点 『プレゼンス (Presence)

変わりばえしないように見えるかもしれない。あるいは「なんじゃこれは」、と驚かれる方も絶対いるだろう。
第5位のライヴ盤『永遠の詩』は、5作目の聖なる館』発表後のツアーのライヴだから、強いて言えば5作目の関連作品。
つまり、私のベスト5枚は、1作目、2作目、3作目ときて4作目をとばし、次の5作目とその間連作を選んだということになる。
4作目の『レッド・ツェッペリン IV』をなぜとばしたのか。そして6作目以降の『フィジカル・グラフィティ』と『プレゼンス』はなぜ入らなかったのか。
選からもれたこの3枚は、ファンなら承知のとおり、3枚ともツェッペリンの最高傑作の座を争っているアルバムである。それを全部はずすとは、何たるへそ曲がりなランキングなのだろうか。
以下落選の理由を説明してみよう。

<ベスト5落選の理由>

『レッド・ツェッペリン IV (LED ZEPPELIN IV)

一般的にはツェッペリンの最高傑作と言われているアルバム。
たしかに「ブラック・ドック(Black Dog)」と「天国への階段Stairway To Heaven」」は文句なしの名曲だ。
しかしこのアルバムの残りの曲の大半は、ひねりが効いていなくて聴き所のない平板で単調な曲ばかり。
まずボーナムのどたばたドラムのせいで、テンポは速いがスピード感のない「ロックン・ロール(Rock And Roll)」がそうだ。そして「ミスティ・マウンテン・ホップ(Misty Mountain Hop)」も、「フォア・スティックス(Four Sticks)」も、「レヴィー・ブライクス(When The Levee Breaks)」なんかもみな平板。
これでは代表作というにはちょっと苦しいのでは。

『フィジカル・グラフィティ(Physical Graffiti)

このアルバムもしばしば代表作と呼ばれる。
新録8曲に、旧録のアウト・テイクを7曲加えた2枚組。いい曲もあるけどそうでない曲も多い。
LP1枚目のA面冒頭が「カスタード・パイ (Custard Pie)」。続く2曲目が「流浪の民 (The Rover)」。どちらも名曲だ。お、これはいいぞ、と最初に聴き始めたとき思った。しかし、その次がドタバタの「死にかけて (In My Time of Dying)」。ロバート・プラントはこの曲をひどく気に入っているらしいけれど、重苦しくてやたらと長い。

新録の曲だけで新譜にしなかった理由は何となくわかる。シングル・アルバムに収まりきらなかったというが、理由はそれだけではないだろう。
新録の曲は、「死にかけて」もそうだけど概して重ったるくてスピード感がなくて、しかも長大な曲が多いのだ。これだけでは、重苦しすぎる。
「カシミール(Kashmir)」がそうだし、「イン・ザ・ライト (In the Light)」、「テン・イヤーズ・ゴーン (Ten Years Gone)」、「シック・アゲイン (Sick Again)」なんかもそう。もっとも「トランプルド・アンダー・フット (Trampled Underfoot)」みたいに、軽いけど安っぽい曲もあるにはあるが。

これに対して私の好きな曲、たとえば、さっきの「流浪の民」や「聖なる館 (Houses of the Holy)」や「夜間飛行 (Night Flight)」などはみんな旧録のアウト・テイクだ。コンパクトな魅力にあふれている。
というわけでアルバム全体としては散漫な印象になっている。旧録のような曲がもっとたくさん入っていれば、5位以内入選もあり得たのだが。

『プレゼンス (Presence)

渋谷陽一が絶賛するとおり、何か吹っ切れて前向きの姿勢を感じさせるアルバム。これまでになかったような硬質でシンプルかつストイックな音作りだ。まるでジョン・レノンにおける『ジョンの魂』を思わせる。
しかしそれはあくまで「良く言えば」の話。悪い言い方をすれば、硬直していてニュアンスに乏しい演奏ということになる。
音にふくらみがない。ラストのブルースっぽい「一人でお茶を (Tea for One)」なんかも味わいの薄い面白味のない曲になっている。
でも、ベスト5からはもれたが、一応次点ということで。

『イン・スルー・ジ・アウト・ドア (In Through the Out Door)

これ駄作でしょ(?)。ジョン・ポール・ジョーンズ主導のアルバムらしいが、この人「職人」ではあっても、けっしてクリエーターではなかったということだ。
いったい誰がツェッペリンの演るサンバやカントリー&ウエスタンやラブ・バラードを聴きたいと思うだろう。まあそれには目をつぶるとしても、そもそもどの曲もあんまり出来が良くない。このアルバムには、これまでにない多様な音楽性があるというが、肝心の曲がだめだったら意味がないんじゃないの。
ボーナムの死とは関係なく、もうこの時点でツェッペリンは終わっていたということだ。

『最終楽章 (コーダ)(Coda)

アトランティックとの契約を果たすために旧録曲を集めて間に合わせで作ったアルバム。曲数も少なく作りも雑。できのいいアウト・テイクはみんな『フィジカル・グラフィティ』に使っちゃったんだから、いいものが残っているはずもない。

以上が落選理由についてのコメント。順番が逆になった気もするが、ベスト5アルバムについてのコメントは項を改めて、次回「後編」で述べる。

2012年10月13日土曜日

「つけ麺 坊主」訪問 「特製らーめん」 天高く…編

秋晴れのある日、天気が素晴らしくいいので千波湖周辺を散歩したくなって水戸へ出かける。で、当然その前に「坊主」さん訪問ということになる。前回から二週間ぶりの訪問。

前回、前々回と麻婆入りのラーメンとか、つけ麺とか食べたわけだが、そのたびに次はいつもの「特製らーめん」を食べたいと思った。やっぱり私の定番は「特製らーめん」だなとしみじみ思う。つけ麺だとどうしても麺が主役という感じだが、ラーメンなら麺とスープをたっぷり味わえる。それに「特製」は具材が、もやしと豚肉のみとシンプルで、それをじっくり堪能できるところがよい。

というわけで、今日は迷わず券売機の「特製らーめん」のボタンを押す。そしていつものように「白めし」と「ビール」。
例によってカウンターの一番奥に座る。麺とめしの量は普通でお願いする。

前回同様に土曜日の11時4分に入店。開店直後だというのに、もう先客5人(後客7人)。
先客は、若い夫婦と子供3人の家族づれ。小さい子供たちはにぎやかだ。こういう店で子供の声が響くのは珍しい。昼時になると混み合う店に、まだ客の少ない開店直後の時間に来たのは、お店や他の客へ迷惑を掛けないためなのかな。だとしたらあの夫婦はえらい。
そんなわけで、今日も自分のが出来るまでに時間がかりそうだ。と思ったらあの一家の注文は5人で3人前だった。子供がいるからまあそのくらいの量しか食べられないだろうけど…。

私の後から入ってきた客は、だいたいが一人客でマニアっぽい様子。きっちり食べたい人は午前中に来るということなのだろうか。
エルヴィスとかを聴きつつ、ビールを飲みながら、こんなふうに店内をウォッチングしているうちに「特製らーめん」登場。
ちょっと久しぶり。例によってどんぶり中央のもやしと肉の山のわきから、レンゲで赤い脂の浮いた赤いスープをすくう。一口、二口…。ここのお店で、ラーメンを食べるときの最高に幸せな瞬間だ。
うん、今日は甘さ、旨さ、コクのバランスが最高にいい。なかなかこういう日はない。ただ塩気がちょっと弱いか。
何回も何回も夢中でスープを口に運び、その味を堪能する。ときどき一休みしてご飯を食べる。こういうときのご飯がまた美味しい。そしてまたスープへ。こうしてしばらくの間、麺と具材は手付かずのまま。

やっと一段落してから刻みネギのかかったもやしと肉の山を崩し始める。唐辛子も自分でちょっとだけ増量。そして箸を底の方まで伸ばして麺を少しほぐしておく。あまり放置時間が長いと、延びながら絡まりあってしまいがちだからだ。
もやしと麺を一緒に手繰る。麺がやっぱり美味しいなあ。つけ麺で食べるともっと美味しい食感なのだが、今はやむをえない。

それなりに辛いが私にはちょうど良いくらい。けれど、夏に食べた「極辛」もまた食べてみたい。このお店はこの辛さと旨さが一体になっているところが真似のできないところ。
例によって鼻水をティッシュで忙しくかみながら夢中で食べ続ける。至福の時間が流れる。
しかし、夏の頃より汗はかかない。大汗かきながら食べたいなあ。あの食後のすっきり感がたまらないのだが。

いつものように汁まで完食する。ほどよく(?)満腹になって、幸せな気分だ。ごちそうさまでした。
それから青空の下、水戸市内を2時間ばかり散歩して帰った。

2012年10月10日水曜日

「与えられた形象 辰野登恵子/柴田敏雄」展

国立新美術館の「与えられた形象 辰野登恵子/柴田敏雄」展を見てきた。
自分から進んで見ようとは思っていなかった。ところが薦めてくれる人がいて招待券までもらってしまった。それで思い切って見に行ったのだったが、思いのほか良い展覧会だった。

もともと辰野登恵子は良い画家だとは思っていた。しかし、今回の展覧会を見に行く気になれなかったのは、柴田敏雄との二人展だったからだ。
抽象の画家と社会派(とこれまで私は認識していた)写真家、何ともちぐはぐな取り合わせに思えた。それで見に行く気持を殺がれてしまっていたのだ。
くわえてこの二人は東京芸大の油画科の同級生だったとのこと。新聞には「同級生2人展」なんていう見出しもあった。そういう作品とは関係ないくくりの二人展と聞くと、よけいばかばかしくなってしまった。

柴田敏雄には、もともとあまり興味がなかった。写真集までは手に取ったことはなかったが、写真雑誌でよく作品は目にしていた。彼の作品は、つねに山奥の土木工事による構築物の写真だった。土砂崩れを防ぐためにコンクリートで固めた崖とか、ダムの写真だ。
私はそれらの写真を、自然対人間の対立、あるいは日本社会の発展の裏にある自然破壊、といったような社会派的視点から撮られたものとてっきり思っていたのだった。

今回の展覧会を見て、それがまったくの誤解であることがわかった。
柴田が撮っていたのは、もっぱらそうした土木的構築物が見せる造形的な面白さだったのだ。今回の展覧会を見る限り、初期から近作まで、この視点はまったく変わっていない。むしろ、この造形性への興味は、どんどん深化していっているようにも見えた。
ただそうだとすると、そのような造形的な美をなぜ都市やその周辺ではなく(「ナイト・フォト」シリーズのような例外もあるが)、もっぱら山野の中に求めるのかが今ひとつよく伝わってこない。

さて会場は辰野と柴田の展示室がほぼ交互に配置されている。各展示室の構成は単純にクロノジカルではなく、時代を前後させたりテーマや素材によってくくったりと、なかなか工夫が凝らされている。
辰野の展示では、1980年代の作品を並べた一番目の展示室「1980年代」と二番目の展示室「円と丸から」がやはり素晴らしかった。私にとってはこの展覧会全体の中でも白眉といってよい。

この頃の辰野の作品に特徴的なのは、タイルや建築物に見られる装飾の文様のパターンを、非具象の空間に描き込むことだった。
繰り返される文様の導入は、とりとめのない抽象空間に装飾性をもたらして一定の秩序を与える。また同時に、その文様のパターンは、見るものに一種の既視感を引き起こし、過去の記憶のシーンを呼び覚まそうとする。
しかし、この時期の辰野の作品の素晴らしさは、そのような単なるモチーフのアイデアにあるのではない。何といっても彼女の色彩が放つ瑞々しい叙情性と画面にあふれる躍動感にあると思う。
「円と丸から」のシリーズは、その意味でこの作家の頂点を示す作品群だろう。こんなに豊かで軽やかな情感と浮遊感のある自由な動きに満ちた抽象絵画は、少なくとも同時代の日本にはなかった。

1990年代以降、辰野はまた違う方向へと進んでいく。より現実感のある造形を描く方向とでも言ったらいいか。情感は深化し、造形性は堅固なものとなっていく。
二人の展示室を次々に進んでいくにつれ、両者の作品がどんどん接近しているように見えてくる。造形の重厚さをしだいに増す辰野の絵画と、モノクロからカラーに変わり対象の造形性にさらに集中していく柴田の写真。その距離はもうそんなに遠くない。
なるほど、この二人展の本当のオチは、「同級生云々」ではなく、ここにあったか。と、あらためて企画者の意図を了解した次第。お見事。

でもやっぱり辰野登恵子の個展として見たかった、というのが本音ではある。

2012年10月9日火曜日

東京散歩「レンガ造りとB級グルメと隅田川」 丸の内から有楽町をまわって隅田川沿いを歩く

<丸の内で古い建築物巡り>

10月のはじめ、所用があって東京に出かけた。
用事があったのは銀座だが、その前に今話題の東京駅を見てみようと上野から山手線に乗り換える。
東京駅で降りて丸の内北口の改札を抜けると、もうそこからすごい混雑だ。復元された駅舎のドームの内側を見上げる人であふれている。こんなにたくさんの人がいっせいに真上に向ってカメラを向けているのを初めて見た。

6年間にわたる復元工事が終わって、この丸の内駅舎が公開されたのがつい数日前のこと。大正3年の創建時の威容を再現したドーム天井には優雅な彫刻や装飾が施してあってとにかく立派。でも当然のことながら新品同様、というか新品そのものだからピカピカしていて、古びた味わいはない。

そのまま駅舎の外へ出て外からレンガ造りの駅舎を眺める。ここもカメラを構えた人でいっぱいだ。駅舎の前の舗道部分だけでは眺めるのに引きが足りないと思っていたら、丸ビルとの間のロータリーにちゃんとヴュー・エリアが設けてある。JR偉い。
レンガ造りの駅舎は風格とロマンを感じさせて、やっぱりいいものだ。駅舎の前を通り丸の内南口のドームにも入って中を見てみた。

そこでふと思いついて南口の向かいにあるJPタワーの方に足を運ぶ。
JPタワーは東京駅の南西側に隣接する旧東京中央郵便局の跡地に建ったビルだ。といっても低層部分は歴史的価値が高いということで、旧郵便局舎をそのままの形で保存し、その上に高層ビルをのせた形だ。今年(2012年)7月にオープンしてちょっと話題になり、一度見てみたいと思っていたのだ。
旧東京中央郵便局の局舎は、昭和6年に建てられた建物とのこと。旧郵便局舎をぐるっとひとわたり眺める。石造りでそれなりに趣はあるが、さすがに東京駅には負ける。

そこからまたまた思い付きで、ちょっと先にある三菱一号館美術館にも行ってみることにする。思わぬ古い建築物巡りだ。
JPタワーの道を挟んだ皇居側が三菱ビル。そしてその日比谷側の隣が、丸の内パークビルだ。このパークビルの敷地の一画に三菱一号館美術館はある。
三菱一号館美術館の建物は、明治時代に建てられた三菱一号館というレンガ造りの洋館を再建して美術館にしたもの。2010年に開館。三菱一号館というのは、丸の内で最初の洋風貸事務所建築だとか。
館内には入らず、ぐるっと外側から見学。この美術館とパークビルとの間は、ブリック・スクエアというちょっとした広場になっている。おしゃれなカフェや樹木の合間にレンガの建屋が生えて風情がある。ビルの狭間とは思えないなかなかいい雰囲気の空間だ。

そこから隣の東京国際フォーラムを抜けて有楽町に向うことにする。ガラス棟とホール棟の間を歩いていく。先ほどまでとは打って変わって、超現代的な空間だ。これはこれで楽しい。
建物の間に、軽自動車の移動屋台村が出来ている。一台はスープ・カレーの屋台だった。行列が出来ている。私は大のスープ・カレー好きなのだが、大の行列嫌い。なので、食べてみたかったが残念ながらパスした。

<有楽町のB級グルメ その1>

そのままピック・カメラの前を通って有楽町駅方面へ。
そしてガード下の立ち食いの店「後楽そば」で「焼きそば」(340円)を食べる。ここの焼きそばは、B級グルメ界ではちょっとだけ有名。昔ながらのソース焼きそばだ。びっくりするほど美味しいわけではないが、そこそこ美味しい。B級グルメってだいたいそんなもんでしょ。

マリオンを抜けて数寄屋橋交差点から晴海通りを銀座方面へ。ここでわき道に入り本日の用向きを済ます。
再び晴海通りに戻ると、さらに築地方面に歩いていく。銀座から築地までは何度か歩いたことがあるが、意外に距離がある。大きな通りで、たいした見所もないから余計そう感じるのかもしれない。
築地の場外市場を通り過ぎると、広い場所にたくさんの折り畳みテーブルと椅子がセットしてあるのが見える。後でニュースで知ったのだが、翌日から築地祭りというのが開かれるらしい。場外市場で買ってきた魚を、ここで七輪で焼いて食べられるのだとか。一度やってみたいものだ。

<隅田川沿いを歩く>

勝鬨橋のたもとに到着。そのまま渡って月島を歩くつもりだったが、ちょっとくたびれてきたので、橋は渡らずにその手前を左に折れて隅田川のほとりを歩いてみることにする。
隅田川の川べりは「隅田川テラス」という名称で、遊歩道としてきれいに整備されている。歩道の左の陸側はレンガ積みの壁が続き、舗石はちょっと凹凸を残したしゃれた敷石だ。今日はいろいろとレンガに縁のある日だ。
右側は隅田川の広い川面。その向こうの月島には高層ビルがいくつも立ち並ぶ。その上には秋の青空が広がっている。涼しい川風に吹かれながら開けた空間を歩いていくのはじつに気持がいい。しかし平日とはいえ歩いている人は少なかった。東京駅の混雑がウソのようだ。

やがて左側に高々とそびえる聖路加タワーを見ながらその前を通り過ぎると、まもなく佃大橋のたもとに辿りつく。ここから橋の上を佃の方へ歩いていくことにした。

<佃島散策>

佃大橋の歩道からの眺めは、広々として気持いい。それにしても隅田川の広さをあらためて実感する。
佃大橋は昭和39年に出来た比較的新しい橋で、それまでは佃の渡しと呼ばれる渡し舟が行き来していたという。そしてこの橋の建設と同時に、佃島は月島と地続きになったが、それまでは完全に島だったわけだ。

隅田川を渡りながら落語「佃祭」のことを思い出した。
神田お玉ヶ池で小間物屋を営む次郎兵衛。祭り好きで、住吉神社の祭り見物に佃島に来ていたが、ひょんなことから渡し舟の最終便に乗りそびれてしまう。ところが、この舟が川の途中で転覆して、乗客は全員溺れ死ぬという悲劇が起こる。次郎兵衛は乗らなくて命拾いをしたのだ。
ところが、そんなこととは知らない次郎兵衛の留守宅と長屋の人たち。主人は死んだと思い込み悲しみにくれ仮通夜を営む。そこへ知り合いの船頭に小舟で送ってもらった当の次郎兵衛が帰ってきて大騒ぎという話だ。
橋から川を見下ろすと、たしかにこんなに川幅が広いところで舟が転覆すれば乗っている人は助からないだろうと納得する。

橋を渡り終えて左に曲がり川沿いを歩いていく。「佃祭」の話に出てくる住吉神社をお参りしようと思ったのだ。
ガイド・マップで見ると、このあたりには佃煮の老舗がいくつかある。いうまでもなく佃煮の名は、ここの地名に由来している。
街の裏手の細い路地のようなところに入り込んでしまう。てっきり、一本、道を間違えたかと思った。ところがたしかにそこに間口の狭い佃煮屋がちらほらあるのだ。
その先には川に向って鳥居が立っている。ここが住吉神社の参道らしい。しかし驚いたことに、そこから続いているのは普通の家が両側に並んでいるごくごく狭い路地だった。その先にはもう一つ鳥居があって確かに神社がある。
失礼ながら、それはどこにでもあるようなささやかな小さい社だった。一応お賽銭を上げてお参りする。
観光スポットとはとても思われないようなこのあたりの「ふつうの街外れ」というか「場末」というか「裏町」というか、そんな感じにちょっとびっくりし可笑しくなる。地図を片手に歩いているのは、かなり違和感がある。石鹸やタオルを入れた洗面器を抱えて銭湯帰りのおじいさんが路地を横切っていった。

こうしてあっという間に佃島観光は終了。さてこれからどうしよう。
月島名物もんじゃ焼きのお店が並ぶ「もんじゃストリート」も近くにあるが、べつだん興味がわかない。もんじゃ焼きは一、二度食べたことがあるが、そんなに美味しいものとは思わなかった。
それより何といっても食べてみたいのは、もうひとつの月島名物レバー・フライだ。佃大橋通りをもう少し先に行くと清澄通りにぶつかる。ガイド・マップによると、この清澄通りを左折して右側の小さな路地を入ったところにレバー・フライのお店があるらしい。

清澄通りは大きな通りで、この通りに面しyr建っているのはてマンションやビルばかり。一見したところ、こんなところに小さな店があるとはとても思われない。
しかし、マンションとマンションの間の私道というか通用道のようなところを半信半疑で入っていくと、確かにそれがそのまま裏手の住宅街の狭い路地になっているのだった。
だがレバー・フライのお店は見当たらなかった。しばらくうろうろとその辺りを歩き回る。どうしても見つからないので結局あきらめた。しかしそのおかげで、近代的なマンションと戦前からの街並みが隣接する佃島ならではの風情を満喫することはできた。

<有楽町のB級グルメ その2>

有楽町線で有楽町駅に戻る。時間は午後4時。そろそろ小腹が空いてきたので久しぶりに「ジャポネ」に行ってみることにする。
「ジャポネ」は、B級グルメ界の超有名店。首都高下の銀座インズ3にあるスパゲティーのお店だ。カウンター15席の小さなお店だが、お昼前後には長蛇の列ができる。私はこれまでに何回かここで食べたことがある。
最近の本格パスタとはまったく別物の、茹で置きの麺をフライパンで炒めるという昔ながらの日本式スパゲティーだ。炒めた香ばしさと麺の量の多さと、そして懐かしさが売り。当然並んでいるのは男性サラリーマンとB級グルメ・マニアばかりで、女性客はほとんどいない。
今日は時間が時間なのでさすがに行列は無し。すぐに席につき「ジャリコ」のレギュラー(550円)を注文した。「ジャリコ」はこのお店の一番人気メニューで、具材に肉、エビ、小松菜などが入ったしょうゆ味のもの。「レギュラー」は普通盛りのことで、これでもそれないの量はある。この上に、「ジャンボ」、「横綱」、「理事長」と盛りのランクが控えていて、「横綱」あたりから大変なことになってくる。
カウンターの中はかなり狭いにもかかわらず数人のスタッフがいて、この内2人は大きなフライパンを返しながら次から次へと麺を炒め続ける。コンロの火はつけっぱなし。麺も具材も手づかみで投入。細かいことはやってらんないよという感じ。
しばらく待って「ジャリコ」登場。まあB級グルメだからやっぱりびっくりするほどのものではなく、大雑把な味ながら、そこそこ美味しいといった程度。
「ジャンボ」以上の大盛を食べている人が大半の中で、ささっと完食して店を出る。油が口に残る。でもお腹和満足。
さすがにくたびれた足を引きずって有楽町駅に戻る。これで今日の散歩は終了。疲れた。

2012年10月3日水曜日

ジェネシスな季節、『フォックストロット』の日々

今年はいつまでも残暑が続いていたが、さすがに10月に入ったと思ったら、いきなり秋がめぐってきた。こういう季節になると、私の場合、何となくジェネシス(もちろん初期の)の音を聴きたくなる。あのいかにも英国的な、どんよりとくすんで薄暗い音を…。
典型的なのが「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」のイントロだ。メロトロンの少し歪んだ陰鬱な音の壁が、空から重く垂れ込めている。ところでこのメロトロンは、キング・クリムゾンが使っていたものを譲り受けたといううわさがあったが、あれは本当なのだろうか。

<『フォックストロット』の日々>

かつてジェネシスの『フォックストロット』を一日中聴いていた日々があった。
もうずいぶん遠い昔、私が学生時代のことだ。朝、眼が覚めてから、深夜、眠りにつくまで、文字通り一日中このアルバムを聴き続けた。その世界にどっぷりと漬かっていた。
当時はまだレコード盤の時代。CDのように全曲リピートということはできない。A面が終わると、ターン・テーブルのところまで行って、B面に裏返す。B面が終わると、またひっくり返してA面に。一日中これを繰り返した。
とにかく一度レコードに針を落とすとやめられなくなる。レコードを際限なく裏返して聴き続けないといられなくなってしまう。まるで魔法にでもかかったように…。一日に20回くらいは聴いていた。時間にすると16,7時間。
おかげで今でも「サパーズ・レディ」をはじめ『フォックストロット』の曲は、頭の中で隅々まで再生可能だ。

しかし私がピーター・ガブリエル期のジェネシスにのめり込んだとき、ピーター・ガブリエルはもうジェネシスから去っていた。 
そのころすでにロックを聴き始めていたというのに、ピーター・ガブリエル期のジェネシスをリアル・タイムで聴かないでしまったのだ。これは、プログレ・オヤジの人生の中でも、取り返しのつかない汚点である。
ピーター・ガブリエルが、ジェネシスをぐいぐいリードしていた頃、金のないロック少年(つまり私)は、キング・クリムゾンやELPやイエスで手いっぱいだったのだ。
それにジェネシスの音は、プログレとはいうものの他のグループとはちょっと異質だった。他のプログレ・バンドのようにハード・ロック的な要素がなかったのだ。だから飛びつくのに二の足を踏んだということもある。
だから仮にあの頃リアル・タイムでジェネシスの音楽を聴いたとしても、当時の私がその音楽に魅力を感じたかどうかは多少疑問ではある。

結局私のジェネシスへの接近のきっかけは、1977年のライヴ・アルバム『セカンズ・アウト』だった。1975年に抜けたピーター・ガブリエルの代わりに、ドラマーのフィル・コリンズがヴォーカルをとっている。
ドラマーの穴を一部の演奏で、クリムゾンにいたビル・ブラッフォードが埋めていることもあって、聴いてみる気になったのだ。
キーボード主体だがビートのめりはりのきっちりしたポップで聴きやすいアルバムだった。
今から振り返ると信じがたいことだが、「ミュージカル・ボックス」や「サパーズ・レディ」など、ピーター・ガブリエルのヴォーカルでしか考えられない曲を、後のポップ大王フィル・コリンズが歌っている。しかもガブリエルにかなり似た声て。

このライヴ盤『セカンズ・アウト』は全体としては特別に良いというほどではないが、そんなに悪くもなかった。
以後のジェネシスは、御承知のとおりポップ(&金儲け)路線を邁進していくわけで、そちらにはまったく興味はわかなかった。その代わり私の関心はそれ以前のピーター・ガブリエル期のジェネシスへと後追いで遡っていったのだった

<『フォックストロット』は完璧なアルバム>

ピーター・ガブリエルのあのしゃがれた声と芝居がかった歌い回しには、はじめからすんなりとなじめたわけではない。しかし、それにだんだん慣れていくにつれ、私はジェネシスの世界のとりこになっていったのだった。

とりわけ4作目の『フォックストロット』は完璧なアルバたった。
このアルバムの世界は閉じていて完結している。
全6曲。レコードに針を落とすと例のメロトロンの陰鬱な音が空から垂れ込めてきて「ウォッチャー・オブ・ザ・スカイズ」が始まり、4曲目の「キャンユーティリティ・アンド・ザ・コーストライナーズ」のせわしなく畳み掛けるようなラストでA面が終わる。
ひっくり返してB面の頭がスティーブ・ハケットの硬質で美しいギター小曲「ホライズンズ」。この曲に導かれるようにして静かに大曲「サパーズ・レディ」が始まる。この曲の長くて曲がりくねった道のりを、息をこらしながら辿っていく。そしてついに大団円を迎え、この上ないカタルシスの中でもうB面が終わっている。
このアルバムの世界は、暗く陰鬱で、ときに不気味に滑稽で、ときに奇想天外。寓意に満ちていて奥深く、しかも親しみやすい。

『フォックストロット』のような完璧さは、この時期の彼らの他のアルバムにも見当たらないものだ。
彼らの代表作として『フォックストロット』と並び称される3作目の『ナーサリー・クライム』にも、ライヴ盤をはさんで6作目の『セリング・イングランド・バイ・ザ・パウンド』にもこの感じはない。
『セリング・イングランド…』を最高傑作という人がいるらしいけれど、これはどう聴いても初期ジェネシスの中では例外作でしょ。
ピーター・ガブリエルが主導してやりたいように作ったという7作目の『ザ・ラム・ライズ・ダウン・オン・ブロードウェイ』も、私には今ひとつだった。
ピーター・ガブリエルと他のメンバー達全員の表現意欲がひとつになりマジカルな化学反応を起こして出来上がった稀有の一枚が『フオックストロット』だったというしかない。

当時のイギリスのバンドのほとんどすべてがソウルやRBなどの黒人音楽をルーツにしていた。けれども、ジェネシスの音楽はまったく黒人音楽とは違うところに成立している。
さらに言うと、他のプログレ・バンド、たとえばクリムゾンやELPのように、ジャズやクラシックを取り入れたりもしていない。強いて言えば、ブリテェッシュ・トラッドの香りが多少漂っているかもしれない。しかし、とにかくジェネシスの音はまったく独自のものというしかない。
黒人音楽やビートルズに触発されてスクール・バンドを始めたジェネシスのメンバーたちは、当然ポップ・バンドとしてデヴューしたわけだ。
いくらはじめ売れなかったから、もっと個性的な音楽をやろうと考えたとはいえ、そんなに簡単にこんな音楽が作り出せるものだろうか。いったいどこから、この音楽はやってきたのだろう。何とも不思議だ。

<映像で見るピーター・ガブリエルのパフォーマンス>

ピーター・ガブリエル期のジェネシスは、演劇的なステージが評判だった。当時音楽雑誌でさんざんそんな話を読まされたがそれがいったいどんなものなのかは、遠い日本にいるロック少年には想像もつかなかった。
その後も当時の彼らのステージ映像を見たいとずっと思っていた。彼らの歴史を辿ったヴィデオを何本か手に入れたが、演奏シーンは断片的なものばかりで何とも物足りなかった。
しかしこの不満は、2008年に発売されたジェネシスのボックス・セット『ジェネシス 1970-1975』を手に入れることで、やっと満たされることになる。

このボックスは彼らの初期スタジオ・アルバムをそれぞれSACDDVDの2枚組にして収録した13枚組てある。
ジェネシス・ファンとしては、当然各アルバムについてプラ・ケースの通常盤と紙ジャケの2種をすでに持っていた。それにかなり高価なブツだったので迷いに迷った末にやっと買ったのだったが(それでも中古で)、これは本当に手に入れてよかった。
DVDのエクストラ・トラックとして初期のライヴ映像(たいていは当時のテレビ番組)が収録されていたからだ。ヒストリー映像の断片的な演奏シーンの元ネタはほとんどこのあたりのものだった。

「ザ・ミュージカル・ボックス」の後半、ピーター・ガブリエルが老人のマスクをかぶり、老人の動作で歌うヴァージョンのほかに、『フォックストロット』のジャケットの例の「狐女」を、狐の頭をかぶり赤いドレスを着て演じたヴァージョンも観ることができた。
 また、「サパーズ・レディ」での衣装の転換。茨の冠、フラワー・マスク、赤い幾何学的な箱のかぶりものと黒マント、そして天使の白い衣装とライト・サーベルへ。これを何種類かの違う場所、違う時期の演奏で見ることが出来る。

初期ジェネシスの演奏風景は、まさに音から想像されるとおりのものだった。ヴォーカルのピーター・ガブリエルとドラムのフィル・コリンズ以外は、みんなうつむいて楽器に向っている。ギターのスティーブ・ハケットは、クリムゾンのロバート・フリップと同じように、いつも椅子に座ったままだ。
誰も足や体でリズムを取ったりなどしない。この辺もまったく非黒人音楽的。当然観客の方を向いてあおったりなんてこともしない。自分の世界に閉じこもり、黙々と屈折した細かいフレーズを弾き続けている。
とくにスティーブ・ハケットの「自閉」ぶりは印象的だ。ライト・ハンド奏法やハーモニックスを駆使した超絶フレーズを一心に弾き続ける。エクストラ映像に含まれたフランスでのインタヴュー・シーンでも、この人だけはまったく一言も発していなかった。

その一方で、ピーター・ガブリエルだけがステージ上を動き回る。しかし、それはけっして、他のロック・ミュージシャンのようなカッコいいというようなものではない。
まずそのメイクが異常だ。それも年とともにエスカレートしていく。最初は、濃いめのアイ・メイク程度だったのが、しだいに前頭部の中央だけをさかやきのように剃り上げ、顔面をキャンバスにして模様を描いたような感じになっていく。
そして奇妙な扮装。先にも少し触れたが、老人や狐女やこうもりや花人間や古代の剣士や、その他意味不明な格好の数々。
そしてさらに奇妙なパフォーマンス。どれも歌の内容と関係しているらしいのだが、それにしてもヘン。
たとえば、「アイ・ノウ・ホワット・アイ・ライク」の曲の前と後にやる芝刈り機を押しているポーズ。深い帽子をかぶり、わらを一本横に口にくわえ、腰をかがめて手を前に広げ、ぶるぶると振動させながらステージを往復する。歌詞を聞く前だと何をしているのかわからないだろう。他のパフォーマンスについてもだいたい同じようなことが言える。

そしてこのようなメイクや扮装も含めたエキセントリックなパフォーマンスは、時とともにどんどんエスカレートしていくのがわかる。これでもか、これでもか、といった具合だ。
後年のインタヴューで、フィル・コリンズやトニー・バンクスは、こうしたピーター・ガブリエルのパフォーマンスについて、批判的なことを言っている。「観客はピーターのおかしな格好にばかり気をとられて、音楽を聴いていない」と。

それにしてもピーター・ガブリエルを、このような顔面破壊的なメイクや、エキセントリックな動作に駆り立てたものは何だったのだろう。ヘンなことをしないではいられない情熱とは何だったのだろう。これもまた私にははかり知ることのできない謎だ。
しかし、彼のこのわけのわからない奇妙奇天烈なパフォーマンス、そしてけっしてカッコいいとは言えない身のこなしぶりに、しだいにどうしようもなく引き付けられていく。そして、あろうことか、ついにはそれらがこの上ないほどカッコいいものに見えてしまうから不思議だ。私だけかな。
後のトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンのカッコ悪いことが限りなくカッコいいパフコーマンスと共通するものを感じる。

その後ピーター・ガブリエルは、ソロになって良質なアルバムを何枚か作った。アルバムのジャケットで相変わらず自己顔面の破壊みたいなことをしていた。
それらの中で私がいちばん好きなのは、月並みだがやはり1986年の『So』だ。大ヒットしたアルバムだが、ここに漂う息苦しいような閉じた音の世界に、つい私は『フォックストロット』に通じるものを感じてしまう。べつにこだわるつもりはないのだが…。